自分の価値観を疑う〜同質性は否めない〜(2024/10/06)
こんにちは!突然ですが、今日は聡明な皆さんにオススメしたい放送があります!
高校教諭でバスケの指導をされている三原学さんのvoicy放送ですが、今回のテーマは、私が知りたいと思っていたことについて触れられていました。三原さんは、多読家でバスケの指導以外のことにも研究熱心な方ですから、バスケに関わらない方が聴いても学びになるテーマが多いと感じています。このテーマもそうでした。
この放送では、「許せない!と思ったときの対処法」について、簡潔に3つのステップを踏むことを勧められています。
詳しくは放送を聴いていただきたいのですが、特にハッと気づかされたのは、「自分の価値観を疑う」ですね。
聡明な皆さんでしたら、「価値観は人それぞれ。正解のない問題に対し、正解/不正解は存在しない。」という認識はお持ちの方も多いと思います。自分も、理屈ではそう考えていても、猛烈に「許せない!」と思ってしまっているときって、やっぱり無意識下で「自分の価値観」に強くこだわってしまっているときなんだなと、改めて気付かされました。
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私の記事を定期的に読んでくださっている方は、私が属している とあるコミュニティで人間関係(というか価値観の相違)で困っているということはご理解いただいていると思うのですが、このときの「許せない!」も、やはり「自分の価値観」みたいなものを強く持っていたことも一因と思いました。
そこで、ふと、子供が生まれる前までの自分の人生を振り返ってみたのですが、私の場合、「良くも悪くも同質性の維持された環境」で生活してきたという実感があります。
私は、地元の公立の小中学校を進学したのですが、高級住宅街に住んでいた訳でもないのに、そこまで「いわゆる社会の縮図感」みたいなものを感じたことはありませんでした。自分の知らないだけで、もしかして給食費を滞納している家庭もあったのかもしれませんが、子どもの視点で「明らかに経済的困窮家庭」だったり「家族が裏社会とつながっていそうな家庭の子」と見えるような子は居ませんでした。
小・中学校とメンバーが変わらなかったこともあり、「多様性」みたいなものは感じにくい環境だったと思います。今になって考えると、いわゆる「新興住宅街」に住んでいたことも影響しているかもしれません。中学を卒業して高校に入ってしまうと、そこは入学試験というフィルターを通しているため、またある程度の同質性となるわけです。(※余談ですが、私は背伸びして自分の身の丈以上の学力の学校に入ってしまったため、その点での苦労は したのですが・・)
高校生以上の生活となると、よほどのことがない限り、自分の選択で行動範囲を自由に選べるわけですから、友達関係やアルバイトや進学先就職先など、基本的に自分の意思で付き合う相手を選べますし、属するコミュニティも選べるわけです。もちろん、就職先でパワハラ受けたとか、嫌な上司がいたとか、そういったレベルでの「嫌な人」は居ましたが、「会社を辞める/続ける」は自分で選択できるわけですし、同じ会社に就職しているという点で、少なくともそういう点での同質性は存在しているわけです。
何が言いたいかというと、義務教育の時点で「多様性」と言いますか、自分の価値観とは全く異なる価値観の人と触れる機会が無ければ、高校以降では(海外留学とかしない限り)国内で生活し続けると、ほぼ同質性の社会の中で生きていくことになるなと思いました。
(※公安職や自治体職員や医療職などの仕事に就けば、職務上でも多種多様な人を目にするとは思いますが。)
特に私なんかは「コンフォートゾーンを抜けたがらない典型的な保守的思考」の持ち主のため、自分と価値観の近い人とばかり交流してきた気がします。あえて価値観の合わない人と交流する必要も無いかもしれないですが、自分の関わっている人たちのモラル感や価値観が近い人ばかりだと「世の中の人は 全員 それぐらいのモラル・マナーは守って当然である」という勘違いを引き起こしがちということに自分で気付きました。遅いですが、つい最近。
ここ最近、自分の意思に関わらず、子供の関係で様々なバックグラウンドだったり価値観をお持ちの方と濃密に関わらなければならないことが多いのですが、これまで私が ある意味「同質性という温室」で生活してきてしまったため、「価値観の全く異なる外部刺激」に やられております。
(・・・( ゚д゚)ハッ!‼「温室」!?)
特に出身国が違うことによる価値観の違いは、「私は一生 日本国内で生活するつもりなんで、そういうの関係ないです」とすら思っていたのに、もはや避けて通れないという事実に直面してしまいました。
出身国が同じ日本でも全く価値観の相容れない人とも関わっています。その方の価値観については、「信じられない」の一言なのですが、そういう人もいるのですね。これまでの人生で「多種多様な人」を見るという経験が圧倒的に不足している私、この分野に関しては伸びしろしかないです(笑)。