
コンセプトから作るはなぜ嫌われるのか?
◆初めに
noteのゲームデザインの関連を記事を読んでいると、コンセプトに関係する記事はスキが伸びにくいという印象を受けます。(注意:ゲームデザイン関連の記事においてです。普通のデザインの記事ではありません)コンセプト自体が理解が難しい概念であるという理由もあると思いますが、僕、個人が問題に思うのが、コンセプトが製作者やプレイヤーの思考や感情を統制する点が忌避されているように感じます。それはなぜなのかについて論じたいと思います。
◆コンセプトとは
僕自身は『企画意図を全うするために作品に一貫性を持たすこと』をコンセプトと定義します。たとえば、コンセプトを和にする場合は単にテイストを和に統一するのだけでなく、企画意図として『安らぎの空間を作る』などの理念を掲げて、ビビットな色合いは避けるとか、照明は淡いディフューズ光にする、時計は置かないなど、神経を刺激しないくつろげる空間というものを意識するなどします。
このように、『目的に合わせて統制されたデザインをすること』を、ここではコンセプトと呼ぶことにします。
◆じゃぁなんでコンセプトは嫌われるのか?
そもそもの話として、『創作は自由な発想をするもの』というのが一般的な認識としてあるので、全体的な統制をとるコンセプトは反クリエイティブな印象を受ける人がいます。経験を積んだデザイナーだったら、コンセプトは一種の『お題』として機能するので、その範囲内で自由な発想をすることができますが、やりたいことが先にあるクリエイターや、感性のおもむくままに作りたいデザイナーからすると、『思考を狭める枷』と認識されてしまいます。また、これも一般的な通念として、『受け手側の感情は自由であること』という認識もあります。つまり、何かしらの意図をもって作品を作り、他人の思考を誘導するなどの『作為的なデザインは忌避される』ということです。
◆つまり、コンセプトに限らず、意図をもったデザインは嫌われる傾向にある
さすがに、『無目的、無償、爆発』とまではいなくても、創作の道に入ろうとしたクリエイターは創作自体を『自由』なものと捉えているし、他人をコントロールするのはいけないという一般常識ももっているので、全体の統制をとってアイディアを切り捨てたり、他人の感情を積極的に統制したりする、意図を持ったデザインを作ることを非常に嫌います。これは現代的な美徳である『思想の自由』に切り込んだ問題であり、自由であるか統制をとるべきかという大きな思想の問題なのです。
◆しかしコンセプトは受ける分には気持ちいい
一つ注意がいるのは、意図をもったデザインというのは悪でありません。作る人からすると、作為的で嫌なものですが、受け取るときは非常に心地よく感じます。世界観に合わないオブジェクトが置いてあると違和感があり没入感を下げます。ゲームで今現在の目的である焦点が緻密に誘導されてないと何をしていいかわからず非常にイライラします。武器や魔法も強さのランクに合わせて豪華な見た目にならないとありがたみが薄れます。プロパガンダのように思想を強制するものは問題ですが、ほとんどの場合でコンセプトを明確にして統制したデザインをすることは感情にプラスに働きます。『するのは嫌だけど、されるのは非常に気持ちいい』のです。
◆コンセプトを作ることは自分の感動が誘導されていることを暴露してしまう
これが僕の一番言いたいことなのですが、クリエイターがコンセプトを作るにあたって一番の問題は、『自分が受けて側で感動した体験が製作者側が意図して作ったものだということに自覚的になってしまう』ことです。先の『安らぎの空間』でいえば、製作者が自分の感性のおもむくままに作った心地よい空間ではなく、神経の緊張をほぐすことを目的に作為的に作られた空間であることを暴露してしまいます。
つまり、『感動していた、ではなく、感動させられていた』ということに気づいてしまうのです。
◆クリエイターは感動を狙って作ることの矛盾を解決出来ない
まとめると、コンセプトそのものの問題というよりも、コンセプトのように、『意図的に感動を作り出すということ自体にクリエイターは強い違和感を覚える』ことが問題です。似たような例にマーケティングが抱える違和感もあります、作りたいものよりも、受けるものを作るというのも、クリエイターの自由を損害する事例です。クリエイターの信念として『感動は狙って作ってはいけない』というものがあり、今回の事例はそれに抵触してしまうのです。
◆では統制せずに自由な創作で人は感動させられるか
結論からいうと、小さい作品では可能ですが、大きな作品や他人数で作る作品ほど難しくなります。イラストのような単体の作品だったら、特にコンセプトを練らなくても、製作者が心のおもむくままに作って、全体的なトーンの統一ができますが、物語、特にハッピーエンドの感動するような作品では、世界観や登場人物のコンセプトの統一、そこに至るカタルシスへの組み立てや、お楽しみシーンの構成などをしなくてはならないので、かなりの統制をする必要があります。
ゲームは総合芸術であり、ミニゲームぐらいなら大丈夫ですが、大きな作品ほどコンセプトの統一や統制、三幕構成などの作劇術は必要となるでしょう。
◆では、どういったアドバイスなら聞き入れてもらえるか
コンプセプト、マーケティング、三幕構成などはゲームクリエイターに受けが悪い議題に感じます。全体的な統制をとる理論よりも、ダメージ計算式の作り方やダンジョンの作り方など個々のTIPSを提示するほうが受け入れやすいように思えます。ただしフロー理論のような、どちらかというと作為的に感動を生む理論でも人気の話題はあるので、一概には分類出来ない点もあります。
◆まとめ
最終的な結論としては、『感動を狙って作ることを是とするか』という非常に観念的な問題提起となります。
この点に葛藤がないクリエイターはコンセプトでもマーケティングでも手足のように使うでしょう。反対に『自分の自由な発想を受け入れてもらいたい』というクリエイターは、コンセプトのことをただ単に難しい概念というだけでなく、思想を統制する悪のような感覚で見ると思います。
もちろん、ほとんどの『コンセプトってなんか気に入らないなー』というクリエイターは、ここまで自覚的ではなく、なんとなく気が進まないくらいにしか捉えてないと思います。しかし、根っことしては『作為か無作為か』という『自由か統制』かという深い思想の問題があると僕は認識しているので、議論の足しにしていただければ幸いです。
◆追記
(最初はタイトルが『コンセプトはなぜ理解されないのか』だったのですが
これだと、設定したコンセプトがなぜ伝わらないのか?という意味にとれてしまうのでタイトルを『コンセプトから作るはなぜ嫌われるのか?』に変更しました。)