季語「俎(まないた)始」の句より一句
俎始ひと杓の水走らせて 鈴木真砂女
この句の作者の鈴木真砂女は、
銀座の路地で、間口一間ほどの小料理屋の女将だった。
彼女の代表作のひとつ「あるときは舟より高き卯波かな」による
「卯波」が店名。
路地の角にお稲荷さんの祠があって、
有楽町駅から行くとその角を曲がって三件目の店だった。
僕が「卯波」に行き出したのは彼女の最晩年であるが、
着物姿に割烹着を着て上がり框に座って
何くれと客に気配りをしていた。
彼女は老舗旅館の女将だったが、熱愛の七歳年下の男がいて、
色々あった結果、五十歳で身一つで東京に出てきて小料理屋を始めた人だ。
俳人としても知られ、その店は俳人の御用達のようなところがあり、
奥の小さな座敷は、句会の席になることも多かった。
店の隣が魚屋で、刺身を頼むとそこから取り寄せてくれる。
路地とはいえ銀座で店を出している魚屋らしく
旨い刺身が食べられた。
ただ、魚屋は遅くまでやってないから、
刺身は早い内でないと注文できないのが難点(笑)。
ニ十年以上も前の話だが、その頃は無愛想な年配の板前さんがいて、
鯵の叩き揚げとじゃが芋と肉の甘辛く煮たものが旨かった。
真砂女は二〇〇三年三月、九十六歳の長寿を全うして
大波乱の人生を終えた。
真砂女は老舗旅館の女将、小料理屋の女将という経歴の上、
自ら仕入れもしていたというから食材や料理には詳しい。
そのため、彼女には食べ物や料理にまつわるいい句が多い。
「俎板始」の句には、挙句のほか真砂女には「俎始鯛が睨を効かせけり」という句もあり、俎板に載った鯛の眼のあたり口元などが思い浮かぶこの句もユーモアの中に、鯛の無念が伝わってくる句である。
他の俳人の句では、鯛が包丁を入れられると「庖丁始せりせり飛んで鯛うろこ 秋元不死男」となってしまう訳だ。鯛が鱗を落とされていく小気味よい感じが正月らしい。
角川春樹の句に「独りにて俎板始めに指切りぬ」があり、上手い嘘をつかれている句である。もっとも当人は表現の上では虚をどう組み立てるかが大事と考えているので問題はない(笑)。
ちなみに「俎板始」というのは、新年が明けて、初めて俎板を使い、包丁を使って料理をすることをいう。
「包丁始め」も俎板と包丁の関係だから、どちらに着目するかの違いで、同義語として扱われている。俎板も俎と一字で表すこともある。
挙句の「俎始ひと杓の水走らせて 真砂女」は新年初めの料理に当たって、柄杓で俎板に水をかけたといっているだけだが、「水走らせて」の表現で新しい年に対する挨拶と期待が込められているように感じる。
料理屋の女将としての思いがこめられた一句である。
(黒川俊郎丸亀丸)