見出し画像

まさに青天の霹靂ってこう言うことか…⑨


娘の新生活⛸️新たな所属チーム登録や大学の近くに引越も済ませ
ようやく落ち着いた
2013年5月

母の白内障の手術(片目ずつ2週間)神戸の病院へ付き添い[パーキンソン病20年目で震えもあり

オペできるのは「これがギリギリ」って女医に上から目線で言われた
割にはっきりとは見えないらしい]


関東へ戻り
コンタクトレンズの補充で
駅近の眼科を探し


ドクター診察前の検査の途中
診察室まで入る事もなく

「疑いの診断書渡しますから」

『??? 何の?!』

近くの総合病院へ紹介状


「今から、すぐ診察受けて」と
封筒渡された


引っ越したばかりで
地理なんて わからない



半信半疑なまま
封筒に書かれた病院へ


不安で涙がこぼれ地図も見えにくい
けど
なんとか総合病院にたどりついた

検査すると もうすでに


視野が半分見えてない
状態
って言われても…



『何で?』

何が何だか訳わからなかった


毎日運転してるのに…

『何も変わってないよ?』

頭を固定して
生きてる訳じゃないから

目が見えない所をかばい
わからない

夕方見えにくくなる時間帯や
コーチを乗せて週末の大会

雪の帰り道 
吹雪やコンディション悪いと

泊まってもらい
朝に出発
調整はしていたけど…

『コレって老眼なのかなぁ…』
思い

老眼が近くなると視力も変わり
コンタクトレンズも
「毎月の検査で」って
眼科で言われその都度購入してたのに…

視野が半分しか見えないって 
自分では全くわからなかった

視神経をうずらの卵以上の腫瘍が
圧迫してたなんて

もう待ったなし


診断は
2ヶ月後は失明の危機


信じられなくて
間違えであってほしかった

セカンドオピニオンで知らない病院より

すぐ紹介状を書いてもらい

誰もが知るK病院へ


腫瘍が大きくて視神経を傷つけるリスクがあり、出来ない


今となっては断ってくれてありがとう

2ヶ月で未知の世界になってしまい
もう悩む時間は無い

東京に医者に詳しい知り合いもいる

人に聞いて合う合わない
医者を選ぶより

変える時の
人間関係のリスクも考えると

自分で調べようって覚悟した


2カ所目のT病院


その道の手術のエキスパートDr.Y
手術はもうすでに半年先まで一杯



Dr.Yの説明日
家族と弟
義理の姉も来てくれた

このDr.なら
命預けれるって
即、直感で思った 

『この先生に手術してほしい』

情熱的でも
わかりやすく穏やかな話し方

手術の手順と
ドクターの価値観に
絶大の信頼をおいた


Dr.Yの最大限な協力が有り

「急がな間に合わない!」って
何とか調整して予約を入れてくれた

万が一に備え自分の血液も手術日
前に2パック保存に行った



手術室に入る前
何とも言えない
不安な…
もしも…の泣きたい氣持ちを
ググッと抑えて

娘と夫に
『行ってくるわ バイバイ👋』
精一杯の作り笑顔

ナースは『え?!』って顔

サッパリしすぎで驚いてた

[今、取り乱したら特に娘が
不安になると残酷だなと思い
わざとニコってしたんだ

このまま見えない世界に行くのは
イヤ

普段離れて暮らしてるから
夫が仕事を休んで付きっきりなんて

何か重大な事があった時ばっかり
心配かけてごめん]

手術室に入るほんの一瞬
こんなグルグル頭の中を
巡った私の氣持ち
誰もわかるはずない


絶対に成功して
家族の元に戻るんだ!

その氣力だけで
手術室へ歩いて入った


7時間半にわたる手術で腫瘍摘出


Dr.Yが肩をトントン

『終わったよ!見えるか?』

手術室のあかりがピカピカで

「ハッキリ見える」

覚えてるのはそれだけ

それから先はチューブだらけで
集中治療室だったらしく

思わず

「え〜?
記念に写メ撮ってくれてたら…」


娘に一喝された
「そんな状況の訳ないやん!!

消毒して集中治療室入って
説明のあと
『良かったなぁ』ってパパも…
泣いてたのに」

そりゃそうね
心配かけてごめんね


病室にホント毎日
電車で学校
終わってから
洗濯しパジャマやタオルを持って
来てくれて

ショーの前のハードスケジュール

着た洗濯物をリュックにつめて元氣に⛸️へ向かう娘の姿見て
頼もしく感じたよ

病院で脳の手術して10日で退院?
凄い回復力🌟って言われたけど

娘がメダリストだけが出れる
⛸️スケーター憧れの【メダリスト オン アイス】に初出演するから

ハッキリこの目で見るために👀
『絶対、手術成功させてね❣️』

ってDr.Yにお願いした

本当に幸運の神さまがつき

(最後の縫うのは後輩Drの予定で)
何とかオペの予約を即入れてくれて


頭を開けずに
鼻から入れる高度な手術

Dr.Yが最後まで全てやって
くれたから今がある
10年経った今でも感謝しかない🙏


こんなに脳の手術で回復の早い人は病院中探してもいない!と言われた



私は娘のアイスショーを見るのが
退院の励みになった

車椅子の母も寒いリンクでは
孫の事になると
まるでファンクラブの会長のように1番に駆けつけエンディングまで
モコモコ毛皮のコートの重装備で

暖かくして 前のめりで
(車椅子だから係の人が何人も助けてくれてリンク入り)
父と一緒に来てた

そう、私のモチベーションは
娘に
『両手でいっぺんに車椅子2台は
押されへん』って言われ

おばあちゃんだけじゃなく

もうこれ以上ホントに
心配させたくなかったから

何としても無事に腫瘍を残らず
取ってもらう事だけ

娘が幼稚園の頃から母が杖から
パーキンソン病で
車椅子も何台か変わり

押せるようになるとエレベーターに乗る時もくるっと向きを変え
おばあちゃんが正面向いて出れる
介助のベテランになってた

ショーを見終わってからは張り切り過ぎたか?
脳から髄液が少し流れて2ヶ月安静だったけど

そんな事は救ってもらった長い人生の1ページで今があるから
どーってことない


たとえ代謝がゼロになってしまっても


毎日薬を飲み
天に昇るまで
注射液も自分で作る手間も構わない


疲れやすくても

代謝がゼロで
お米5キロの袋がいくつ?乗るほど

身体が重くても

普通に笑って過ごせるだけで
充分幸せ💓

脳の腫瘍残らず取っても
母のように難病指定
毎年Drに診断書もらうたび

病名欄「重症○症」って
見ると凹むけどね

症状にも

  • 疲れやすい

  • 怒ったり落ち込んだりと感情の
    変化が見られるとか

  • イライラする事が多いとか

  • 集中力が続かないとか

  • 記憶力が悪くなったとか

  • 何もやる氣が出ないとか


↑の様な事が症状らしく
それでも自覚はあまり無い

疲れやすいのは仕方ない
調子みて休めば良いだけ🌟

イライラや落ち込む前に私は
良い方角でパワーアップし
リフレッシュするから

イライラなんてあまり感じない

下の3つは美味しく身体に合う
食べもので氣分転換すれば
美味しいお店は記憶してるから

集中力にかけるなんて
誰にでも
あてはまり氣にしない


病は氣から❣️


何でもそう

氣のエネルギーに関係するから
自分のやる氣が上がる推しメン💓

好きな事をみつけるとアドレナリン出て元氣になる💖


吉方位に旅✈️に行き
幸運な強運エネルギーを
身体にチャージすれば

そんな凹む事があっても😌

神さまが味方してくれて
大好転し

嬉しい事や楽しい事が増えるから

沈んでる暇なんてないし
ひとりぼっちで考えなくて大丈夫❣️

誰だって大なり小なり不安な事は
あるんだから

そんな事 
氣にしたって

しゃーないの(仕方ないの)

底から這い上がるだけ

良い時も悪い時も
そりゃ波あるよ☺️


人生平坦に生きてる人なんて
いないから〜



に続きます


LINE登録はこちら↓



Instagramはこちら



長い文にお付き合い頂きありがとうございます



いいなと思ったら応援しよう!