グレッグ・イーガン『闇の中へ』

"ワームホールは、生きることのもっとも基本的な真実を具現化している。
人は未来を見ることができない。人は過去を変えられない。生きるとはすなわち、闇の中へ走っていくことである。だからわたしはここにいる。"
━━『闇の中へ』

深夜、グレッグ・イーガンの短編集『しあわせの理由』に収録されている『闇の中へ』を久しぶりに読んだ。
この短編集は、自分が2020年に伊藤智彦監督の『Hello World』というSFアニメ映画をすすめられて見た際、SF好きな主人公が読んでいた作品で、もともとSF小説に興味があった自分はどこかの本屋で見つけて購入した。
そうすることで映画により深く没入できるような気がしたし、映画をきっかけに新しい作品に出合えることはよいことだと思ったからだった。

『しあわせの理由』というタイトルだけ見るとなんとなくSFらしくないような、例えば家族もののような印象を受けるが、収録された作品は多岐にわたるSF作品でいろいろと考えさせられるものもあり、SF好きだけでなく小説や映画が好きな人にもおすすめできる。
あの映画の主人公は高校生なのに、こんなハードな作品を思春期に読んで色々と考え方に影響を受けただろうな…どと想像すると、自分ももっと早く読んで、ひいては若いうちに多くの作品に触れていたかったと思わせた。

若いうちに本を読みなさい。映画を見なさい。芸術に触れなさい。音楽を聴きなさい。とよく言われるがその通りで、何かを経験するのに早いに越したことはないと思う。
子供のうちからいろいろなものに触れておくと世界観が広がるし、
「美しいもの」が自分の中で出来上がっていく。
それら美しいものは生きているうちに現実とのギャップから自分の中に傷を作るかもしれないが、変わらない逃げ場になってくれることもある。
少なくとも自分は子供の頃に多くはないが色々な作品群に触れていてよかったと思っている。


今回読んだのは先述の通り『しあわせの理由』収録の『闇の中へ』で
本の中では2作品目にあたる。
この配置も発行者の意図があるのかもしれない。

物語の始まる10年前から、世界には吸入口(インテイク)と呼ばれる黒いドームが出現するようになった。
インテイクは半径1kmの黒い真球の空間で、中心にはコアと呼ばれる半径200mの安全な空間がある二重の球体になっている。
そのためインテイクには外側800m分のドーナツ状の空間と内側200m分のコアに分けることができる。

インテイクは一定時間経過で消滅し、地球上の他の空間に再出現する。
インテイクが消滅する際にはコアを除いた空間の物質が地面と大気を除いてすべて消滅するため、消滅のタイミングまでに安全なコアへ移動しなければならない。
よくある時間経過で足場が落ちるタイプのゲームをイメージすると近いかもしれない。

半径1kmのインテイク内に一度侵入すると円の外側へ向かうことはできなくなり、壁が迫ってくる形で移動範囲が狭くなっていくため、内側へ進み続けて安全地帯のコアへたどり着くしか生き残る道はなくなる。
このとき、侵入者から見ると黒いドームが内側へ向かって収縮していくように見え、たどってきた外側の道は見えるようになるが、そこへ物理的・位置的に戻ることはできなくなり、それは死を意味する。

これは冒頭に書いた一文のように、過去に起きた出来事は明らかになっているため「見る」ことができるが、進むことのできる未来は闇の中であるという我々の「生きること」の形を具現化したものとなっている。

主人公のジョン・ネイトリーは高校に勤務する教師であるが、インテイクのこのあり方に意味を見出し、インテイクから人々を救出する侵入者(ランナー)として活動している。

作品はジョンがインテイク出現のアラームを聞いて起きるところから始まる。
そこから現場への移動、ランナー仲間との交流、インテイク内での救出作業をジョンの心理描写と並行して描いていく。

舞台は近未来だが、バキバキなSF的専門用語が出たりハッキングや戦闘のシーンが出てくるのではなく、かなり現代的な救出劇を描くもので、別の書評でもイーガンひいてはSF初心者でも読みやすい作品と評されていた。
ページ数も40ページたらずと短いながら「らしい」描写が濃密かつわかりやすく書かれているので個人的にもさっと読みたいときにお勧めしたい。
かなり映像をイメージしながら読みやすい作品だと思う。

個人的に面白かったのは
・インテイクの説明
・ジョンの心理描写
・映像的な描写 がよかった。

・インテイクの説明
インテイクは作中において、作中世界のさらに未来の文明が作ったワームホール発生装置の誤作動による事象と仮説が立てられている。
ワームホールは自分の理解だと遊戯王のあれが直近だが、作中の説明では別の空間、あるいは時空をつなぐトンネルのようなものでSF好きにはおなじみの概念だと思う。
本来は未来と過去をつなぐはずのワームホールだが、作中の誤作動により
未来と過去というワームホールの出入り口が「外れて」しまい、ジョンのいる時代にビタっと落っこちてきてしまったものと説明されている。
その結果ワームホールは変形し、インテイクという形になって現れた。

先に書いたようにインテイクは半径1kmのドーム状の空間で、
800m分の外側:ドーナツ状の危険な空間
200m分の中心側:安全なコア
で構成されている。
そしてこの外側がワームホールの入り口、コアが出口という形に圧縮されてしまっており、コアは観測できないほどのわずかな未来につながっている。
イメージ的には干していた筒状の洗濯物が落っこちて端の穴と穴が重なってしまったような形を想像した。

・ジョンの心理描写
作中で起こる出来事やインテイクのあり方に対するジョンの姿勢や考え方は経験を経たもの、活動にあたるものとして英雄的だが決して超人的なものではなく、我々が持ちうる考え方からシームレスにそうなったのだと説明がなされていて、共感をしながら読むことができた。
インテイクは時間経過で消滅するため、自然と時間がたつほどその危険性(消滅に巻き込まれてしまう)は上がっていくのだが、
ジョンからするとそれは確率の問題ではなく次の瞬間にインテイクが
「消えるか」・「消えないか」の2択問題であり、消滅確率は上がっていくものではなく常に一定であるとしている。
この考え方をする理由はジョンでないのでわからないが、確率が上がることに焦ったり気にしたりして作業に支障が出ないよう考えるようになったか、実際救出作業に従事して考えなくなったのかというふうに考えている。

・映像的な描写
本作は調べたところ映像化はされていないようだが、作品を読むとかなり映像的な仕上がりになっている。
現場への移動シーンやインテイク内での救出作業などはアクション映画的で、またニューロマンサー的なSFらしい抽象的で幻想的な風景描写も出てくるが、映像的でありながら動きの少ない描写がなされるためかなり情景をイメージしやすい。

最近は日中具合が悪く、夜にかけてやっと調子が出てくることが多い。
人からの連絡を見たりコンテンツの消費すら日中はできないでいたがいざ深夜になってみると目が冴えていい気分になったため、こんな読書感想文を書いてみたくなった。

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