半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語⑥
ぶんなぐってやりたい
お昼を知らせるチャイムが鳴り、廊下には長い列ができ始めました。
障害がある人も、無い人も作業着姿です。
ランチは広い社員食堂のようなところで、お盆を車椅子の膝の上に乗せ
セルフサービスで給食をいただきます、
こういうことも初めての挑戦です
「小盛おねがいします」
「はいよ~」
調理員の方が温かい料理を盛り付けてお盆に乗せてくださいます。
最初はひっくり返しそうで心配でしたが、
車椅子の方が皆さん上手に運んでいられたので
見よう見まねで何とか昼食にありつけました。
「いただきま~す!」
「おいしい!」
「食事は、温かい料理は温かくして、
冷たい料理は冷たくして提供すること」
という所長さんの方針が守られていました。
見習い期間は「とにかく慣れること」に徹し、
午後3時にタイムカードを押して
「お先に失礼します」
「お疲れ様、また明日ね」
と帰らせていただいていました。
さて、また運転をして帰らなければなりません。
もう、くたくたです。
私は、ポリオという感染症の後遺症で、ただ歩けないだけではなく
側彎という後遺症もあります。
側彎というのは、背骨がS字にカーブして、その上ねじれているのです。
座っているのが大変なので、コルセットをつけていますが、ちょっとずれてしまったり、長時間同じ姿勢でいると腰や背中に痛みが出てきます。
なので、仕事をした後の帰りの運転はかなりしんどく、
途中でしばらく運転席をリクライニングして休むことが必要でした。
帰り道、いつものお気に入りの駐車場
桜の木が何本もあり、眼下には川が流れているちょっとした景勝地です。
愛車のスターレットを停めて、
窓を開け、
背もたれを倒し
ふ~っと深呼吸
「今日も頑張った!」
「あんたはえらい!」
自画自賛して、しばらく休んだら
さあ、帰ろう!
私を車から抱えておろしてくれる
父が待っていてくれる!
・・・?
父はこんな時間に家にいたのでしょうか?
仕事は?
?
あれ?
誰が下ろしてくれてたんだろう
・・・?
ま、いっか!
私の上司、M主任はその後
M課長になり、
M部長になり、
M所長になり、
その施設をどんどん大きくして、事業を拡げ
建物を建て替え、ついにはセンター長、
そして法人の理事にもなられた
とんでもないスーパーウーマン車椅子ユーザーでした。
そんなM主任は私に
社会人としての基本から、
仕事の初歩の初歩から、
人としての在り方から、
車椅子ユーザーとしての心得等々
たくさんの色々なことを
丁寧に丁寧にご指導くださり、私が一つずつクリアするたびに
めちゃくちゃ褒めて、認めてくださいました。
ほめられると調子にのる私は、どんどん自信をつけ、
かなり調子に乗っていました。
この施設には、一般企業からの下請け作業を指導したり、
企業との連絡や営業などをする作業部門というところがあり、
責任者を工場長と呼んでいました。
当時の工場長は、大学で講師か教授をされていた偉い方で
定年されたところをお願いをして、
作業部門をお任せしていたのだったと思います。
ある日、作業部門の事務所で、その工場長と私は対立していました。
内容はよく覚えていませんが、
売上の分配方法についてだったかもしれません。
すっかり調子に乗っていた私は、
正論を振りかざして工場長を追い詰めてしまったようでした。
工場長はこぶしを握り締め
「ぶんなぐってやりたいよ!」
人生で、後にも先にもそんなことを言われたのはこの時だけです
(あ、この先はもしかしたらあるかもしれませんね)
びっくりしましたが、
「あ、対等に見てくれている」
と感じて、工場長が大好きになりました!
この職場では、他にもたくさんの経験をさせて頂きました。
初めての海外旅行、M主任の勧めで
3年間貯めたお給料をぜ~んぶ使って
10日間の車椅子ヨーロッパツアーに一人で挑戦!
はじめましてのボランティアさんと10日間同室で過ごしました。
福祉先進国の視察研修が目的でしたが
夢のような10日間を満喫
ストックホルムの空港で車いすを押してくれた
イケメン空港スタッフに一目惚れ
アムステルダムのホテルの朝食は初めてのルームサービス、
サービスしてくれた背の高いホテルマンにキュンキュン
パリでは夜のショーで初めてのシャンパンに感動
飲みすぎて二日酔い
「どうせ、また来るからいいの~」
とか言って、何も観ずにバスで寝てばかりでした。
挑戦も、失敗も、幸せも、落ち込みも、
笑い、泣き、憤り、も
全てが今の私になるためだったと
こんな風に思えるのは
年を重ねたおかげですね。
はい、皆様に感謝です。