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お正月の思い出

某月某日(日)
 四季の移ろいに合わせて、地域ごとにさまざまな行事や風習があった。と、過去形なのは、季節がなくなり情報を得ることがすべての現代では、もはや伝統も失われ、すべてが画一的になっていく。それが寂しいと思いつつも。それでも、お正月だけはかろうじてまだ行事・風習として人々とともにあると思う。

 365日=1年がなかったらどうだろう。時間軸は直線になり、ゴールはどこまでも行って見えず、給水所のない、永遠のフルマラソンを走るようなものだろう。
 一方、今年があって来年が来るという時間は連環で終わりがあって始まりがある。なんて素晴らしいんだろう。やりなおし、リセット、気持ちを新たにすることができる。2024年よく頑張った。2025年さあスタートだ。

 幼少の頃、年末年始は1年の中でもっとも特別で、もっとも素晴らしく、もっとも思い出に残る数週間だった。まずはクリスマス。キリスト教の両親とともに教会に行き、賛美歌を歌いイエス生誕の劇に出演し、蝋燭に火を灯し皆で厳かに聖夜を過ごす。翌朝起きると枕元にはクリスマスプレゼントが置いてあった。

 大晦日は家族でコタツを囲み、紅白歌合戦に釘付けだった。赤組と白組の途中結果の点数に一喜一憂し、出演者たちが演歌を歌い始めると、いよいよ今年が暮れていく。
 紅白が終わるか終わらないところで私は家を出て、友人を誘い近所の寺へと出かける。境内は篝火が焚かれ、すでに除夜の鐘つくために集まった人々で長い行列ができている。深夜0時前後、1回目の鐘の音が静かに力強く響き渡る。
 新しい鐘の音とともに、楼門の階段を1段ずつ登り、いよいよ私の番になる。紐に括りつけられた木の棒を勢いよく後ろに引き、鐘の芯へ思い切り打ち付ける。身体に跳ね返る衝撃。音は波動になっていつまでも続く。
 参拝者に振舞われる甘酒をいただき、その後は少し離れた神社へおみくじを引きに行くのが流れだった。「俺は中吉」「お前は小吉」結果を見せ合い、雪道を帰った。懐かしいなあ。

 お正月は親戚一堂が集まり、子供たちはかるたに福笑い。午後は餅つき。そういえば2日の晩は必ずすき焼きだった。映画のような古き佳きお正月があった。

 お正月が明けてしばらくすると、どんど焼き、左義長、あるいは三九郎が行われる。自分の地域では「さいの神」と呼んでいた。これはお正月の門松、飾りや書き初め、旧年のだるまを町内から集め、田んぼに積み上げて燃やす火祭りだ。顔が焼けるほど勢いは豪快で、飛び散る火の粉が周囲の雪を溶かしていった。
 大人がお菓子やお捻りを投げて、子どもたちが競うように拾う。中には100円玉の通称「お宝」も紛れ込んでいて、しっかりゲットできればちょっとしたお小遣いになる。
 これにはちょっとした裏技があり、翌朝に田んぼに行って拾い漏れのお捻りを探したものだった。

 これが約40年前の年末年始の風景。ふと、少年時代を過ごした故郷を思い出すことがある。自分の心の中にだけある帰らぬ昔、遠い日々。

 というわけで、今年の年末年始は9連休ということで、本当にのんびりと過ごすことができた。家族と一緒に過ごした楽しい日々。当初考えていた、やりたいことはすべて実行できたと思う。充電完了。

 明日から2025年がスタートする。

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