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新しい年になっても考えていること

 新年、古い話で恐縮ですが、昭和40年代からだと思いますが、農閑期の冬の時期に出稼ぎが多くなったように思うのです。この人達は正月には帰省してまた職場、主に東京方面に帰って行く、そんな状態が長く続いていました。そんな中、世の流れというか自然と県外の大学を目指し一流企業、地元の職場ではなく中央に自分の夢を叶えようとする若い人達が増えてきたのです。この現象は長い間続いた農林、山間部も含めて農業経済が衰退した原因の一端が少なからず芽生えていたのではないかと思っています。


昭和38年ごろの農作業風景 後ろには鳥海山


 昔は集落のほとんどが1町から2町5反位までの農家で、農繁期には家族みんなで農作業を手伝って父母を助けていたのですが、高価な機械化の波に追い立てられ、それでも平成15年頃まで続けてきたのですが、農業機械の更新がままならなくなったのと農家の後継者不足と高齢化が顕著になり田んぼも手放すことになったのです。田んぼを貸しても少額の地代にしかならず地主も浮かばれないのが実情なのです。この状態が続いた結果、平野部でも作付放棄が進み、山間部に至っては雑草田んぼが多く目を覆うばかりになっているのです。
 平野部の効率性のある田んぼは別にして、山間部里山の田んぼ、山奥の田んぼまで再生産事業に着手し昔のように緑豊かな里山を蘇られる方法はないだろうか。先祖から受け継がれてきた田んぼと畑、このままでは自然と消えてしまうのです。
 方法はあります。農林水産大臣の声掛けで国策で実行するのです。まず地域を決定し建設事業の補助員として農業に関心のある希望者の募集を行い、意欲のある人に2~3年生産事業に従事してもらい完成の暁には永住希望者を選定し住居、作業場、農業機械を無償提供し地元集落と長老とのコミュニケーションを計れて山里を守れるエキスパートを育成するのです。永住希望者にはそれまでの給料も保障し生活不安を抱かせることなく里山の田んぼ、畑を守ってくれる農業者を求めたいのです。
 田んぼ、畑と隣接する山の斜面には柿、栗、トチ、ドングリ、リンゴ等を植え熊の食料として里人も手を差し伸べる部分もあってよいと思う。山林の面積と個体数を調整して管理を徹底してもらいたい。永住一世帯当たり2町歩としてお米60㎏当り25,000円程に制定して約500万円、生産費を除いて一世帯当たり生活出来ると思うのです。
 ここで農林水産大臣にお願いです。それは今まで食管法撤廃から長く続いた生産調整買入数量の制限と低米価方式を即中止すべきです。このまま今の農政では各地域に数人の大規模農業者しか残らず、山間部の衰退と集落の減少が急速に進み山間部、山里は見る影もなくなるのです。山間部に若い農業者の導入を計るべく県全体で何人かの農業者を招きたいのです。生産調整を中止した場合、売れ残りの余剰米が出ます。家畜菓子市場に広めても最後は国策で酒類も含めて本格的に輸出に舵を切るべきです。
 以前羽田大臣がミニマムアクセスの協議で米国に年70万トンの米の輸入を課されましたがこの70万トンは新潟県のお米一年分だったのは忘れたのでしょうか。その後ウルグアイラウンド加入で他国の輸入品が日本市場に押し寄せているのはご存じの通りです。今までの農政、国策が生産者を長い間圧力的に顧みることなく、逆に他国の輸入に押し切られています。自国の隅々から生産する農業者を一番に掲げ国土を守る国策に切り替えるべきです。
 長い間、生産者を組合員にし低価格買い入れを余儀なくするJA農協、生産調整決定通知の市町村長、買い入れたJA米を操作し利益を得る全農等、この現状に耐え兼ね東北の生産者が何らかの行動を起こそうとしたら選挙の度に農業は国の基幹産業だとうそぶく国会議員はどんな顔を見せるだろうか。今大規模経営のうち、後継者不足と経費過剰で近年浮き沈みの憂き目にあうのは明らかです。
 最後になりますが、山間の沢を利用してワサビ栽培等とワラビ、ゼンマイの畑も、他にアケビ、ブドウ、ソバを栽培したり、山裾と田んぼの畦の刈り取った雑草と米ヌカ、籾殻混合の熟成堆肥で栽培したお米等付加価値も見出すことも山間地ならあるのではないでしょうか。
 山奥まで伸びる道路も整備して自然観察に市街、都市部の子供達に里山との触れ合いも深めてもらい、四季折々の風景のすばらしさを是非子供達に植え付けてもらいたいと思うのです。

                     柳田 武男 84歳(巳年)


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