vol.2 僕と音楽のただならぬ関係 前篇(~2022年2月16日)
どうも、こんばんは。
今回は僕と音楽について書いていこうと思います。
かなりダイジェストになります(笑)
実はあんまり興味なかった
というのも、実際に僕は高校生になるまでベースがどんな音がすらわからない程度の人間でした。
子供のころは特に好きな音楽というものはありませんでした。
今思えば、父親はサザンが好きでしたし、家にレコードが何枚かあったような気がします。ちなみに母親はミスチルが好きでしたが、THE ALFEEのグッズが家にあったのでたぶん結構なファンだったのだと思います。
ですが、私自身はこれといって好きな音楽はなかったのです。
きっかけ
音楽なんて普通にテレビで流れているのを聴く程度なガキ時代でしたが、2004年、僕が中学3年の時にある出来事が起こります。
これに起因してこの年に両親が離婚してしまいます。
(このあたりの出来事はかなり重過ぎるエピソードですので省略します)
大きく生活環境が変わった僕は、当時にしては割とパソコンに精通していたこともあり、当時はやりの音楽などをファイル共有ソフトで手に入れるようになります。
今考えればクソ野郎なので過去に戻れたらぶん殴りに行きます。
そのデータの中にあったのがミスチルがカバーした”ストレンジカメレオン"でした。
当時の僕は「桜井さんはなんていい曲を作ったんだ!」と衝撃を受け、目の前の箱で詳細を調べます。そこで 山中さわお という男の名前を知ります。
そして同じ方法で曲を手に入れるわけです。最初の曲は「彼女は今日、」でした。
そして見つけた”僕の音楽"
最初は「?」でしたが、何度も聴くうちに妙に耳になじむのです。
当時住んでいた家の近くに「平安堂」という地元の本屋さんがあったのですが、ここにはビデオ1というレンタルビデオ店が入っていたのです。そこはCDも貸し出していたので、気になった僕はピロウズのCDを探しに行きます。
そこで2枚のCDを借りてきます。それが「RUNNERS HIGH」と「MY FOOT」でした。確か高校2年の時だったと思います。
そこから夢中で聴きまくったのを覚えています。
資金力に乏しい高校生がipodを買ってきて曲を入れ込んで通学時・在宅時はずっと聴いていました。
スケアクロウからはずっと作品を買い続けているはずです。
このころ、同じクラスにバスターズがいることに気づきますが、僕からはあまり話しかけたりはしませんでした。
(のちに職場やライブ会場で再会するとは思いもしまい…)
ともあれ、流行りや親の影響で聴いていた音楽とは明確に違う、”自分が見つけた”音楽に出会えたのがピロウズだったわけですね。
大学時代
大学時代になるとアルバイトを始めたこともあり、一気に作品を集めていきます。大体のアルバムはこの時に集めているはず。
だがここで僕に大小問わず事件が立て続けに起こります。2009年の事です。
(これもまた重すぎるので自重。もしタイムマシンがあるなら戻りたいのがこの時期)
当然pillowsの20周年も(勇気を出して)行ってみたかったのですが、即完で取れず。記念に…と購入したのが例のG-SHOCKです。
この時期は大分メンタル的にも落ちていたのですが、Theピーズにハマりだしたのもこのころ。ダメ人間にピーズはよく効くのよ。
916は怒りの深夜バイトをいれて金を稼いでいたのはいい思い出。
初めてのライブ
前回のnoteで触れていますが、初めてpillowsのライブを見たのが2014年の2期再現ツアーの東京公演です。
バイクを購入した高いテンションのままライブ・チケットをとったのですが、今から考えるとずいぶんマニアックなところから参加したものです。
このころは仕事にも余裕が出てきたころで、こうした余暇を楽しめるようになったんですね。
(実は就職したての頃もひと悶着ありまして、初任給が引っ越し代に消えるなどバタバタしておりました…)
初めてのライブは戸惑いを覚えつつも、”音を浴びる”という初めての経験をさせてもらった衝撃があります。
ちなみにこのころは松本に住んでいました。
徐々にライブに足を運ぶように
25周年のTOKYO DOME CITY HALLをはじめ、そのあとは各ツアー1本は観に行くようになりました。このころには長野市に転勤し、職場の1部門のリーダーを任されるなどキャリアも順調に積んでいたと思います。
ただし上司はパワハラしてくるし部下は文句言ってくるしでストレスはやばかった時期です。それを晴らしてくれるのがpillowsのライブでした。
ライブ慣れしてきてコレクターズ等ほかのバンドのライブにも足を運び始めていきます。
同じクラスのバスターズと偶然再会したのもこの頃でしたね。
30周年…そしてコロナ禍
30周年の横アリも当然参加したのですが、数日前に発生した台風の影響で遠回りをしないといけない等甲信地方のバスターズはなかなか苦慮したのではないでしょうか。
(実際同級生のバスターズは実家が被災してしまったのもあり来れなかったとのこと)
そして2020年、世の中はコロナ禍に。
コロナ前に見たライブは2020年3月4日のカサブランカ・シュリスペイロフの岐阜2マンが最後でした。
終演後に物販並んでたら、さわお氏が登場するというサプライズがあった夜です。
私の業界はコロナ禍の引きこもり需要で好景気ではあったが、その分多忙でもありました。またコロナ禍であったために「関東地方への外出禁止」などとち狂った社内規則もあり、ライブなど夢のまた夢になってしまったのです。
そんなつらい時期ではあったが、きっとまたあの日が戻ってくる。
そんな思いを抱えて日々を生きていた。
当時の私はより大きな役職も与えられ、忙しいながらも順調にキャリアを積み重ねていたと思う。とはいえ、思うようにいかないこともあり、苦悩しながら仕事をしていた。
周りに気を遣いながら、各人のやり方を尊重しつつ、自分の意見も通していく。そんな風に協調しながら進んでいく、それが自分のリーダーシップ。
そう思っていた。
2022年2月16日。今も忘れない。
そんな自分のリーダー像が崩壊した日。
≪後半に続く≫
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