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「好きなことで生きていく」という呪縛。

自分は、「好きなことで生きていく」の反対派である。いや、でも、元々は賛成派だった。「好きなことで食べていきたい」と目をキラキラさせている若者を見て、表では応援するが、内心は、「せいぜい頑張れよ...」と思っている。最低な人間かもしれない。すいません。

なぜ、反対派なのか。それは、自分が好きなことで生きることを諦めた人間だからだ。これは客観視できているし、わかっているからこそ、表では言わない。もう少し解像度を上げると、今やっている商売は、元々好きなことだった。たとえば、「コーヒーが好き、だからカフェをやりたい」といったニュアンスだ。

たしかにコーヒーは好きだ。しかしながら、本当に好きで好きでたまらない、あまりの熱意から周囲をも巻き込む。それほどの「好き」ではなかった。いや、向き合い方によっては、もしかしたら「好き」になれるタイミングはあったのかもしれない。

でも、「責任」に負けた。店を守らなければならない。お客様に満足していただかないといけない。従業員もいる。少しずつスケールさせていきたい。でも本当にキャッシュフロー回るんか?いや回すしかない。子供も生まれた。といった具合だ。好きだったことも、やがて好きではなくなった。いや厳密にいえば、「好き」を捨てた。守備を固めることに必死で、自分都合の「好き」まで背負いきれなかった。

後悔はない。むしろ正解だった。そして気づいたことがある。
好きでなくても、積み上げて、成果が出れば、やがて「生きがい」や「楽しさ」になるということだ。「仕事はなんでもいい」とさえ思っている。最近はもう、仕事していないと気持ちが悪い。歯磨きと同じである。好きなのか何なのか、わからない。でもひたすら楽しい。

好きなことで生きていく、は自分にとっては呪縛だった。自分は才能のない一般人である。もしかしたら、「好きなことで生きていく」が呪縛となって、苦しんでいる人がいるかもしれない。そうではないと伝えたい。きっとどんな仕事も、やり方と、向き合い方次第で、自分のマインドは変えられると信じている。

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