「『災厄を無かった事にできないか?』と願う男子の話」から「記憶と痛みを希望を胸に前に進む事を選んだ女子の話」へ(『すずめの戸締まり』ネタバレ感想)
2022/11/30
suzume-tojimari-movie.jp
先日『すずめの戸締まり』を見てきた。見たその日の夜は、さっぱり眠れなかった。
3年前の天気の子と同じだ。どうやら、新海誠作品を見た後は、夜眠れなくなる呪いにかかってしまったらしい。
よって、これから3年前と同様にネタバレで感想を書く。まあ、私のブログなど見ている人はGoogleさん以外いないと思うが、一応ネタバレを気にする人はブラウザバックを推奨する。
いずれにせよ、これで私は眠れるはずだ。
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■まとめ
抜群に面白い。泣いた。『鈴芽の戸締まり』は私を含めて誰でも80点以上の点をつけると思う。
新海作品史上、最もマス向け(特に女性向け)に作っている映画であり、その結果として、女性(鈴芽)が終始主導権を握り、女性同士が協力したり(千果、ルミ)、わだかまりを解決したり(環)してストーリー進め、最終的には女性(鈴芽)が女性(椿芽)を喪った記憶を取り戻し、母を喪った痛みを引き受け、それでも希望を持って前に進む事を決意するという話になったと推察する。
『すずめの戸締まり』を鑑賞して最も良かった点は、たとえエンディング後にこの鈴芽と草太が結ばれなかったとしても、鈴芽は確実に幸せな人生を歩むであろうという強い確信が持てた事だ。そして、それはとても幸福な体験だった。
■東日本大震災が日本のクリエーターに与えた影響
『君の名は。』≒「災厄を無かったことにできないか?」
世界が書き換わってしまった強烈な記憶がベースとなっていて、「君の名は。」から「すずめの戸締まり」まで、40代の10年間、ずっと2011年のことを考えながら映画を作っていたと言っても過言ではありません。
私は、上記のインタビュー記事を読んだとき、「もしかしたら新海監督は本当は『君の名は。』で東日本大震災をメタファーではなく、直接のテーマとして扱いたかったのではないか?」という気がした。
しかし、現実的に扱えたかというと、多分難しい。
私は『君の名は。』のエンディングが大好きなのだが、あのエンディングも変わらざるを得なかっただろうし、本作はあのエンディング以外の内容だったら商業的にも大きく失敗したであろう。
『君の名は。』が公開された2016年では2011年の傷と記憶がまだ癒えていない。新海誠監督もまだ現在ほどの知名度の発言力も無いはずであり、メインプロデューサーの川村元気氏が承認するとは思えない。
だから、「災厄を無かったことにできないか?」が『君の名は。』のテーマになったのではないだろうか?
ただ、「災厄を無かったことにできないか?」をメインテーマにして作品を作ったのは何も新海誠監督だけではない。
『君の名は。』の丁度1年後に発売され、制作期間がほぼ重なっていたこのゲームソフトも「災厄を無かったことにできないか?」がメインテーマとなっている。
『君の名は。』≒『ドラゴンクエストⅪ』≒「災厄を無かったことにできないか?」
両作品の比較 君の名は。 ドラゴンクエストⅪ 具体的な災厄 隕石 爆発による世界崩壊 災厄により喪ったもの 三葉 ベロニカ 災厄を無かったことにする手段 時間遡及(口噛み酒) 時間遡及(時のオーブ) 時間遡及の代償 三葉との記憶と三葉への想い ベロニカも含めた全ての仲間たちとの冒険の記憶(まあ記憶が消えるのはセニカを助けたことが原因ではあるが)
こうしてみると、偶然とはいえ、新海監督と堀井雄二氏をトップとしてたクリエーター部門が同じ結論に至るのは実に興味深い。
なお、本記事では『天気の子』については、個人的にはあまり刺さらなかったので、言及しない。過去に以下のような感想を書いた。ただ、主人公の帆高が恐ろしかった事だけ記憶している。
■『すずめの戸締まり』の感想
面白いか、面白いかで言ったら、抜群に面白い。泣くか泣かないかで言ったら、間違いなく泣く。というか泣いた。
疑いなく万人に視聴を奨めることができる映画。正直『天気の子』は「賛否両論」であり、個人的にはあまり刺さらなかったが、『鈴芽の戸締まり』は誰でも80点以上の点をつけるだろう。
また、新海作品史上、最もマス向け(特に女性向け)に作っている映画だと感じた。
(……正直、『秒速5センチメートル』のような特定の男性向けの映画は、もう作らないのではないかという気さえする。とはいえ、『鬼滅の刃』等を見ても、少女マンガ要素を作品に含有させることで女性に刺さる内容にすることは、数字を極大化する上で大きな要素であり、あいえて女性向けに特化するのは極めて合理的で評価する。)
本作の内容は、前2作と比較して恋愛要素薄めのバディものの冒険活劇である。鈴芽は草太が好きだが、草太にとって鈴芽さんはあくまでバディとして見ている。
(……まあ、これから教師になろうという人間が、生徒になるかもしれない年代の女性に好意を向けて秒で手を出したら、完全にアカンのでそれで正解だとは思う)
展開も、ひたすら移動する→働く(情報収集)→戦う!→移動するの連続である。
二人の関係を見るとむしろズートピアのこの二人を連想する。
正直、エンディング見ても、「実はこの二人結ばれないのでは……」という気がしている。
しかし、後述するが、二人が結ばれるかどうかは、本作においては些細な問題である。
主人公(ヒーロー):岩戸鈴芽について
今回の主人公の岩戸鈴芽は、女性である。それもヒロインではなく、主人公である。
前作2作とは異なり本作は、男子が女子を助ける話ではなく、女子が男子を助け最終的には自分自身を助ける話である。なんとなく、クッパにさらわれたマリオを助けに行くピーチ姫(スマブラver)を連想した。
主人公(ヒーロー):岩戸鈴芽は、『君の名は。』や『天気の子』のヒロインとは一線を画する。
一目惚れした男のためならば、自分の命を顧みず助ける圧倒的な献身性
動いている観覧車の上で活動し、橋の上からでも躊躇なく飛び降りることができる運動神経と行動力の化身。
出会った女性とは誰とでも仲良くなり、わずか一晩で最後に今生の別れのようにハグをされるモンスターじみたコミュ力の持ち主。
ジョジョでいうところ黄金の精神を持った女性。絶対、スタンド出せる。それもかなり強力なやつ。
もはや新海作品というよりプリキュアシリーズに出演するほうが似合う。作中タクトが出てくれば、確実にプリキュアとして覚醒してる。(正直、最後のスタッフ紹介でプロデューサー陣に鷲尾天さんも加わったのではないかと疑ってしまったくらいだ)
姫(ヒロイン):宗像草太について
主人公(ヒーロー):鈴芽に対し、男子である宗像草太は作中では完全に姫(ヒロイン)である。鈴芽が一目惚れする説得力を持たせるためにイケメン(美女)属性しか与えられていない。
本作においては、女性がすべてを決断し、女性が解決する。男には主導権は無く、添え物である。作中のストーリーに絡むキャラも、ほとんどが女性である。本作は、女性(鈴芽)が終始主導権を握り、女性同士が協力したり(千果、ルミ)、わだかまりを解決したり(環)してストーリー進め、最終的には女性(鈴芽)が女性(椿芽)を喪った記憶を取り戻し、母を喪った痛みを引き受け、それでも希望を持って前に進む事を決意するという話である。
また、大変申し訳無いが、草太を演じた松村 北斗さんは、個人的には演技があまり上手いとは感じなかった(特に要石になる本来ならば感動するはずのシーンは、聞いていて違和感が凄かった)。
しかし、本作においては、所詮添え物なので、知名度でキャスティングしても問題ない枠と新海監督に冷徹に判断されたと推測している。
二人が結ばれるかどうか自体は、本作において大した問題ではない。
問題は、鈴芽が幸せになれるかどうかである。
『君の名は。』で瀧と三葉の二人が最終的に結ばれるかどうかは、私にとって極めて重要な事だった。
だから、最後のエンディングでは思わず映画館でガッツポーズしたし、スピンオフを買って二人のその後の話がないか探したり、『天気の子』の小説で、二人が結婚したらしいという描写があり、心から安堵したりした。
これに対し、『すずめの戸締まり』のエンディング見ても「最終的に鈴芽と草太の二人は結ばれないないのでは?」という気がしているが、正直それでいいとすら思っている。
二人が結ばれるかどうか自体は、本作において大した問題ではない。
問題は、鈴芽が幸せになれるかどうかである。
もし草太に振られても、鈴芽は、それはそれとしてさっさと新しい男を見つけて、幸せになるであろうと確信する。
きっとこの子は、これから何があっても、幸せな人生を歩むに違いない。
エンディングでそのような強い確信を持って劇場を後にできた事こそが、この映画を視聴した最大の収穫であり、不思議な幸福感に満たされた体験だった。
正直、『君の名は。』のような3日間ほど続いた圧倒的な多幸感は、本作には無かった。しかし、『君の名は。』とはまた違った幸福な体験をする事ができた。
本作を鑑賞できたことに、心から本当に感謝したい。
「ん?」と思った点
しかし、内容に不満がないかといえば、多少はある。震災の描き方である。作中では関東大震災の原因は『みみず』であると描写されていた。
それならば、東日本大震災も『みみず』が原因と思われる。
「ならば、東日本大震災は防げたということか?」という疑問が浮かぶ。
12年前は、草太はまだ小さいので病院で寝ている草太のお爺さん宗像 羊朗が担当だったと思われる。
「いや、宗像の爺さん。アンタが無能だったか、しくじったかしたせいで、何万も死んだと思ってるんだ?!さらに福島は放射能に汚染されたのもアンタのせいか?」
という疑問が頭から離れなかった。
このあたりは、かなり致命的な情報だと確信するが、そこははぐらかして描いているな、とは感じた。
あまりにも現実が大きすぎて、うまく設定に落とし込めていないように見えた(関東大震災と違い、東日本大震災は、まだ多くの当事者が存命中なので仕方ないとは思うが)。また、個人的には、もっと愛媛も神戸も震災を絡めても良かった気はする。
また、『君の名は』や『天気の子』とは違う世界線とのことなので、瀧や三葉の再登場がないのは、少々寂しい点ではあった。
まあ、前2作は東日本大震災が起きていない世界軸の話のようにも見えるので、まあ仕方ないとは思う。
コロナ禍がないのは、許容する。
マスクがあると作画が大変だし、顔が見えないので。
とまあ、少し「ん?」と思った点はあったものの、本作『すずめの戸締まり』が傑作である事が疑いようがない事実である。
重ねて申し上げるが、本作を鑑賞できた事を心から感謝したい。
本当に、ありがとうございました。