「考える人」 Rodin の気持ちで
大和発世界へ向けて、
『戦争と平和』
について
私達の心の芯の部分には、真が有り、
それを中心に笑ったり踊ったりしている。
時に曇りがちな心模様に、涙したり、悲しんだり、苦しんだりすのでした。
第二次世界大戦は、Japanを地獄に送り、辛くて苦しい哀しみと後悔をもたらしたのです。
多くの孤児を作り、犯罪を助長し、節度も崩れ去り、生きてゆくだけで精一杯と誰もが口にする時代でした。
そんな時でも心の芯には、真が存在しているので、人々は罪悪感に苦しむのでした。
生きる事の苦しみ、何かを犠牲にして生きる苦しみ。その苦しみから逃れて生きたとしても、真は離れません。
いつまでも何時までも後悔に襲われるのです。
そして又一方では、己れを犠牲にして、誰かを助けられた幸福に嬉しく思うのでした。
真は、常に私達の心に存在しているのです。
「真」は、人の行動から見ることは出来るのですが、触れることは出来ないのでした。その不確かな物ゆえ、私達は道に迷い苦しむのです。
内面に有る、芯に誰が触れられるでしょう? 誰も触れることは出来ません。形も無いのですから。
俺には真が無いと言う人もたまには居ますが、意識して見ないようにしているだけなのです。万民に存在する「真」があるから、何れ戦争は終わり平和が来ます。
私は思うのです。昭和天皇の真を。
今、ロシアとウクライナが戦争をしていますが、その終結に何が必要か。
戦争で勝つのは、本当の意味において、負けた国と思うのです。
嘗てのJapanがそうだったように。
真の指導者=リーダーは、国民の意志を真に考える人ではないでしょうか?
ゼレンスキーは、退きますが、彼は真の英雄と思います。退く事の勇気も持ち合わせているからです。
もしこの戦争が終わり、皆が安堵したら、ロシア国民は顔を赤らめて生きてゆくでしょう。それが運命なのだから。
嘗てのユダヤ人の行いのように。
嘗てのヒットラーとドイツ人のように。
真のReaderは、その事も考えなければなりません。
それが真の道なのだから。
ウクライナの人々は、ロシア人を怨み、過剰に恐れるでしょう。
共に被害者なのに、どちらも真の被害者なのです。
さて、此処からが問題です。この深い溝を埋めるには何が必要か?
「真」なのです。
己れの中に有る「真」を見つめ生きる事なのです。
戦争であっても平和であっても、「真」は変わりません。ただ其処に存在しているのです。
プーチンの愛国心は、国民の顔に泥を塗り、第二のユダヤ人、もしくはドイツ人となるのです。
歴史にその忌まわしい名前を刻み、愚かな国民だと世界中の人々が思うでしょう。
もう、取り返しはつきません。聡明なリーダーであるなら、一刻も早く戦争を止めるべきであるし、又、国民は止めさせるべきなのです。
両国に「真」があるならば、戦争を止める事が出来ます。
世界中の国のReaderがそうならないように、私達は常に「真」を意識しなければならないのです。
戦争の真実。
私は、もしかしたら此は、宇宙人の陰謀ではないかと思ったりします。
地球を乗っ取る為の作戦なのでは?
我が国の掲げる憲法第九条。
「戦争の放棄」
宇宙人の策略に対抗するには、これしかありません。
些か、話が飛躍しましたが、笑わないで下さい。
中村哲さんの「真」を思うと、
何処の国の人も等しく幸せになれると実践しました。
彼は、戦争による悲劇や紛争で、生きる希望を無くした人々の目に光りを灯したのでした。
彼の口癖は、
「日本はね、日本人はね、日本の国は素晴らしい国なんだよ。頑張ればみんな日本のようになれるよ。」
私には、目を輝かせて話す彼の顔が浮かびます。
戦争と貧困に立ち向かう
「大和魂」
私は、真に誇れる国民で在りたいと思うのです。
戦争を回避する手立ては、
戦争の放棄なのだから、放棄した国を乗っ取ろうと企む奴は、世界中から避難を浴びるでしょう。
その国民も永遠に愚か者の烙印を押されるのです。
押された国民の未来は悲惨です。
ユダヤ人もイスラエル人も、どんなに辛い思いをして生きて来たでしょうか。
一人の愚かなReaderの為に。
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