信じてきた幸せとは?
2022/10/1 Awareness and Action 1
真面目に生きていれば間違いない。
この言葉を幼い頃からずっと守って生きてきました。
おばあちゃんも両親も、お天道様がみている、真面目に生きていれば
いつか報われると話していました。
確かに真面目に物事に取り組むことは大切です。
しかし、私はその
『真面目』
という言葉をだいぶ頑固な解釈のもとに生きてきたように感じています。
真面目の反対は不真面目
私のなかでの
不真面目なこと=遊ぶこと、ダラダラすること、休むこと、
この3つをしてはいけない
していることは悪いこと
遊んでいる時も休んでいる時もどこか罪悪感を感じている
だから仕事を休んで遊びに旅行に行ったり、デートを楽しんだりすることも
いいなあと感じてはいるものの、心のどこかで悪いことをしてしまう悪い子にはなりたくない、良い子でありたいという典型的な優等生な自分が勝っていました。
真面目に生きていれば、いつか幸せになれる。
そう信じて生きてきた今、私は、どんな幸せを感じているのか?
どんな幸せを望んでいるのか?
悩みながらも真面目に診療に向き合ってきたおかげで
医院にもスタッフや患者さまにも恵まれて仕事ができていること、
衣食住不自由なく暮らせているということ
とてもとても幸せなことです。
しかし、私の体とこころの現状は・・・
歩くと足のかかとが痛くて歩きづらい
夜は疲れて寝てしまう
走る元気がない
デートする時間もない
旅行に行くにも時間がない
パートナーを探す前に自分が休みたい
部屋もすぐに汚れていく
後回し案件が山積み
やりたいことができない
本も積んでいるだけ
生理も不順
旅行や自由に時間を使っている人をいいなあと羨んでいる
これが信じてきた幸せなのだろうか???
誰が感じる幸せなんだろうか?
何かがおかしい。
私が味わいたい幸せがあるはず。
体と心を満たすことなく真面目に生きることは、私にとっての幸せではない
そのことに夜中の4時にやっと気づいた1日目。
noteに書いたことが初めの一本の行動。