歴史教育はトラウマを与えるものであってはならない【登戸研究所資料館を訪れて】(2024/04/20)
「登戸(のぼりと)研究所」をご存知でしょうか?
私は、ちきりんさんの下記↓の放送を聴くまで全く知りませんでした。
登戸研究所は、旧日本陸軍が秘密戦のための兵器・資材を研究・開発するために設置された研究所だったそうです。かつての登戸研究所の敷地の一部が、現在の明治大学・生田(いくた)キャンパスとなっています。この「登戸研究所資料館」は、現在の明治大学の敷地の一部にあります。先日、こちらに訪問してきましたので、その際の感想などを書きたいと思います。
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過去に何度かnoteで触れていますが、私自身は学生時代に歴史の勉強をほとんど全くと言っていいほどしてきませんでした。社会に出た時点で、近現代史で私が認識していたことと言えば、「日本は太平洋戦争で負けた。終戦日は1945年8月15日。東京大空襲や広島長崎の原爆により悲惨な被害を受けた。」程度の知識でした。
この悲惨なまでの無知さは、自分自身の不勉強によるところが大きいですが、冷静に過去を振り返ると、「トラウマ」があったからかもしれません。
私自身が、まだ「戦争」や「原爆」と言ったものを具体的に理解していなかった年齢だった子供の頃、学校で偶然手に取った本が、広島の原爆の被ばく者の方が描かれた画集でした。原爆投下直後の、広島市内の惨状を描いたものです。心の準備も全くできていない不用意な状態でそれらの画を目にした私は、ひどくショックを受けました。それからしばらく夜は眠れなかったですし、食事も受け付けませんでした。いわゆる「トラウマ」状態になったと思います。
こういった本の存在意義は否定しませんし、過去の史実を知るうえで貴重な資料の一つであることに違いはありません。しかし、目にするには、ある程度の事前知識と心の準備と精神的成熟は必要だと感じました。
もともと私は共感力が強すぎることから、小学校高学年のときに学校で視聴した「火垂るの墓」も、大量の鼻水と涙を流しながら号泣し、精神的にもつらかったです。そういった経緯もあり、「戦争=つらい、苦しい、怖い、関連資料をなるべく見たくない」といった感じで、無意識にそういった情報を自分から遠ざけていた部分もありました。これらが私の歴史学習の苦手意識につながっていたのではないかと、最近になって思うようになりました。
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気が付けば自分の子どもが小学生となり、過去の歴史をなるべく自分の言葉で子供に伝えたいと思い、今は少しずつ近代史を学んでいます。たまたまそのタイミングでちきりんさんのvoicyやブログに出会い、そこで初めて知ったことも多かったです。恥ずかしすぎるので言いづらいのですが、日本が近隣諸国に対して非人道的なことを行っていたということを具体的に理解したのは、ちきりんさんの発信からでした。
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一定の知識レベル以上の階層の方々には常識なのかもしれませんが、全年代の日本国民総人口の中で、「近現代の戦争の歴史で日本には加害者の側面もあった」と理解している人は果たしてどのくらいの割合でいるのでしょうか。どうも、受け身レベルとしての義務教育では、「日本は被害者です。戦争はつらく悲しいものです。二度と戦争は起こしてはいけません。」といったニュアンスが強く語られがちである気がしています。子供向けの戦争関連の本や資料展示って、「つらく・悲しい」の部分にフォーカスされ過ぎている気がしています。私は、40歳を過ぎてから勇気を出して、関連資料や施設を意識的にめぐるようにしていますが、以前、別の戦争関連の資料を扱っている施設に行った際、やはりビジュアル的に恐怖感を煽られると感じてしまう展示スペースがありました。大人の私でさえ恐怖を感じるので、子供がそういったものを積極的に見たいと思うとは思えません。
しかし、こちらの「登戸研究所資料館」は、全くそういった場所ではありませんでした。
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前置きが長くなりました。こちらの資料館へのアクセスは、小田急線の生田駅から徒歩か、向ヶ丘遊園駅からバスとなります。キャンパスは小高い丘の上にありますので、生田駅から徒歩で向かう場合は、急な上り坂を登ることになります。
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ちょうど私が資料館に着いたころ、他の来館者に対して職員の方が説明を開始されていたところで、私も一緒に聞かせていただくことができました。
この研究所は、当初は電波兵器を研究・開発する目的があったため、遮蔽物のない小高い場所である必要があり、周囲にあまり人が住んでいないことが望ましかったということでこの土地が選ばれたそうです。理由を聞くと、ここに来るまで急な上り坂を登ったことと、歴史がリンクした感じで、感慨深かったです。
入館料は(2024年4月現在)無料ですし、事前に予約をすれば無料で職員の方のガイドを聴けるようです(私は予約なしでしたが、偶然、他の方のガイドに混ぜていただくことができました)。入館時に無料でいただいたガイドブックもとても丁寧な内容で、非常に勉強になりました。本来は軍事機密として秘匿としていたことだったり、敗戦の際に証拠隠滅として大量の資料が廃棄されたり、また、関係者が様々な事情から口を閉ざしていたことなどから、本来明るみに出ないはずのものが、偶然の重なりで世に出てきた非常に貴重な資料・証言をまとめられている資料館です。
この資料館の開館に当たっての設立趣旨の一部を抜粋します。
こういった経緯から、資料館を運営している大学側としては、平和教育を目的としていることもあり、見学希望者の要望になるべく沿う形で丁寧に対応されている印象でした。
詳しい展示の内容については、実際に足を運んでいただきたいと思うのですが、職員の方から受けた説明のうち、私が印象に残った話を二点ほど挙げたいと思います。
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【毒物兵器の開発を任されていた方の証言について】
誰でも人殺しのための研究などやりたくないと思います。しかし、研究・開発に時間を費やすにつれ、その成果(つまり、殺傷能力が上がる)が高まることに高揚感のようなものが得られるようになってしまったと。この研究者の葛藤とジレンマがうかがえる証言についての資料が印象に残りました。
【「風船爆弾」の風船部分の製作(和紙の貼り合わせ)に動員されていたのは、女学生たち】
この風船爆弾は、実際にアメリカで6人の命を奪ったとされています。この女学生たちは、風船の製作の際にどこまで知らされていたか分かりませんが(爆弾を飛ばす目的のものとは伝えられていなかった可能性がある)、そうであれば本人たちは戦争の被害者と自認している一方で、実際に人を殺傷した兵器の製作の一部に関わったという点で加害者の側面もあるのです。
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話をうまくまとめられていませんが、私自身はもっと若いころにこれらの歴史を知りたかったと思うのですが、後悔しても仕方ないです。しかし、小学生の頃にああいった形でショッキングなものを目にしなければ、また違う形で歴史学習に取り組んでこれたのではないかとも思うので、自分の子どもには、歴史上の事実は年齢や精神的成熟度の段階を考慮しながら伝えていく必要があると強く感じました。
「戦争=爆弾を落とす・落とされる、人が死ぬ、だからよくない、してはいけない」という一義的な捉え方をするのではなく、その背景にどのような事実があったのか、自分たちの国が行ってきた事実も冷静に捉え、その上で今後を生きていく私たちがどのように考え、行動をしていくのかが大切なのだと感じました。この「登戸研究所資料館」は、そういった点で非常に多くの学びが得られ、恐怖心や悲壮感に訴えるような展示ではなく、平和教育の理念に則られた施設であると感じました。
【最後に余談】
この資料館がある明治大学・生田キャンパス内の「生田ベーカリー」でパンを買ってみました。お買い得な値段で、とても美味しかったです♪