浪板海岸にて ep.4
人はだれかを組み敷くと、少しいじわるな気持ちになるのかもしれない。布団に背をつけていた時はされるがままだった。あなたの動きを優しく止めて身体をおこす。陶器のような顔を見下ろす。あなたの目って夜みると透き通ったガラスみたい。世界の不思議にワクワクする子どもみたい。
上からの観察者の目、鯉であったことは忘れてしまう。でもつながっている分、さばく人にもなりきれない、なんとも言えない気持ち。でもわたしはいただく側に近づいて、あなたは味わわれる側に近づいている。はっきりと役割のわかれた世界じゃない方が楽しい。わたしは余計なところを持っていないけれど、あなたの上に座って、さっきまで見られていたように、あなたを見ることはできる。こういう光景なんだね。
重力って恐ろしい。何にでもかかっていて、あらゆるものを地球にとどめている。そして重力に逆らうってすごい。実は簡単ではない。宇宙飛行士が地球に帰ってきた姿を見ると、立っている自分の身体はがんばっているんだとわかる。
そう、いまわたしの前にも、重力に逆らってたちあがるものがある。そこに地球のもつこの恐ろしい力を借りて、ゆっくり下へ。そもそもこの力はいつもどんなものにも影響を与えているのだから、借りるというのは違うのかもしれない。でも借りていると言いたい。いや、そうさせられているとまで言ってしまいたい。そうじゃないと、あなたがやってくる、それを求めてしまう、どうしようもないわたしを認めてしまうようで。
序盤に腕立て伏せをやって、わかっていた。わたしには体力がない。そしていま、もうひとつ大切なことを思い知る。夜の営みには体力がいる。腕や脚が、うまく自分を支えられなくなってきた。もしかしたら気づかれてるかもしれないけど、自然をよそおって、あなたの身体へと倒れこむ。抱きつきたくて仕方がない、という風に。
あなたは、なんとか「いただく側」でいようとするわたしをそのまま下から抱きとめて、すうとその手を腰へまわす。その手はまるで重力がなにものも逃さないように、わたしを逃さない。下から上へ、押さえつけられたまま、下から上へ。あなたのすべてがわたしの中におさまって、それでもまだ上にいこうとする。あなたの元に落ちてきたわたしがそこから離れていかないように。
わたしは気づいてしまった。それと同時にきっとあなたも気が付いたのだろう。これは…あらがえない快感だ…と。もうあがっていけない、でもまだもう少し上にいけるかも。もっと奥までいけるかも。もっと快楽の世界にいけるかも。もう少し。もう少し。
もう、あなたも体力がもたないでしょう。今日この時まで、ためて、ためて、ようやく初めて触れ合えたから、永遠にこの時間が続けばいいけど、それじゃあ次がないから、やっぱりどこかでおしまいにしないと。
どちらも鯉でどちらもさばく人。波と海原がもうごちゃ混ぜになって、水底はかき乱されて、どっちがどっちやらわからない。渾然一体のふたりがひとつの球体になって、どこまでも、どこまでも収縮して、宇宙の闇の中へ。いくよ。あなたの最後の声で収縮しきった球体がパチンとはじけて消える。消えた瞬間、永遠にも近い真空。そしてどろどろとした混沌の世界がひろがっていく。
セクスには死の匂いがある、茨木のり子の詩が浮かぶ。なんだかわかるなぁと、ぐったりしたあなたの汗ばむ身体を抱えて、ぼんやり天井をみる。この夜のわたしたちの躍動はここで死を迎え、また別の夜にどこからともなく生まれ出る。あなたの中からあふれたものはみな死んでいく。この営みには生と死がまとわりついている。
余裕のない苦しげなあなたを、どこか観察者として、でも自分そのものとして見ている。すごく力強い脈を感じる。今日一番の熱を感じる。自分の中でこんなに誰かの脈を感じることってあるだろうか。あなたはすべての体力・気力を使い果たして、わたしに身体を預けたまま、しばらくうごけないでいる。あなたの重さを感じる。心臓の鼓動が伝わってくる。ぬくいなぁ。
外では変わらず波が寄せては返して、ごおごお迫ってくる。月は今どこだろう。
どこまでも続く海原の、あの日を経験した旅館の一室の畳の上、2組の布団の中。わたしはあなたと初めて夜をともに過ごした。
(終)