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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語56

「母に謝りたくなります」


2018年夏
夢のようなハワイ旅行からちょうど1年が経った頃のことです。
母の定期検診に付き添っている妹からLINEが届きました。
「やばい!肝臓にしこりがあって血液検査の結果数値が高いって」
「国立病院にCT検査に連れていく」
「え、この間は異常なしだったよね」
母には8年ほど前に私と同じ乳がんが見つかっていました。
同じ先生にに診て頂いていて、乳房の全摘手術を受けていました。
私は右乳房、母は左乳房がありません。
けれども経過は良好で、私と同様に投薬治療だけで、毎月一回きちんと検診を受けていたのですが、肝臓に転移してしまいました。
まだ初期だったこともあり、しばらくは薬の種類を変えて治療をすることになりました。
ガン末期の父の苦しみを目の当たりにしてきた母はどんなに怖かったことでしょう。
主治医の先生から、新しいがん治療を含めていくつかの治療方針の説明がありました。
けれども、84歳という年齢や本人の希望を聞いて、新しい治療は行わず、積極的な治療は副作用の少ない服薬だけになりました。

この時、私はまだフルタイムで仕事をしていたために、実家へもあまり行けず、時々電話で様子を尋ねるくらいのことしかできませんでした。
母の気持ちに寄り添えなかったことが、今でもとても悔やまれます。
父を亡くし、きっと寂しかったのではないでしょうか。
「あまり長生きはしたくない」
「みんなに迷惑をかけずにぽっくり死にたい」
といつも言っていました。
がんと戦うための生きる意味が見つけられなかったのでしょうか、
もっと母の気持ちを聞いていたら、一緒にがんと戦えたかもしれないと思うと、母に謝りたくなります。

転移が見つかっても始めのころは、みんななんとなく暢気に構えていました。
母も小康状態で、特に自覚症状もなく、薬が変わっても副作用に悩まされることもありませんでした。

そんな中、次女はカナダへ語学留学に旅立ち、私も初めて一人で車椅子ツアーに参加。
淡路島大塚国際美術館など2泊3日の旅を満喫したりしていました。
一人旅の気楽さを知ってしまった私は、秋には台風が予想される中、新潟へ1泊2日の小旅行、念願の小田和正さんのライブに一人で初参戦。
そして、10月にはフィリピンのアグタヤという島全体がホテルになっているリゾートに娘たちと旅行し、のんきに楽しんでいたのです。

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