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能登半島地震から一年の所感(2025/01/03)
令和7年1月1日、夫の故郷である能登に帰省のために訪れた。最寄り駅から夫の実家まではタクシーを使う。
冬季は晴れが極端に少ない北陸地方において、この日は珍しく快晴だった。
タクシー運転手の男性が言う。
「いやぁ、今日は晴れて良かったですねぇ」
私達はスーツケースを抱えた家族連れなので、運転手から見れば間違いなく帰省客に見えただろう。
「…一年前、わたし(タクシーの)勤務だったんですよ。奇しくも今日も勤務の日で。運命みたいなもの感じますねぇ。あの時間が来るまで、なんだか怖いですけど。」
この駅に降り立って、久しぶりに被災地の人と地震について直接話をしたことで、あの出来事の重さを改めて感じた。
一年前のあの日、私達家族は能登には帰ってなかった。その後、親族がライフライン諸々の件で大変な思いをしたことは伝えて聞いてはいるが、「その瞬間」の恐怖については共有されていたわけではなかった。
夫と私と子供達は、夫の親族が経験した恐怖や苦労を経験していない。「経験したかったのか?」と聞かれたらそんなことないし、被害を避けられたのは、言葉を選ばず言えば良かったのだと思う。
ただ、この経験を共有していないということは、考え方や価値観の形成に大きな違いをもたらしているとは思う。
タクシー運転手は言う。
「去年の地震のときに帰省していた人なんかはトラウマになって、もう正月には帰ってきたくないっていう人もいるみたいですよ。」
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発災直後、能登にいる夫の両親や親族のことを案じていたが、その段階で私に出来ることはなかった。
現地に行って何か出来るわけではないし、発災直後の能登は、かなり広範囲に渡って断水していたという情報は得ていた。
おそらく、「断水」と聞くと、多くの人が飲み水の心配をすると思うが、トイレ近い属性の私としては、トイレの心配をしていた。
当然に、断水は家庭のみならず、公共の場にも影響していたため、駅や商業施設のトイレは閉鎖して使用不可。地震後に人の手が回らず放置されていた公衆トイレは汚物まみれでひどい状態たったと聞いた。
そんな状態で現地に向かって支援活動しても良いのは、食と排泄と寝場所と移動を自分で完結できるレベルの人達だ。当然ながら私にはそのレベルのサバイバルスキルは無い。
私が何を出来るわけではなかったが、義実家の水道が復旧するまで、自治体の公式サイトで日々、情報を追っていた。
遠く離れたところに住む我々が、何をできるわけでもないので、「大丈夫ですか?」と連絡したところで、その返事の対応だけでも相手の負担になるかと考え、あえてこちらから連絡をしないことにしていた。
その後、発災から2ヶ月後くらいに義実家ではようやく断水解消した。その後、義実家に泊めてもらいながら、災害ボランティア活動に少しだけ参加したが、主に家庭での災害ゴミの運搬だった。この時期に感じたことなどは、過去のnoteでも投稿している。
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そんなわけで、最後に能登を訪れてから約8ヶ月経っていた。義両親は、幸いにも身体や家屋に大きな被害は受けていなかったため、現在ではほぼ普通の生活を送っている。そのため、私や夫が直接関わる人で、現在でも地震の大きな影響を受けて生活してるという人はいない。
なので、関東に生活していると、大変不謹慎ながら、まるで地震なんてなかったかのように錯覚してしまう。あの日、私はあの場所に居なかったからというのもある。
義実家付近では、今もブルーシートが屋根に掛けられている家屋はたくさん見かけるし、地盤沈下などでガタガタの道路も見かけた。
車通りが多く、生活道路として必要とされている場所は、応急処置的に通れるようになっているが、需要や緊急度が低いところは、そのままだ。
今回の帰省で、工事関係の会社を経営をしている親族に会った。自らも現場まで工事を行っている。水道管やエアコンなどの工事を請け負う仕事だが、発災後から一年、ほぼ休みなく忙しく働いてきたらしい。「住めない状態」の場所を優先してやっているけど、仕事は無くならない状態だと言っていた。技術が必要な仕事のため、人手不足に拍車がかかる。仕事は無くならないが、人を募集してもなかなか採用できない。お金はもういいから休みたい、従業員を休ませたい…そんな話をしていた。
義両親以外の親族とは地震後に初めて会ったが、テレビで流れる地震当時の映像(視聴者がスマホ等で撮影したもの)を見て、「よくあんなん撮れたね」と言っていた。揺れが激し過ぎてそれどころじゃなかったと。よく、「地震の際には机の下へ」と言われるが、それすら出来ないくらいの激しい揺れだったと。
怖かっただろう。命あって良かった。
県外の人には、石川と言えば金沢というイメージだろうが、金沢は局地的に被害があった地域もあるようだが、観光地エリアはほぼ被害がなかった。なんだか何事もなかったかのような金沢が、遠い別世界のようだという能登の人の話も聞いた。
もともと、地震以前でも金沢より奥に観光に行く人は少なかったと思うが、能登の和倉温泉はその数少ない観光地のひとつだ。ほとんどの旅館が被災して、一部の宿を除いて休館中である。以前のような様子が見られるのは何年も先の話だろう。崩れて使えない建物もまだ解体されずにそのままのところが多い。
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また、能登半島唯一の水族館にも足を運んだ。地震直後には館内に大きな被害を受けていたことをSNSで知り、少額だが寄付もした。
残念ながら命を落とした動物もいたが、多くの動物は国内各地の水族館で一時的に引き取られ、館内の復旧と共に少しずつ戻ってきている。その経緯などを手作りパネルなどで紹介されており、飼育員さんを始めとする館内スタッフの苦労と感謝の気持ちがうかがいしれる。
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個人情報も入っているため
ぜひ現地で見てほしいと思います
現在、のとじま水族館は一部で営業を再開しているものの、ショーなどは行われていない。とりあえず応援消費の意味も込めて、家族みんなでお土産をたくさん買った。
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先の親族は言う。
「もう、東京の人なんかは、地震なんてなかったみたいな感じになっとるんやろな。」
私の職場の人は一年前の地震の直後にこう言ってた。
「能登って石川県でしたっけ?あの地震って石川県だったのですか?」※厳密には能登半島には富山県の一部を含むが、能登半島の大部分は石川県。
確かに、私だって3.11で東北で最も津波の被害が大きかった地域がどこだと聞かれたら答えられないし、熊本地震も自分ごととして捉えていたかと言われたら、そんなことなかった。
今回の地震だって、私の夫の地元という縁でなかったら、どこまで自分が心を寄せていたか分からない。
ただ、今の私にとっては、能登は結果的には縁が出来た地域なのだから、私なりに見聞きしたものを発信できればと思う。
能登のことも間近で見て、また、関東地方に住んでいる身として、この温度差もすごく感じている。
私には何が出来るのか。これからも考えていきたい。
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