リアルに触れる情報量は多ければ多いほど良い!(2024/11/15)
先日、息子が久しぶりに高熱を出して、在宅勤務や休日を当てて、家にこもる日が何日か続きました。もともとあった予定をキャンセルしたり、出社の予定だった日を在宅勤務に変更したり、その間は買い物を夫に頼んだりしたので、文字通り「家から一歩も出ない」日が続いたわけです。
ここ最近では そういうことは滅多になかったので、久しぶりだったわけですが、ちょっと気持ちが下向きになりました。家に居ても、乳幼児とは違うので、ずっと張り付いて子供の様子を見てたというわけでもないですから、SNSやテレビなどを見ることは可能でした。
現代において、SNSやマスメディアなどにより自宅に居ても大量の情報に触れることは出来ても、流れてくる情報を受け身で見るだけでは、ネガティブな情報に支配されがちです。また、在宅勤務中に嫌な出来事が発生した場合、勤務終了後もなかなか頭が切り替えられずに脳内をそれで少し支配されてしまうのも否定できません。「出社」の際に、嫌な出来事が起こったのであれば、帰宅中に電車に乗ったり移動の最中に目にするものなどにより、頭が切り替えられやすいのだなと気づきました。
久しぶりに出社した際、改めて「外に出る」って、とても重要なことなのだなと思いました。たとえ、それが職場と家との往復だけだったとしても、移動中に目にする景色、ヒトの動き、路面店に並ぶ商品、肌に触れる外気の温度、空の色・・・などなど、とても情報量が多いということに気付きました。
それらのすべてが、すぐに何か学びとか自分の知識に繋がるというわけではないですが、ただの通勤の往復だけでも脳が活性化されて、悪い情報が出ていきやすいと気付きました。ただし私の場合、今は職場が割と繁華街に近いからというのもあるかもしれません。以前は、住宅街の中だったり、商業施設などが少ない場所に勤めていた時期もあったので、そういう場合は、また少し状況は異なるかもしれません。
そのように考えると、通勤ではなく「旅」だったり、また自らの意思で足を運んで博物館などの「目的地」に向かったり、普段会えないような人と会って対話をするというのは、非常に学びや刺激の大きい行為だなと思うのでした。
思えば、今年は木下斉さんのおかげで、かなり行動範囲を広げることができました。「死ぬまでにいつかやりたいこと」は、「『いつか』は来ないのだから、とっととやっていくべき」といったような内容の話を年始に聴いて、今年はこれまでの私と比べると、かなり積極的に行動できたのではないかと思います。
簡単に思い出せるだけで・・・
・堀江貴文さん登壇のリアル講演会に参加
・能登半島地震のボランティアに参加
・全く興味のない分野のイベントを見学
・狂犬ツアーに参加
・ハイシーズンで高額な時期に家族で釧路に行った→復路トラブルに見舞われるも、家族で協力して乗り切った
・デジタルイラストを販売した
・自宅から遠めの戦争資料博物館まで一人でわざわざ足を運んだ
・木下ファミリーの方々と、イベント以外でもオフラインでお会いした
思い返せば、濃厚な一年(まだ終わってない)だったなと思います。
思い出すだけで、なんだか楽しくなってきました。こうやって言語化するのは大切ですね。