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私とミュージカル「憂国のモリアーティ」!!

そういえば今までまとめてなかった。
自己満足なので思う存分!!!の気持ちで
自由に書いてみる。やっぱり好きなんだー!!
大好きなんだよ!!!という振り返り、
再認識の為の文。(理由をつけるなら、
コンサートも開催している時期なので。)
モリミュの民から見ると多分当たり前のこと
しか書いていない。
本当は一つ一つ記事を分けて書いていきたい。
が、気力がないので感想ダイジェスト。
前回Op.5の感想は真面目に描いたけど、
今回は文をちょっと崩している。
真面目に描きたい時と、崩したい気分の差。

ミュージカル「憂国のモリアーティ」こと
「モリミュ」は、自分の中で大変思い入れの
強い作品で、出会いは一年半前に遡る。
メディアミックスにありがちな原作そのままの
再現ではなく、脚本や演出が物語を一から
演劇として再解釈・再構成しており、そこに
創造性を見出せたというポイントはかなり大きい。
もちろん、オタクのノリで楽しめるエンタメ要素や
大衆性のみを重視する作品も世にはあるけれど、
モリミュは「人として」心に響く要素を
持っていた。
原作を再解釈・再構成すること自体は、
演劇界や文学的にはスタンダードかも
しれないが、漫画原作の「メディアミックス」
の中ではあまり出会うことがない。
だから、稀有、という言葉がこの作品には
きっと似合う。
アニメは放送時に視聴していたし、その後に
原作の「憂国のモリアーティ」を1年ほどかけて
少しずつ最新刊まで読破したところで、
ミュージカルの過去作配信(Op.1〜Op.3)を
知った記憶だったような気がする。
そう、憂国のガチ勢ではないけど、
ただの原作勢としてそれなりにハマってはいた。

私は今まで「2.5次元」に強い偏見を持ちながら、「2.5次元」になぜか(なぜ?)興味を持って、
最初にモリステ(舞台版)を観ようとしたけれど
配信では当時、観る手段が無かった。
失礼すぎるけど、消去法でこれから配信
予定のモリミュを観るか、になった。(消去法)
そもそも最初に興味を持ったのはモリミュでは
なくてモリステだった気がする。
しかも...確か、俳優さんの顔が良いな...?
という漠然とした理由で。
今思えば作品に“意味”を求めがちな私は
断然モリミュ派でしかないというのに。
あの時の安易な私を殴ってやりたい。
聞けーッ!お前は!モリミュに狂うんだぞ!!!
モリミュは、メディアミックスの定説を
覆した作品だと思っている。
人生で初めて自ら興味を持って劇場に足を
運び、観劇する演劇作品がこの作品で
本当に良かった!

Op.1

ドキドキしながらリモコンをポチポチ。
原作勢として警戒しまくりながら見たものの、
期待を超えてきた。
初見時の衝撃を一つ、挙げるとするなら。
これはもう、モリミュを観た人なら
言わなくても分かる。(と信じて...)
異彩で、引力を持ち、決して視線を離すことが
できない。目が自然と追いかけてしまう。
独特の台詞回し、柔軟すぎる自由な身体表現。
平野良さん演じるシャーロック・ホームズこと、
平野シャーロック。
シャーロックが初登場してからまだ間もない、
ノアティック号のシーンの
「俺が興味あんのはあっちじゃなくて、こっち」
のセリフの時点でかなり、興味がそそられた
記憶がある。
平野さんの演技を観た時の衝撃と言ったら、
形容しようがなくって、!?!?何なのこの人!?!?!?と脳が好奇心一色になる。
まるで犯罪卿の影を追い求めるシャーロック
みたいになってしまう。
(それを“魅力という至高の謎”と言うのだ!)
それにきっとOp.1では多分純粋に、
彼は色気の調節を間違えている。
と思うくらいクールでセクシーだった。
その視聴後に書き殴ったメモを見返したら
「原作の再現度200%」と書かれていたので、
思わず笑ってしまった。言いたいことは分かる。
モリミュという作品自体も同じ性質を持っている
けれど、原作のシャーロック云々ではなくて、
「平野シャーロック」で確立した人物像だな、
と強く感心したのを覚えている。
それまでの自分が演技、という言葉から
イメージできるのは、もっぱらテレビの中の
ドラマや映画の俳優だけで、自ら興味を持って
演劇に触れたことがなかった。
特に演技そのものに惹かれた経験がなかった私は、凄まじい衝撃を受けた。純粋に、感嘆した。
そんなこんなでOp.1を見終わった後は、
平野シャーロックが頭から離れなかった。
恋したのかな、、と不安になるレベルで。
多分、平野さんがシャーロックでなかったら、
そこでモリミュを観続けていなかったかも
しれない。
本当に生演奏とか、民衆のアンサンブルさんとか、魅力は山ほどなのだけれども、特異な
興味深い点として、彼はあまりにも魅力的過ぎた。
後から知ったことだけれど、あの鼻にかかる
アクセントを鼻濁音って言うのだな、とか
発見があったのも楽しかった。
新しいことを知っていくのは楽しい。

Op.2

100%平野さんのシャーロックを見たい、
見るんだ!という目的で視聴したのがOp.2。
エンタメ感強め、メロディも軽快で楽しさも
ありつつ、シリアスもシンプルで分かりやすい。
多分シリーズ中で一番テンポが良い。
列車の場面、「二人の探偵」の鈴木ウィリアムと
平野シャーロックのとんでもない早口のかけ合い
には度肝を抜かれた。こんなに難しそうなのに!
その少し前の「ウィリアム・ジェームズ・
モリアーティ〜♪」はとてもミュージカル風に
音程が上がるのでテンションが上がる。
「俺はジェファーソン・ホープを介して〜」
から予測できないようなアクセントが
置かれる、謎の早口推理。これこそもう
平野シャーロックの醍醐味だと言っていい。
モリミュの名探偵のアイデンティティと
言っても過言ではない。
シャーロック&ジョンの「大作戦」もコミカルで、
普通にワクワクする。
「どこでもお好きに〜!?」の音程といい、
本格ミュージカルのようで。
この場面は、元宝塚でもあるアイリーン役の
せしるさんとシャーロック役の平野さんの歌の
レベルの高さにより、クオリティの上限がバグを
起こしていた。
もう一つ、印象に残ったシーンは、アイリーンと
別れた後、シャーロックが涙ぐむところ。
原作とは異なる、感傷的な表現になることが
驚きだった。
ミュージカル独自の、シャーロックの繊細な
機微が現れていて、こっちの情緒がぐちゃぐちゃに
なった。メモを見返すと「私の情緒返せ」と
書かれていた。何だこれ。

Op.3

Op.3の舞台美術が好き!好きだ。
あのレンガ調の、クラシカルな雰囲気が
どうしても刺さってしまう。
ちなみに私が作品として本格的にモリミュを
好きになったのはOp.3だった。
(好き、というより感化、の方が正しい気も
するが。)
序盤。ジョンが語り部として観客に語る中、
スクリーンに映し出された犯罪卿のシルエットに、
シャーロックがおもむろに手を伸ばしている
シーンがある。そのシャーロックを見て、
思わず微笑んでしまった。
その姿、まるで幼い子どもが、手が届かない机の上に手を伸ばす動作にそっくりだと思った。
机の上には魅力的な、興味をそそる何かがある。
でもまだ届かない。
幼い少年のような純粋な好奇心で、彼は期待して
見えない机の上に手を伸ばしたに違いない。
人生最大の、至高の謎というものへ向かって。
少しおかしく、無性に可愛らしい、
平野さんの演技の引き出しの多さに驚いた。
(私が勝手に受けた印象のイメージなので、
平野さん本人がこう意図されたのかは不明。)
ウィリアムとシャーロック、2人のセリフが
揃う、「冤罪だ」「ヤードの上層部に
よる、捏造だ」という場面。
難解に見えるそれをやりのけてしまう、
鈴木さんと平野さんに畏敬の念を抱きながら
鑑賞していた。ワクワクする。
元劇団四季の奈良坂さんのアータートン主任
警部だったり、低音の歌声の迫力が凄まじい
藤田さんのミルヴァートンだったり。
とにかく贅沢なのがOp.3だ。ただすけさんの
作曲されるメロディも進化していて、
より本格的なミュージカルになっていた。
ジャック・ザ・リッパー事件で、シャーロックが
「嘘か真実」か葛藤するシーンも良い。
とても人間らしい。ここで、犯罪卿の“義賊”と
しての思惑を理解してしまう→「一人の学生」で
ウィリアムの憂国思想に共鳴する、という流れが
原作より自然で分かりやすいと感じた。
名曲「巡れ輪舞曲」。皆が好きなやつでは。
操られるシャーロックが可愛い。
(と言っていいのか分からないが可愛い。)
鈴木さんと平野さんのアイデアだと聞いた時には
ひっくり返ってしまった。(天才だ!)
ピアノとヴァイオリンは優雅な音色で、
それにアンサンブルさんの振付も上品で、
どこかロマンチックな雰囲気なのが良い。
華やかさがあって。
初見の配信から半年後に改めて気付いたことは
心の輪舞曲のダンス、男女と男男のペアで
踊ってるんだ!という発見。人数と表現の
関係だとは思うけれど、新鮮だと思った。
最も衝撃的だったのは「一人の学生」。
ダラム大学で机に向かい、ウィリアムと
シャーロックが2人で笑い合うシーンがある。
ハハハッ、と楽しそうに笑う何気ないシーン
だけれども、この演技があまりに自然だった為、
私はこの上なく驚いた。
エッ!?人間だ...!?!?
キャラじゃなくて人間だー!と。
Op.3を観終わった後は放心していた。
人間ってこんな自然な演技ができるのか。
(今までも十分自然だったけれど、ここは特に
そう感じた。)
いやそもそも、彼らは元々ただのキャラクター
再現なんて目指してはいなかった。
創造性を求め、躍進し、高次的な解釈で
ミュージカル「憂国のモリアーティ」という
作品を作り上げようとしていたのだ。
それなのに、私はただのメディアミックスだと
思い込んで、それはとんでもない誤解だった、
と強く反省した。私は原作を読んだ時に、
ここまで再解釈する余地を見出せなかったし、
演劇というものが人間の本質を追求し、
普遍的な芸術的側面を持つというところまで
なぜ考えが至らなかったんだろう...!?と思った。
いや考えが至るわけがない。できない...。
とても浅はかだった...と作品に対してひれ伏すような気持ちだった。固定観念が粉々に砕け散った
ような、カルチャーショックに似た衝撃。
勝手に「メディアミックス」や「2.5」という
レッテルをこの作品に貼ることを完全にやめた。
一つの作品として確立した時点で、
これらのカテゴライズはもはや不要だった。
心情描写に力を入れ、ウィリアムとシャーロックの機微がとても自然に描けていたと思う。
なにせ、主人公2人がビル君の背中を押す曲
「扉をあけて」は自然と暖かい気持ちになって、
笑みが溢れてしまう。その後の切なさ、悲哀の
情感もよく伝わってくる演出だった。
人間が演じる目的や意味が明確で、現実的な、
ドラマティックな印象を与える「モリミュ」の
作風。Op.4のチケットは既に取っていた。
私、こんな凝った作品を現地で見るのか...
勇気出ないな...。
でもこんなすごい作品だからこそ、見なければ
ならない、という使命感に駆られて劇場に
向かった。

Op.4

私が一番「モリミュ」シリーズで
気に入っているのがOp.4。
初現地なので思い入れが大変強い。
どっしり重い世界観に、更なる静かな優雅さと
落ち着きと上品さがある。
個人的にシリーズ史上一番濃い世界観だと思う。
モリミュはいつも表現技法が多様かつ新鮮で、
毎作品安定して面白く、こういう作品には
なかなか出会えない。
冒頭の「歪みしこの国」。
この場面は今でも大好きで、Blu-rayで
何度観ても飽きない。
貴族側の歌詞、「血と汗流して我らを潤せ」
なんてフレーズ、恐ろしくてゾッとしてしまう
のと同時に日本語の語感がとても綺麗で、
美しささえ感じる。モリミュらしい。
よくこんなフレーズを思いつくものだと
感心させられた。
シャーロックのソロ、「I Will」は青基調の照明が
ため息が出るほど美しい。うっとりする。
全体を通してOp.4の照明は、万華鏡みたいな
模様が舞台にクルクル映し出されていて、
趣があった。Op.4から特に「モリミュ」として
世界観が確立しているイメージがある。
どんどん洗練されてきた。
いつもシャーロックのソロで「人の世」を表す
民衆のアンサンブルは、探偵の心情に深みを
出していると感じる。いなくてはならない
不可欠な存在だ。
一幕最後、「罪の衣を身にまとい」の場面。
当時目にした時は凄まじい衝撃を受けた。
民衆の怒号が怖い。
それに「罪の衣」の登場には混乱した。
ウィリアムの「Ahー!!」と民衆と貴族の
「犯罪卿ー!!!」の叫びにはまるで脳が
直接掴まれたかのような歌声の圧だった。
この迫力は現地でしか体感できない。
観終わった後は、腰が抜けたように
ただただ放心していた。
心なしか周りの人もそうだったと思う。
幕間はトイレの待機列で「惨めなウィリアム
良かったな」なんてぼんやり思っていた。
あんなに人間らしいもの。
ただ、「なぜあの表現なんだ」という疑問が
頭に浮かんだ。ようやく考察ができるのは
観劇後数週間から数ヶ月で、現地ではただ
舞台上の情報を受け取る努力に徹するしかない。
目で見て楽しい、聞いて楽しい、終わった後も
考えて楽しい、みたいな文章をモリミュの
インタビュー記事で見かけたことがあるけれど、
まさにその通りだと思う。
罪を決めるのは民衆、だからあの場面で
“濡れ衣”としての罪の衣を、(キリストを
モチーフにした)ウィリアムに着せるのは民衆、
だと書かれたアニメージュの記事を読んだ
時には、そういうとこだよ、モリミュ〜!!
とたまらない気持ちになった。
インタ記事、パンフレットのキャストや
演出家の方々の文章を読んでいると分かる。
モリミュって、製作側の再解釈が理路整然と
しているのだ。上手く言語化できなくても、
観た時に瞬時に納得させられてしまう感覚を
覚えるのは、ちゃんと理由があるからだ。
それに「人間らしさ」や「人間の本質」を
表現することほど、強い説得力を持つものは
ない。伝えたい熱意はしっかり観客側に
伝わってくる。私も一観客として恥じぬよう、
しっかりその意志を受け止めよう、とOp.4で
決意した。
二幕ではジョンとシャーロックのデュオ、
「この空の下」が気に入っている。
爽やかな友情が青空の下で輝く曲で、思わず
胸が暖かくなるような、そんなシーンだった。
間奏の「そうやってすぐ抱きつくなよ!」
パートのヴァイオリンの音色が大変好みだ。
そして、シャーロックの嫉妬が可愛い。
その少し前の場面の「追い立てろ」は
船を屋敷の舞台セットの柵に見立てる演出が
面白かった。そう表現するか〜!という。
こういう想像力を掻き立てられる演出が、
演劇を観ているという満足感を得られるから
好きだ。船の縁に足を乗せるシャーロック、
お行儀が悪い。私はシャーロックが度々首を
ひょいと傾げる仕草が大好きなのだけれど、
前世はもしかしてインコなんじゃないかと
思うくらい、あれは自然なインコっぷり。
シャーロックの身動きの軽さはクセになる。
三つ巴も名場面と言えるが、最も強く記憶に
残っているのはニ幕最後近くの
「I Will Catch You」。
シャーロックの「I will catch you!!」の
叫び方と、ピアノとヴァイオリンのメロディは
何とも言えない情感があった。
激しいシャーロックの感情と、芸術性のある
メロディが織り混ざって、そのメロディから
連想される世界観にただただ圧倒された。

「お前の心捕まえてやる〜」を初めて
聞いた時は何だ、お前の心って。
どういう意味?心を捕まえるのかよ!と
ツッコミしながら思っていたのだが、
Op.5を観劇した後に理解できた。
「俺がお前を捕らえてやる〜」歌詞部分の
演出は、Op.2でアイリーンを救おうと歌う楽曲
「希望の光の射す道は」にて、
「人の世は無数の糸もつれ合う〜」部分の
アンサンブルさんの民衆像「人の世」が
背景に現れる演出のリフレイン。
(照明も似ている。)
Op.2では気持ちの対象がアイリーンだけれど、
Op.4ではウィリアムになっている。
つまり、シャーロックの言う「お前の心」とは
ウィリアムの国(人の世)を憂う気持ち
=憂国思想 なのでは、いう結論に至った。
言葉だけ聞くと何を指しているのか分からない。
「お前の心捕まえてやる」=「国を憂う気持ちを
理解した自分がいることを分からせてやる」
という、めちゃくちゃ分かりにくい
シャーロック語だった。理に適ってるのでヨシ!

「お前の心捕まえてやる」でサビが終わると
思ったのに、予想外の音程で来たので、
観劇後は一幕最後と同じように
放心していた。よっぽど衝撃だったのか、
現地の二幕最後の曲「運命の車輪は
止まらない」の記憶が私には無い。
それくらい強く印象に残っている。
Op.4、現地で観れてよかったなぁ。

さいごに

Op.5は既に別記事に感想を詳しく
書いてあるので省略。
あの素晴らしい楽曲が一定期間上演された
だけでは勿体無い、と思っていたので、
コンサートが開催されて嬉しい。
できればキャストを変えずに再演もあったら
なんて思っているが、このまま幕を閉じても
いいと思っている自分もいる。寂しいけれど。
推しの平野シャーロックと、
多様な解釈の捻りが見出せる演出、
唯一無二の悲哀や表現、
作品の思想が大好きだった。もちろん今も。
本当にモリミュありがとう!の気持ちで、
終止符となるこのイベントの開催を喜びたい。
ずっと大好きだよ!!!!モリミュ!!

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