食欲の秋に思うこと
こんばんは、お久しぶりです。前の記事を書いてから色々忙しくて間が空いてしまいました。この間に何があったかもいつか記事にしようかな。
実は最近自分で料理をすることが増えて、今日もポークチャップならぬチキンチャップを作りました。まだ味見をしていないので美味しくできたかはわからないけれど。それで、料理を作ると同居人が「少し食べてもいい?」って言うんです。食べること自体は良いのだけれど、私としては味に自信がないし、他の人に食べさせる前提で作っていないから緊張しっぱなしで。そんな自分に気づくたび、私は自分の父親の事を考えます。
父はおそらく世間的には珍しい「専業主夫」です。私が小学生のころ、一家で引っ越しをしなければならなくなりました。でも母は仕事の関係上実家から動けず、代わりに父が子どもを連れて引っ越しました。親戚から「男の貴方に家事ができるの?」と引っ越しを反対されても「3か月で全部完璧にしてみせますよ」と断言し、実際にそれをやってのけた。恐ろしいほど優秀で有能な父でした。
そんな父が毎日やっていたことの一つがお弁当作り。二段弁当の一段目にはご飯、二段目には3~4種類のおかずが入っていて、子どものリスクエストを受け付けたり、買う食材の産地にも気を遣いながら作っていました。でも、そんなお弁当を私は半分ほど食べて捨てていました。
書きながら震えています。なんでそんなことしてしまったんだろう。思えば小学生の私は食べるのが遅くて、早く食べ終わる友達に置いて行かれたくなくて、ただそれだけの事でお弁当を残していました。あと、周りは学校の食堂で頼んだお弁当や、コンビニで買ったおしゃれなお弁当を食べていたのに自分だけが家からお弁当を持ってきていてそれがなんだか恥ずかしかったのだと思います。でも、ただそれだけの事で食べ物を粗末にした。友達に一年間仲間外れにされていた時も、トイレでのぼっち飯の時間が何より辛くて、お弁当を捨てていました。でも、ただそれだけの事で。
食べ物を残すことが何より嫌いな父が作ったお弁当を無駄にしたことが問題だったのだと数年前までは思ってました。
大学生になって自分でお弁当や夕食を作るようになってから料理を作ることの大変さを実感し、私は食べ物だけでなく父の時間や想いをぞんざいに扱ったのだと分かりました。
母だけでなくほとんどの親戚に反対されながらも新しい地に子どもとやって来て。知り合いなんて誰もいない土地で子どもと暮らしていくためにやれることを全部やって。ママ友の雑談の中に一人入っていって一緒にお弁当の作り方について話して。どんなことを考えて父がお弁当を作っていたかなんて知っていたのに、分かっていたのに、私は自分で料理をするまでわからなかった。いや、分かろうとしなかった。
結局、こういう場所で、匿名で自分のやったことを綴ることしかできない私は反省していないのかもしれない。父に直接伝える勇気がない時点で何をやっても一緒なのかもしれないけれど。せめて、これ以上は食べ物を残さないように、捨てないように生きたいです
いや、嘘っぽいな。まだ「綺麗」だな。
もうこれだけでいい。
ほんとうに、ごめんなさい。