39 受動攻撃
39【受動攻撃】
さて、この自伝のタイトルになっているプチ虐待、および虐待について、もう少し話をしないといけない。
僕のお母さんの陰湿さ、卑怯さは、本当に凄まじかった。
包丁の回が全てではない。子供が見ている前で窓から飛び降りようとしたり、ありとあらゆる手を使って、「私は不幸です。お前らのせいで」というアピールをし、みんなの心を傷つけていた。
被害者ぶることによって相手を傷つけるという行動を、心理学では受動攻撃と呼ぶらしい。
お母さんは受動攻撃の天才、達人であったのだと思う。
何をやったら怒られるのか、全く予想がつかない。
とにかく、八つ当たり、あてつけのオンパレードである。
「私が死んだら嬉しいやろ?」
「私が死んだら◯◯のババア(お父さんのお母さんのこと)も呼んで、◯◯も呼んで(お父さんの身内)、みんなでパーティやな!そやろ!そうやろ!どないやの?そうやろ!」
これが延々と続く。
正直、吐きそうであった。
なんせ、答えようがないけれど、答えろーっと、頭がおかしい声量で叫ぶのだ。
パーティやな?と言われて、なんと答えたらいいんだ。
とにかく苦痛であった。
僕の父方のおばあちゃんは、本当に優しかった。自分に冷たく当たるお母さんにも、おばあちゃんは嫌な顔をせず優しかったし、なぜそんなに嫌うのか意味がわからなかった。
お母さんは、おばあちゃんに対し、本当にあたりがきつく、子供心に見ていて辛かった。
Q 私が死んだら、ババアも呼んで、みんなで「死んだ!死んだ!」って大喜びのパーティーが開かれますか?
という質問なのだが、なんて答えたら良いのか、いまだにわからないし、なんて答えても、同じ質問が形を変えてネチネチと続く。
本当に陰湿だった。
おばあちゃんは孫である僕をかわいがりまくり、お正月に行くたびに、セーターや、座布団などをご自慢の編み物の技術で編んでくれた。
正月に行くたびに、「洋一はおばあちゃんの編んだセーター着てるか?ぬくいか?」と聞くが、僕はそのセーターを着たことがない。
なぜなら、お母さんがタンスにしまいこむからだ。
毎年毎年、「うん、ぬくいよ」と答えるのが辛かった。
一度、お母さんに言った。
「おばあちゃんが編んでくれたセーター着たいんやけど」
すると、お母さんは烈火のごとくブチギレた。
「あんな洗濯しにくいもん、いらんのにくれやがって!迷惑やわ!あんたが洗濯するんか?あんたが洗濯するんやったらええで?ええ!?自分で洗濯するんか?」
この人とは普通の会話ができない。
僕はあきらめた。
せめて、おばあちゃんに会えるお正月ぐらい、そのセーターを出して、普段から着てるように見せる優しさぐらいお母さんにあれば良いのだが、そんなものは、うちのお母さんにはない。
自分の嫌いな人を、他の人にも嫌わせようとする僕が一番嫌いなタイプの人間である。
おばあちゃんのことも僕に嫌わせよう嫌わせようと必死だったのだ。
それはそれは凄まじかった。
おばあちゃんが珍しく、僕の家に来たことがあった。当日にそれを知った僕は、少し慌てた。
その日に僕は友達と遊ぶ約束をしていたのだ。
お母さんに言うとろくなことがないのはわかっている。
お父さんに言った。
「友達と遊ぶ約束してるから行っていい?」
「行ったらええやん」
それを横で聞いていた、お母さん。
お父さんには見えない角度で僕を睨みつけた。お父さんがいなくなったスキを見計らい、僕に小声でこう詰めてきた。
「あんたな、◯◯のババアが今日、来るのに、あんた、おらんかったら、後で私が何て言われるかわからへん!」
「で、でも、や、約束…」
「私が何て言われるかわからへんねんで!後から!あの◯◯の連中に!私が何て言われるかわからへんねんで!!」
僕のお母さんには、ギャグがある。
【私が何て言われるかわからへんねんで!】である。
僕は全てのギャグの中でこれが一番嫌いである。
【ガキの使いやあらへんで】は大好きだ。
【私が何て言われるかわからへんねんで!】は大嫌いである。
ちっとも面白くないばかりか、害しかない。こうやって、丁寧に丁寧にお母さんは僕の人間関係をつぶし、いじめられるように誘う。
【俺があとでどんな目にあうかわからへんねん!】という同じギャグで返したいぐらいだ。
僕はなぜか子供の頃から算数が得意だった。
またそれがつらくて。
正月に行くとお父さんが実家でそれを自慢する。
おばあちゃんは目を細めて「洋一は算数が得意なんや!すごいな!◯◯(お父さんの名前)は、全然でけへんかったからな!やっぱりお母さんのほうの賢いのが似たんやなあ」と何度も何度も褒める。
子供だから、えへへってなもんである。
正月の帰省が終わり、家に帰ってお父さんがいない時。突然それは始まる。
「お前!◯◯(お父さんの実家の地域)で、算数出来るって言うたな!アホのくせに!!お前みたいなアホが、そんなん言って、一体どんなええ大学行くんやろ、と思われて、どうせアホやからどっこも行かれへんのに、その時、私が何て言われるかわからへんねんで!!」
そして、物を投げつけ、激怒する。
私が何て言われるかわからへん、という言葉は、どのような文脈でも、強引につなげられ、僕は答えようがない詰問を何度も何度も浴びせかけられた。
受動攻撃の達人だから、子供では勝てない。
いや、大人でも勝てない。
それ以来、僕は算数が得意ということを必死で隠した。正月に行ってもおばあちゃんはまた目を細めて聞いてくる。
「洋一は、算数得意なんやろ?今回も通知簿、良かったんやろ?なあ?」
「い、いや、べ、別にそんなにじゃないねん。普通ぐらいやねん」
「そんなことないやろ〜(笑)。算数、得意なんやろ?」
「いや、ま、普通よりちょっとだけ」
おばあちゃんは基本、けっこうしつこいのだ(笑)。
その時にお父さんがいらんことを言う。
「そうやで!こいつは、何でか知らんけど、算数できるねん」
おばあちゃんのテンションが上がり、僕のテンションは下がり、視線を送っていたお母さんの僕をいじめるモチベーションは上がる。
毎年毎年これが続いた。
一体、なんの板ばさみなんだろう。
僕はひとことも算数が得意って言ってないし、否定していたのに、正月が終わり、お母さんと二人きりになると、はらわた煮えくり返っているお母さんがその話をするのだ。
「お前、またやらかしたなあ〜っ!!」
僕が一体、何をしたと言うのだろう。
僕のおばあちゃんが一体、何をしたと言うのだろう。
読者のみなさんは、今、この自伝をどんな姿勢で読んでるだろうか?
そんなポーズで読まれたら、正直、僕が、お母さんにあとで何と言われるかわからないのでやめてほしい。
あ、そのポーズもダメ。僕が、あとで何と言われるかわからないから。
読者のみなさんは、僕が死んだら嬉しいでしょう?
パーティするでしょう?