あきつ日記 9/1
令和 6 / 9 / 1 (日)
天気 曇り 気温 23 ~ 29 ℃
外では、鈴虫が微かに鳴いている。
本当は、大きな声で鳴いているのだが、二重サッシでは僅かに聞こえるだけだ。
台風はどうなったのだろう?
昨日の天気予防の傘マークは、雲のマークに変わっていた。
猛威を奮ったサンサンの爪痕がテレビで流れている。
自然災害は、過ぎ去らないと状況を知ることは出来ない。当事者を心配でも電話で確認してはいけない。
電源が無くなっている可能性があるからだ。もしも、助けを求めていたらその事を優先にしてやらないと迷惑なのだと思う。
先ずは我慢して、熱が冷めてから電話をすればいいだ。
第一、台風で電波が届かないのだから、祈るしかないのです。
すっかり、八月も終わっていた。台風騒動に気を取られ、職場のカレンダーを9月に変えるのを忘れていた。
早いものである。もうすぐ秋が過ぎ冬が来るのだ。(←端折り過ぎかな?)
私の派遣先の社員は、殆んど夏と冬の過酷な労働に耐えているので、暑い記憶と寒い記憶に支配されている。
夏が終われば、極寒の冬が来るのだと、言いようのない寂しさに襲われるのです。嬉しいのだが、淋しい気分なのです。
冷たいお茶は薬缶に残り、私の作業も楽になるのでした。エアコンも使われなくなります。
石油ストーブを出して、給油作業が加わるのでした。
鉢植えの水やりも減り、汗の着替えの準備もしなくて済みます。
昨日は、二階の窓から見える電信柱に鳥が来て鳴いていました。イソヒヨドリかも知れません。夏場は、殆んど鳥は鳴きませんでした。みんな何処へ行ったんだろうと思っていたのですが、鳥には羽があり、自由に何処へでも飛んで行けるのです。
暑ければ避暑地でのんびり過ごすのでしょう。もう、鳥たちの避暑地の暮しも終わりです。又、いつもの日常に戻り齷齪と鳴き始めるのです。お帰りなさい!イソヒヨドリさんかな?
今日から九月。一年前の本当の日記を捲ってみました。懐かしい記憶が昨日のことのように甦って来ます。
私の今の記憶は、確実に過去になり、必死に未来に向かって悩んだり迷ったりする今は、時空に乗り一つ乗り越え、又一つ乗り越えて行くのでしょう。 無理だと思っていた事もやり遂げていた現実。不思議です。
このnoteの投稿も小説を書く為にしています。ですが、まだ小説と言える物は書いていません。何故なら余りにも筆力が無いからです。
筆力なる筆筋を鍛える為に日記を書いています。最初の頃よりは、少しは増しに書けているかな?
中学の時に読んだ「可愛いエミリー」の翻訳をした人が誰なのか忘れてしまいました。原作は「赤毛のアン」のルーシーモンゴメリだったと思います。が、私は翻訳者の文章に惹かれたのでした。
あの時の心の震えを今でも覚えているのです。いざ自分で書いてみたら僅か三頁で挫折していました。
小学校の卒業間近に、新しい家が建ちました。父が出稼ぎで稼いで建てた家です。
私に与えられた二階。立派な部屋でした。当然、兄は不満だったと思います。その兄を説き伏せて、父母が私に与えたのでした。
兄にすれば、階段の下の物置小屋との差に腹を立てたことでしょう。その母の言葉が、私には悲しかった。
「花は何れこの家を出て行くのだから…。」と、
どうして私はこの家を出て行かなければならないのか、何故、追い出すのか?と、母に不信を覚えました。
その時は、母の気持ちを知りませんでした、何れ結婚して家を出る娘への最高の贈り物だったです。
多感な少女時代を殆んど部屋で過ごしました。何故なら父はアルコール中毒で愚痴しか言わないのです。
毎日毎日、同じ話しに耳を塞いでいました。
小さな廊下の付いた南向きに四面の窓があるその部屋は、私の想像力を掻き立てました。
窓からは、川が見え幾つかの村村の屋根が見えるのでした。四方を山に囲まれ、山の頂から朝日が昇り、川の向こうに夕日が沈むのでした。
窓の桟に座り笛を吹いたりしました。
机で、漫画や本を読み、猫のミミと紛れ父の事を忘れるのです。母の哀しみと絶望も。
そうして、何れ誰かと結婚をしてこの家を出ていく覚悟も出来たように思います。私の執着心は段々と薄れて行くのでした。全ては時の流れるままに変容するのだと。
新品の机、母の手作りの真新しい布団、秘密の屋根裏部屋。
それらは、「可愛いエミリー」の世界に迷い込んだようでした。七年間の母と父からの贈り物だと知らずに、生意気な娘でした。
多分きっと、その思い出の為に小説を書きたいのかも知れません。
エミリーは、きっとあの頃の私の分身。もう、戻れない懐かしい子供時代の思い出なのでした。
台風のサンサンは、まだまだ居座り、新しい熱帯低気圧が生まれています。気の休まる暇がありません。
唯一の夫の楽しみは、大谷翔平のNewsなのでした。
ありがとう❗ 大谷翔平さん❤️
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