若いころの婚活
先日、姪と食事に行ってきました。結婚歴もなく子どもを産んだことがない私には姪は本当にかわいい存在。彼女には最近、婚活で知り合った彼氏がいます。
私も昔結婚したくて婚活したけれど本当に苦痛だったな。合コンで盛り上がっているなか、初対面の人と話をするのは想像以上のストレスでしたね。家に帰るとひどい頭痛に襲われて、頭痛薬が手放せなくなって。なんでこんなにつらいんだろうと思って心の中で何度泣いたことか。
だから、次は大手の結婚相談所に駆け込みました。とても親切な70代くらいの女性の方と話をするうちすっかりうちとけ、「私が担当になるから一緒にがんばりましょう」と叱咤激励され、その人がアドバイザーとして相談にのってくれるのならと、少しお高いコースを申し込みました。お金がかかっても、精神衛生上いいと思ったから。
そして、次の訪問時に、結婚相談所に行くと、その方はおらず別の50代くらいの女性が目の前にいました。私が受け取ったのは、家族が倒れて会社を急に辞めたというお詫びの手紙。
「私が代わりにそばにいるから頑張りましょうね」その女性の声を聴き流しながら、出だしでつまづいた・・・、きっと婚活、うまくいかないんだろうなとぼんやり思いました。案の定、婚活は全くうまくいきませんでした。35歳ぐらいの決して美人ではない容姿に口下手とくれば、相手にされません。そもそも出会える機会も少なく、たまに出会った相手に失礼なことを言われたりして傷ついたりもしました。アドバイザーとの関係も、やはり表面的な付き合いでした。
結局ほとんど活動らしい活動もしないまま、嫌気がさして結婚相談所を退会することに。時間とお金を使い、なんの成果もなく、苦しかっただけの婚活でした。しかし、結婚相談所を退会しても、結婚したいという気持ちがなくなったわけではなく、悶々とした日が過ぎました。そんななか、気分転換に趣味を見つけようといろいろな習い事をしたりフィットネスクラブに通ったり、楽しい時間を増やしていきました。いつか、結婚も出産もしたいと漠然と思っていました。とくに子どもが好きだったので、子どもが欲しいと思っていました。だから、出産が厳しいという年齢に近づいたとき、現実をつきつけられたような気がして落ち込みましたね。
今だからこうやって気持ちを整理しながら書いていますが、当時は辛かった。出かけると妊婦の方や赤ちゃん連れの親子に会うことあるでしょ。羨ましくて仕方なかったなあ。ただひとつだけ、そんなとき気を付けていたこと、それは、羨ましいと思ったとしても、決して妬まないことでした。
・うらやむ(羨む) :(自分にないものを持っている人を見て)自分もそうなりたいと思う。また、そうならないことを不満に思う。
・ねたむ(妬む):相手が自分よりすぐれている状態がうらやましくて、にくむ。(三省堂国語辞典より)
羨むと妬むは違う。方向は似ているけれど。自分のなかで羨ましいと思うのはOKだったけれど、妬むことは絶対にしないかった。妬みが強いと人を憎んでしまいそうだから。憎んでしまうと、きっとごはんがおいしくない。
最近、読んだ本「傲慢と善良」。姿を消した婚約者の話と聞いていたので、ミステリーなのかとページをめくれば解説が朝井リョウとなっていました。うん?朝井リョウ?違和感を持ちながら読み終わったとき、すべて納得。
痛かった。ほんと痛かった。私の婚活を思い出して。私が初めて婚活をしたのは25歳のとき近所の方の紹介でした。最初の婚活がお見合いでした。緊張してしゃべれなかった私でしたが、向こうも無口で、お互いに言葉をぽつぽつと出し合いながらドライブしたっけ。
お見合いだったからすぐにYesかNoかを決めなければいけませんでした。これができなかった。仕事を辞めて東京に行く決心もなかったし、両親の不和で家庭の団欒もほぼ知ることなく育った私に対して母が結婚しなさいって強く言うのも理解できなかった。結局、決めれなくてお断りした。彼はとてもいい人でした。私がよくわからなくて現状に留まることを選んだだけ。
その後、まもなくして両親が病気になり、他界。私はそれにより強いショックを受けて(母のことは大好きだったから)立ち直るまでに時間がかかり、ようやく35歳くらいのときに本格的に結婚相談所に入りましたが、結果は惨憺(さんたん)たるもの。
この本を読んで、私って婚活を真剣に考えてなかったんじゃないかと思いました。特に25歳のあの決断は間違っていたと今ならよくわかります。あのとき、もしおつきあいしたとしてもそのまま結婚できたかどうかはわかりませんが、一歩踏み出すべきでした。ちゃんと相手も自分も見るために。きっと彼は素敵な人と結婚されているんでしょうね。道端ですれ違っても、わからないと思いますが。
婚活に全力投球の姪を応援しつつ、自分にはあのパワーも結婚へのビジョンもなかったと気づいていたけれど、それをあの本は、言葉をもって私の記憶を掘り起こし、それを分析し、気づけなかった自分の愚かさを伝えてくれた感じがしました。
姪は看護師なので、出会いは少ないと早くから婚活していましたね。この秋には、自分が紹介した友達同士の結婚式があるそう。食事をしながら姪が「いい仕事をした」と私に話してくれた二人とは、普段あまりしゃべらず時々ぽつりと面白いことをいう女友達は、顔はよくなくても面白い人がタイプ、幼馴染の男友達(あまりにも近すぎて結婚対象にならなかったらしい)はとにかく面白くて明るい。姪曰く「合うな」と思ったそう。二人の結婚式をとても楽しみにしている彼女。いつもなら、新郎側の時間はお食事タイムだが、今回は食べる時間もなさそうと笑っていました。
そんなカップルの一方で、姪の友達の一人が最近、彼と別れて婚活を始めたそう。姪はまた、いい人を紹介したいと思っているがなかなか見つからないらしい。20代の婚活は爽快なチームプレーなのかもしれない。
母を見ていた私は、結婚したら幸せになるなんて言わない。でも、今、婚活をしている人がいたら、頑張って!若かったころの私より、ずっと真剣に考えて婚活してほしい。嫌な思いもいっぱいするかもしれない。マルチ商法まがいのことを勧められたり、結婚詐欺にあうかもしれない。たとえ、そうなったとしても、私は絶対あなたを馬鹿にしない。だから、たくさん乗り越えて、前だけみてさっと切り替えて婚活してほしい。応援してます。
私の人生は苦しくて楽しい。姪からは楽しそうと言われている。きっと、そうなんでしょうね。だから、もし婚活がうまくいかなくなって、一人で生きることになったあなたの人生もきっと苦しくて楽しい。結婚してもしなくても、人生って苦しくて楽しい。それも忘れないで。
参考資料
三省堂国語辞典 第七版
辻村深月「傲慢と善良」
※写真の器は手作りです。知り合いの人に手ほどきを受けながら作りました。楽しかったけれど、陶芸は向いてないなぁ。