noteが他人を認識するきっかけになったとは言いにくい
お元気ですか。ツギハギです。
「noteには脳のアウトプット能力が高い人が多くて驚く」
「知性にまみれた記事を読むとその人の解像度が一気に高まる=自分と同じ、人生を背負う一人の人間だと実感する」
前回、このようなことを書こうとして明後日へ脱線したので書き直したいと思います。
何故そんなに滑らかに書けるの
記事を書くのに平気で数時間かかる。
そもそも伝えたいことが語彙の中に見つからないことが多い。
だから脳のバルブをありったけ「開」にして何かが出てくるのを待ちますが、大体言葉の洪水を起こして手が止まります。
ドリンクバーサーバーで全種類一斉に放出したら、きっとノズルが詰まって緊急停止するでしょう。そんな感覚。
でもあなた方はスラスラ書いてみせる。過不足なく、しかもきれいな文章で。
皆がみんな物を書く訓練をしているとは思えない。特別な色の持ち主ではないはずだ。
今まで十把一絡げにしてきた「ドット絵の1ピクセル」のはずなのに。
何故そんなに人間くさいの
短文SNSや、味の感想より自分語りが多い食べログレビューを読んでも、向こう側に一人一人異なる人間がいると想像できないんです。
ステレオタイプな数種類の他人。顔や姿は異なれど頭の中身は似たり寄ったり。十人十色は言い過ぎだ、せいぜい十人三~四色だろう。
そんなふうに思っていました。
ところがあなた方は一人一人違う脳の回路を持っている。というか、他人の脳はこんなに複雑なのかと驚かされる。
好きなものが私と同じ人もいれば、私と似たような卑屈な方もいる。
私は他人じゃない。私は私だ。じゃあ、私と似ているこの人たちも他人じゃないということなのか。
いや他人は他人だ。じゃあ、本当に他人は十人十色だというのか。
更に、あなた方の中には、私より研ぎ澄まされた感性や思考の持ち主がいる。
悔しいを通り越して羨ましいというか、尊敬してしまいます。
複雑で繊細で卑屈な心情をスラスラ書くものだから、まるであなたの脳みそを自分に取り付けたような、あなたが自分にインストールされたような錯覚に陥る。
あなたを自分に継ぎ接ぎしたくなる
noteに特別な人が集まってる訳ではないんですよね?
単に「自分と同じく世間を生きる人」の長文を読める(頭の中を覗ける)場所に縁がなかっただけで。
となると、いつも通勤路ですれ違う武士みたいな御仁や、マンパワーやリソースくらいの認識だった職場の人たちにも複雑な思考回路が搭載されていて、一人ひとり微妙に異なる色を持っているのかもしれない。(食べログレビュアーにも)
そんな、中学生が倫理の授業で習うような当たり前のことを最近感じています。
それでもやっぱり、近くの他人より、遠くの他人の方が特別かなー。あなたのことですよ!
調子付いてみたり、自省的だったり、人間くさい頭の中をわざわざ書き出して見せてくれるんですから。私に対して見せてる訳ではないにしても。
本当に情操教育で済ませておくようなことをいい大人が嬉々として報告していますが、案外、きっかけなんてこんなものなのかもしれませんね。
結局書き出しと着地がズレてるような気もします。目次や見出しも自分が脱線しないために作ってるんだけどなあ。
あなたは何色ですか?
ではまた。
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