フリースクール開校を目指した理由 〜仕事と子育て〜6
写真は、子どもたちがスライムで作った目玉焼き。質感といい、意外とリアルで、びっくり。
noteを初めて書いてみて、あらためて読んでくださる方がいるということに感謝しています。自分以外の誰かがいるありがたさを感じています。
フリースクール開校の話とは直接的には違ってきていますが、これらの経験があったからこそ、今があるのだと思っています。横道外れてるかもしれませんが、感じたように書いてみようと思います。
そんなこんなで、自分が見たことのないような、怖いぐらい黒い自分、暗い自分を目の当たりにしました。今思うと、ゾッとするぐらいの憎悪に包まれ、悪意に満ちた状態でした。自分は、息もできないほどに苦しくて、崖っぷちに立たされると、こんなふうになってしまうんだなと、その頃には分かりませんでしたが、やっと10年ぐらい経って、なんとなく気づけるようになりました。
私は、高齢出産だったので、もし2人目の子どもを望むのであれば、早い方がいいと思い、そんな苦しい状況でしたが、なんとか2人目を授かる事ができました。が、想像していた以上に、1人目を妊娠した時よりも日々のやりくりが大変で、さらに追い討ちをかけるように、仕事では社員が減ったために忙しくなりました。締め切りが迫った仕事が多く、いつも極度の緊張状態にありました。仕事をこなしていけるか不安になり、体は疲れているけれどでも、夜は眠れない状態が続いていました。
高齢出産のため、安定期までは、周りには伝えていなかったので、それも良くなかったかもしれません。疲労がピークになると、副鼻腔炎と喘息のような咳が止まらなくなり、病院へ。休養するしかないといわれました。しかし、仕事をこなさなければという変な責任感で、休むことはできないと病院の先生に伝えると、短期間なら飲んでもいいとステロイドを処方され、れそれを飲みながら仕事をしてきいました。しかし、一向に咳は治らず、夜も咳のために寝られないため、ほとんど体を起こして、椅子に座ったような状態で仮眠を取っていました。
そんな状態なので、お腹の赤ちゃんには栄養がいかず、1ヶ月早く産まれ、体重は、1800グラムしかありませんでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?