
わたしのことを、
を、の次に続く言葉はなんでしょうか。どうも澪(れい)と申します。
最近初対面の人に自己紹介をする機会があったのですが前の方のそれに合わせて「私もよく『考えすぎ』って言われます」と言ってしまって、自己紹介下手くそだなと思いました。
そんなわけなので自己紹介ではなく最近自分の思ったことをつらつらと書いていきたいと思います。
人と接するときってみなさん多かれ少なかれ仮面って被っていませんか?少なくとも私はそうです。TPOやその日の予定や気分に合わせて服を選ぶように、接する相手によって「仮面」がちがいます。この人には元気な私、この人には落ち着いた私で、といった具合にちょっとずつ表に出す自分の姿を変えています。だからかもしれないけれど、私は自分の素がわからない。本当の自分がどこにあるのか、何に笑い何に苦しんでいるのかわからなくて、でもそのわからなさにどこか救われている自分もいます。
自分ってどうやって見つけたらいいのかな。「自分探しの旅」をすべきなのかもしれないけれど、今はとてもじゃないけどそんな時間とれないし(笑)。こんな風にふわふわしている自分の軸を見つけられたらもうちょっと精神的に安定しなくもないのかなあと思います。確固たる自己の存在を認識してから作るペルソナは、自分の芯がちゃんとあるうえでのものなので壊れにくいかもしれないけれど私には芯がないのでその分揺らぎやすそうで怖いです。
実は今月、私の友人が同じサークルの人に会ってお互いのペルソナを剥がす会を実施するそうです。めちゃくちゃ参加したかったなあ。誰か私の皮も剥いでくれないかなあ。他力本願じゃだめですね、人生。
今日はここでおしまい。またすぐ更新します。それでは。
追記
思ったよりも人に読まれていてびっくりしました、ありがとうございます。
仮面についてひとつ思ったことがあったのでおしゃべりを再開します。
「私」はたくさんの、違う色の、違う素材の、違う厚さの皮を被っていて、その中にある自分の芯は分かりません。ただ、自分の中にある欲とか本当に求めていることを自覚するためにしていることがあって。それはぬいぐるみに話しかけることです。ぬいぐるみは私に語りかけない。私を慰めることも抱きしめることもない。じゃその間に何をしてるかというと、自分と会話してるんだと思うのです。「私は」「私に」「私を」…..他の誰かじゃなくて、「私」が主語の時間と空間を自分に与えて栄養補給しているのだと私自身感じています。
だからこそ今、私と一緒に、自分を見つけるために問いかけてみませんか。
「私のことを」 どうしてほしい?