光る君へ 中宮彰子に感じた違和感と普通の軽音部の主人公に感じなかった違和感

ゲームでもドラマでもジャンル問わず、作品において意図しない違和感は取り除かれることが好ましい。
キャラクター造形においてもこの通りで、できる限りノイズを排除してこそ自然なキャラが生まれる。

中宮彰子は、内気で周囲に心を開かない少女として描かれ始めるが、当初その演技はとてもハマっていて、何も話さない物憂げな少女が紫式部と出会うことでどのように変わっていくのかが楽しみだった。

ただ、あれほどまでに暗く天皇や母親にすら返答することもなかった彰子が、まだ出仕して日も浅い紫式部に「私は冬が好き、空の青が好き」と唐突に自分の話を笑いながらするシーンに違和感があった。
自分が視聴者として見てきた中宮彰子は、他人にそう簡単に笑顔を見せる人間じゃないだろう。と。

少し話が飛んで、今日「普通の軽音部」というまんがを一気見した。
主人公がただの根暗ではなく、ボーカルの才能がある超絶主人公をしてる時点で全く「普通」ではないのだが、高校生あるあるの悩みやお決まりの友情もの、程よいギャグを詰め込んでテンポよく読める作品という感想だ。
バンドメンバーに参謀的な暗躍するキャラがいるのは新鮮だが、それ以外の展開はあるあるなので、突出してその良さをあげるのは難しいが、強いて言うなら主人公が根暗でネガティブ思考の割には、捻くれず、ひたむきな謂わゆるジャンプ漫画主人公的な好感の持てる人物として描かれてる点だろうか。
実は地味で根暗でネガティブ設定だが、漫画の中ではいうほど暗いキャラじゃない。
初めてギターを買うワクワク感や誰もいない視聴覚室でこっそり歌ってしまうなど、主人公が1人でいる時に、誰もがちょっと憧れるささやかなイキリをやってくれるところ、そこが上手くギャグとして表現されているので、話全体としては根暗だけど面白いやつ、みたいな立ち位置になっている。
もう一点、主人公が時々主人公っぽい思考になる時がある。それは、ボーカルとして初めて人前で唄った時に、1年生として一目置かれてる上手いやつらに歯牙にもかけない感じで笑われるシーンだ。
ここで、普通ネガティブ思考のキャラならガッツリ落ち込んで周りになんとか励ましてもらって立ち直る展開を予期するが、ここで主人公は笑われて悔しがり、更に勝手に開き直って自主練回へと持ち込む。ダメ出しで、自主練の弾き語り中にやってきた中学の同級生の歌唱力に圧倒されながらも自分に足りないものを瞬間的に見つける客観性を見せる。
改めて考えたら普通そうならんやろ、と突っ込みたくなるが、漫画の流れを読んでいると寧ろその意外な展開に嬉しくなる自分がいた。そうくるか、みたいな。

話を元に戻す。
中宮彰子が、唐突に紫式部に見せた笑顔の違和感は、根暗のくせにポジティブに切り替えられる「ふつうの軽音部」の主人公に感じなかった違和感との違いは以下と考える。
・紫式部に出会うまでに彰子が内気という側面以外を見せなかった
・彰子が笑顔を見せる場面になにもきっかけのような話がない

前者においていえば、手前で敦康親王と仲良さげにやりとりしているが、それすらも経緯が描かれてないので2人がどのように信頼関係を築いたかがなく、ただ一緒に長い時間を過ごしたから打ち解けたんだろうという想像しかできない。そこにエピソード的なものは存在しない。
別に敦康親王とのやりとりじゃなくとも、彰子が1人で好きなものを見て微笑むシーンを少し入れるだけで、ただ黙って暗い顔をするだけじゃないんだというイメージを視聴者に持たせられたかもしれない。

後者において言えば、鳩野が一目置かれてる同級生に笑われるというショッキングな出来事から主人公マインドが覚醒するような一場面がとりいれられたらよかったのではと考える。
個人的には、彰子の好きな色をさりげなく紫式部が気づくとか、屈託なく接する敦康親王と真っ直ぐに接してくれる紫式部との間に通じるものを感じて自然と心が開くとか、視聴者に彰子という人物が自然に伝わるようなもう1クッションがほしかった。

もちろん、大河という大長編を書くにあたって、細々としたエピソードを入れる余裕はないかもしれないが、その小さな違和感が、他の心を動かすようなシーンや演技を見ても頭の片隅に引っかかって気持ちよく視聴できないのである。
今週も闇堕ちした清少納言の殺意を抱くような表情や皇子が産まれた時の影で半顔が隠れて見えない道長、ようやく心から笑えるようになった彰子の演技を見ても両手を広げて喜べない気持ちが残る。

違和感が残るとは、そういうことだとひしひしと感じる。自分も常にものを作るにあたってその違和感を極力排除していきたいと思った次第だ。


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