3月1日 恋愛
実家に帰ってきて数日、私は、分厚い本を読んでいる。今読んでいるのは、小説とは何か模索する話である。小説ではない。
今日は土曜日ということもあり、父がお休みだった。私は朝から美容室に行き、雀の涙ほどの髪の量を切ってもらい、父も利用サービスで髭を剃って貰ったり髪を切ってもらったりしていた。私はショートボブぐらいが良かったので、あまり切らなかった。母に、「短すぎるとおばさんみたいやで」と言われていたので、あまり切らなかったのである。これでも22歳なので、おばさんに見られるのは少し早すぎる。いつかくるとはいえ。
お昼は唐揚げを食べて、父が隣でテレビゲームするのを眺めていた。分厚い本を開いて読んでいるとだんだん眠くなってきて、記憶が定かではないが数時間眠っていた。4月から新社会人。あと一ヶ月しかない。もっと言えば、卒業式まではもう2週間を切った。もう私は学生ではないのだ。その事実は、少し私を甘酸っぱい気持ちにさせる。新しい職場は図書館で、本を整理する仕事をするというのだが、あまりちゃんとしたことは教わっていない。私は障がい者雇用で契約社員なので、一生そこに勤めることはできない。しかし、図書館で働いている間に司書の資格を取ることはできる。司書ってあまり儲からないらしいけど、大好きな本に囲まれて仕事ができるのだったらそれは本当に幸せなことなので、司書の資格を取ろうかどうか迷っている。
今日は私の悩みを書きたいと思う。小説を書いているときのことである。
私はよく「〇〇はーーーした」という言葉を使ってしまう。これを多用すると、単調な文章になってしまうような気がするのである。しかし、他に解決法が思いつかない。どう書けばいいのか、頭がフリーズしてしまうのである。これは単純に記述力の問題なのだろうか。私の勉強不足ということだろうか。もっともっと本を読まねばならないということなのだろうか。勉強します。
悩みというのはたくさんあるのだが、大体は痩せればなんとかなると思っている。恋愛だってそうだ。実は好きな人も、いたのだが、なんとなく噛み合わなくて、付き合うまでは行かなかった。私がもっと可愛かったら、変わっていたのかななんて思うと少し切ない。
そもそも、恋愛って難しい。アドラーも言ってた。恋愛は人間の仕事の中で最も困難であるって。それは主体が私、から私たちになるからだと。私はアドラーが嫌いだが、そのことには頷かざるを得ない。確かに、難しい。私の親友で1年間お付き合いを続けているというカップルがいるが、彼女らは本当に難しいことをしているのだと思う。こういうのは、巡り合わせもあるから焦らなくていいという意見もあるだろう。しかし、人生は一度きりである。こういうふうに書いていいのかわからないが、自分のことを好きと言ってくれるような誰かがいるのは嬉しいことだ。
燃えるような恋がしたいという気持ちと、少し怖いという気持ちがある。でも人生は一度きり、それなら、私だって恋がしたいし、素敵な彼氏が欲しい。一緒にゲームしたりたわいのないことで笑い合ったりできるような、そんな存在がいて欲しい。
これって、推し? ってことなのだろうか。じゃあ、推しを作れば叶う気持ちなのだろうか。
私には推しがいる。シャーロック・ホームズだ。
彼はきっと永遠に私の胸の中にいる。星のような人だ。
大好きなんだ。本当にかっこいい、それも、コナン・ドイルが書いたホームズがいい。高校生の頃は頬を赤らめながら、全巻必死で読んだものだ。それぐらい、大好きだ。
まあでもホームズにはワトソンがいるけどな。け、やってらんねえよ。
結論。ホームズを心の中で飼えばオールオッケー!