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代表への就任は”自分の可能性”への挑戦

初めまして、石政佐藤石材の広報担当です!
今回は2023年、創業100周年を機に代表取締役に就任した佐藤 裕基社長の『社長になるまで』、そして『その後』についてインタビューをさせていただきました。

会社を継ぐつもりがなかった佐藤社長にある日転機が……!?
 
佐藤社長の過去、そして現在を知り、当社について理解を深めて頂ければと思います。

“石屋の息子”と呼ばれることが嫌だった!?

学生の頃、会社を継ぐつもりはなかった、と語る佐藤社長。
自分の人生は自分で決めたい、という気持ちが強く、さらに当時両親の会社の仕事に対してあまり魅力を感じていなかったのだとか。
また、両親からも“自分のやりたいことをやればいい”と言われ、“将来会社を継がないといけない”というプレッシャーはまったく無かったそうです。

「当時は、『石屋の息子はいいよなぁ』『就職先も決まっているし将来安泰でいいね』そんな言葉をかけられるのが何よりも嫌で、自分の人生は自分で決めたい、とずっと思っていました。
もともと建築や土木などものづくりの仕事に関心があり、大学は都市システム工学科(土木学科)を専攻し、卒業後は名古屋の会社に就職、インフラ設備工事の仕事に携わっていました」

by 佐藤社長

 えぇ!もともと会社を継ぐつもりは無かったんですね……!?
社長を継ぐ、という選択はかなり大きな決断だったと思いますが、なぜ別の道を歩もうとしていたキャリアから、代表就任へのキャリア転換を考えたのでしょうか。

「元々就職活動をする前に、『30歳になるまでに会社を継ぐかどうか決めてくれ。ただし継ぐも継がないもお前の自由だ』と父(現会長)から言われていて、その言葉が何となくずっと頭の片隅に残っていました。
そして30歳を目前に自分の将来を考えた時に、会社を継いで両親に孝行したい、自分の可能性に挑戦したい、など色んな感情が湧き上がってきました。
何よりこのままずっと会社員として働いている自分の姿が思い浮かんでこなかった。それが会社を継ごうと思ったきっかけです。
あと、いつも自分を支えていてくれる妻の後押しもきっかけの1つですかね。」

by 佐藤社長

こうして30歳の節目に石政佐藤石材に入社した社長。
建設現場の施工管理の仕事から一転、入社して配属されたのはまさかの営業部。緊張して顔がこわばってしまうので、営業の仕事はなかなか慣れなくて大変だったそうです。いつも笑顔で穏やかな印象の社長にも、こんな時代があっただなんて驚きです。

“チーム一丸”となって成し遂げることの喜び。

「入社当初は気合が空回りすることが多く、失敗の連続でした」と笑顔で語る社長。試行錯誤のうえ企画した事業が上手くいった際には喜びも一塩だったとのこと。
そして、その過程の中で「仕事を通じて成長を実感できる楽しさ」や「皆で成し遂げることの達成感」が社長自身の仕事の喜びに変化したのだとか。

「今は結果だけでなく、過程にもコミットするようにしています。
お客様一人一人に焦点を当て、ああでもないこうでもないと試行錯誤する過程が社員の成長に繋がり、結果としてお客様の満足度に繋がるからです。会社がひとつのチームとなり、チーム一丸となって成し得た成果ほど嬉しいものはありません。」

by 佐藤社長

“試行錯誤を繰り返しながら一緒に成長していきたい”と考える佐藤社長。
きっと社員の苦労も、喜びも、共に味わい、社員たちの成長をサポートしてくれるでしょう。
佐藤社長の温かさに触れることができた、そんなインタビューでした。

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