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花すみれ日記 2/18
令和 6 / 2 / 18 (日曜日)
天気 晴れ 気温 2 ~ 15 ℃
(写真は、薄氷です)
今日は、晴れ、それも4月の陽気になりました。
昨日は、仕事でした。それで今日は、ゆつくりと休みました。
昨日の朝は、エサ場に向かう白鳥の姿を間近で見ることが出来ました。
水掻きも見えるほど低く、青空に映えて、いつもより美しく眩しい白さでした。
鳴き声は、カゥーン、カゥーンと優しく、これもいつものガァー、ガァーとは違っていました。
これまでは、寒くて必死で皆を鼓舞しながら鳴いていたのでしょう。
鳴くのは、主に先頭の白鳥だけのようです。
私達人間には、解らない動物達の周波数が、其処かしこに、溢れているかも知れません。
時々、私はそれらの言葉を拾い集めて、愉しんでいます。
( 勝手な思い込みです )
嘗て、私達人間にも、テレパシーが備わっていたと言う話しを聞いた事があります。
でも、言葉や文字を使うようになってから、テレパシーが、言語化されてしまって、退化したのではないかと。
誰かと会話をする時も会話の言葉に集中してしまい、言葉では伝わらない意味を持つ「真意」なる物を見落としてしまうのではないかと。
例えば、「嫌い!」のイントネーションの違いで、「嫌い」=「好き」と変換を出来ない事もあるのかな?と。
会話をする時は、直ぐに言葉に反応しないで、相手の顔をちゃんと見て、
(今、彼は何を伝えようとしているのか?) と、
感じ取る能力も大事かなと、パートナーと暮らして何十年にもなるのに、今頃になって思うのです。
( 思い込みで勘違いをして喧嘩になります。)
言葉で、全てを伝えるのは案外難しいかも知れません。
寧ろ言葉に出来ない『言葉』を感じ取る事が大切なのではないかと、考えてしまいました。
それでは、今日の歌詠み
『 芽吹きの音 』
春待ちの水のながれる音うまれ何を想ふや恋ともしらず
夢うつつねむれる春の底に居てかすかに聞こゆ薄氷の罅
─ 林 花埜 ─