羊文学、いいんです!
某月某日(土)
羊文学にハマっている。羊文学を知ったのは数年前、コロナ禍のころ。何気なくライブストリーミング『新生音楽(シンライブ) MUSIC AT HOME』を見ていたときだった(当時は軒並みライブが自粛になり、アーティストは配信イベントで表現を続けていた)。
約10人ほどのアーティストがそれぞれの自宅?から弾き語りをリモートする「ライブ」で、それぞれがひっそりと大切に1曲を歌う自粛感がとてもよかった。
そこに登場したのが羊文学のボーカル、塩塚モエカさんだった。どこの誰かもまったく知らない状態で聞いた「天気予報」は、ギターと声がとてもリラックスした感じで、まさにアットホーム。「こんなふうに弾き語りができる人がいるんだ」と思い、すぐに検索して羊文学の存在を知った。
次の驚きが、こちらもたまたまアニメ『平家物語』を見ていたとき。このご時世にはまったく流行らないであろう、滅びや無常をテーマにした作品だった。1話目の終盤で「これはいっき見だ!」と興奮したところで、エンディングテーマ「光るとき」が始まった。
「この歌詞いいなあ」。エンドロールに羊文学とクレジットされているのを見て、完全に撃ち抜かれた。ちなみに「光るとき」をよく聞くと、ところどころ囁き声をかぶせている部分がある。これは先に逝った者から次を生きる人々へのエールだと思う(勝手な妄想)。
ジャンルとしてはオルタナティブロックと位置づけられている。よくわからないので調べてみると、
●もう1つの選択
●商業主義とは別路線
●メインではなく別のアプローチ
●独立系
といった感じのようだ。つまり売れ線を狙った音楽ではないということらしい。しかしながら、アーティストたるもの常に個性的な存在であるはずで、なんだかイマイチ納得できる定義ではない。自分なりに訳すと、脱構造主義の音楽、プロデュースされていない音楽、整えられていない音楽。つまり曲も詩も定型・予定調和・ルール通りではない音楽といったところだろうか。「ここでこの音、この歌詞かよ!」と突っ込みを入れても「それが何か?」と飄々と次のコードに弾き進んでいってしまうような。自由奔放、白でも黒でもなく、適当で曖昧でいいかげんな進行から聞こえてくる力強いグルーブが本当に心地よい。
一方の歌詞は抽象的かつ詩的で、訴えたり叫んだんりすることはなく、感じたことをそのままを言葉にしている。特徴的なのは「君」あるいは「僕」が多く登場すること。あと、必要がないのに(逆に言うとそうする必要があるから)同じ言葉を続ける(リピート)する歌詞が多い。これは意味合いやグルーブを強調する効果があると思う(独自分析)。
歌詞の内容は直接的ではなく極めて比喩的、暗喩的だ。曖昧だからこそ、こちらにいろいろと投げかけ、考えさせられる、ほどよい行間。何度も聞いているうちに、こういうことかな?と意味合いがうっすらとわかってくる。
技術的にも3人ともめちゃめちゃうまくて、最強の3ピースバンドだと思う。余計な装飾はなく、必要最小限の音だけ、ギターもドラムもベースも少ない手数で勝負しているのがよい。
23年・24年で大ブレイク。最近ちょっと心配なのが、極力使っていなかった英語が多用されつつあること、曲もPOP(メジャー)調になってきたことだ。主題歌・CMタイアップともなれば、さまざまな制約・先方の意向を反映した後付けの音楽になるには仕方のないことだけど。
週末のマスト音楽はアルバム「our hope」でマイベストは「ワンダー」。スケールがとても大きく、静と動の対比、寂しさの中に生まれる決意を歌った1曲。おすすめです!