スーパーヒーローは空高く
2022年9月下旬、名古屋のパルコに「BMSG」の大きなポスターが出ていた。
とても大きくて、高くて、なんだかちょっと眩しくて泣けた。
それで、その中心にいた方が私のスーパーヒーローだったことを思いだしたので、書き残しておこうと思う。勝手だが。
私が小学生の頃にAAAを友人伝いで知った。珍しい苗字が多いなあと思った。なんとなく、気になった。パソコンもないし、スマホもなくて情報は、地元のCDショップにしかなかった。
それでも、好きになった。「MUSIC!!!」のジャケットを覚えている。
ギラギラしていて、浮かび上がっているように見えた。
そして、しばらくして様々な原因が重なり合い、私は死にかけていた。
まあ、誰でも死にかける時期っていうのはあるのかもと思うのだけれど、私はその時にとても、ギリギリのところにいた。生と死の境界線があるとしたら、ちょうどそのあたりにいたのかもしれない。
そして一番死に近づいた時に、「ああ、AAAを生で見ることができなかったなあ」と思った。私は何物にもなれなかったし、大好きな人達を一目見ることもできなかった。ライブにいってみたかった。そう、ふと思った。
そしたら、東京に行ったら会えるかもしれない。もう少し生きていたら会えるかもしれない。ライブに行けるかもしれない。と小さな未練が降り積もるように膨らんでいった。
「嫌だな、死ぬの」と思ってしまって、そしたらやっと泣けた。
苦しくて仕方なかったが、死が自分から遠のいていくのが分かった。
泣きじゃくりながら、這いつくばりながら、私は生きた。
情報はすごいスピードで身近に手に入るようになっていく。私は、中学生になって、叔母がライブに連れて行ってくれることになった。
「AAA ARENA TOUR 2014 -Gold Symphony-」
私は生きて、生のAAAを見ることができた。歌声も、ダンスも、照明も、音響も、揺れる空気も、歓声も、ペンライトも、視線も、温度も、何もかも、全てが新鮮で、美しく、輝いて見えた。心から「生きていてよかった」と思った。心が感動で震える瞬間、身もだえるような興奮、圧倒的なステージ、自由で暑いくらいの空間に、私は、また、生かされることになった。
その同じような時期かその前か、メンバーの一人をYouTubeで見かけた。
「SKY-HI」
確かにそのメンバーなはずなのに、公式にはでていないらしかった。見てはいけないものでも見ている感覚で、でも、見るのをやめなかった。
なによりカッコよくて、メッセージを伝えられている気がした。調べていたら、やっぱり、同じ人で、だけど「SKY-HI」としても活動していることが分かった。
AAAとSKY-HI。好きなものが増えて嬉しかった。
時は過ぎて、どんどんメジャーになっていくAAAと共に、私は高校生になった。中学生の後半から上手く学校に行けなくなっていた。でも家庭内にも居場所は見つけられていなかった。
同級生のいない通学路を歩きながら、いつもSKY-HIを聞いていた。「TRICKSTER」ひっくり返してくれる。大丈夫。泣きながら、幾度となく励まされ、背中を押され、学校へ連れて行ってくれた。大好きなアルバムだ。ファンファーレが聞こえるたびに、一人じゃないと思えた。
いつだったかZeppツアーに行った。人であふれていて、見えづらくて、でもとても、とても、最高だった。
全てが敵だと思っていた私は、彼のおかげで優しくなれた。痛いくらいに優しい曲がたくさんあって、涙も宝物に変えてくれる言葉をくれた。
どんな時でも味方でいてくれる人がいると信じられた。そして、「また会うまで死ぬなよ」そう言われたから、居場所のなかった私も生き続けることができた。不条理も、醜い世界も、一緒に嘆いて、でも、この世界は思っているよりも悪くないぜって、教えてくれる。そんな人と、出会えた私は幸福だと、今、強く感じている。
最後に、心を込めたラブレターを。
SKY-HIさん、ありがとうございました。
私はなんとか大人と呼ばれるまで生きられました。
そしてまだ、生きてみようと思ってます。
あなたの生きている世界で。
でも、そろそろ次の約束を考えておかないと、危ないかもしれないので
あなたとお酒を飲むまで、生きてみようと思います。
見上げたポスターは最高に眩しくて、最高にかっこよかったです。
どうか、この先も、よろしくお願いします。
あなたの幸福を祈っています。
彼は、私のスーパーヒーロー。