土地の物語り
畑をたたんたたんと走っていく猫をみた。あの猫はうちが建つ前からいるんだよと母が言った。この辺りの猫だよと。ここに越してきたのはもう25年も前だから、その時にいた猫が、まだ元気に走り回ってるなんてことはないと思う。でもそんな猫がいてもいいし、そうやって昔を思い出してる母にとって、この猫は25年前にも駆けていた猫なんだ。
越してきたとき、となりには昔からの立派なお屋敷があって、もう片方は売り地で草が生い茂り、ヤブヘビやらアオダイショウなんかがいた。向かいには初老の夫婦と、年老いたおじいさんがいた。裏手には村社があって、そのとなりの家になぜか尼さんが一人で住んでいた。集落に入る曲がり角には、おおきなおおきなイチョウの木がどしりと根をはっていた。
とにかく猫たちがいろんなところにいて、集落中で走り回ったり、寝ていたり、愛を育んだりしていた。ときどき鈴のついた猫もいて、あれは○○さんとこの猫だ、と大人たちは言っていた。
猫たちはすぐに新しい家の周りを通るようになったけど、人はなかなか手ごわかった。古くからある集団の手ごわさだった。
越してきてすぐに、立派なお屋敷の主がなくなった。この土地の方針では、隣家が通夜などを切り盛りする役回りになっていたそうだが、なにしろ新参者である。何もわからないので、「おとりもちさん」にやってもらったと、母はあとから話してくれた。
「おとりもちさん」はこの集落を仕切る重鎮たちで、お世話焼きでもあるし、せまい集団の手ごわさをぎゅぎゅっと集めた人たちでもあった。お葬式をするときは、亡くなった家の人はなにもせず「おとりもちさん」と隣家がすべて取り仕切るしきたりだったそうだ。これはコロナ禍で廃止された。
「新しく来た人」という目で見られる中、神社の横に住む尼さんはわたしのことを気にかけてくれた。わたしは尼さんを「おばあちゃん」と呼んで、ときどき遊びに行った。おばあちゃんはよく、うちにやってきては野菜やお花をくれた。おばあちゃんの家の前にはたくさんの植物があった。
りっぱな白い花が咲いていて「これなあに?」と聞いたら、「夕顔」と教えてくれて、「気に入ったなら持って帰りなさい」と鉢ごとくれた。夕顔という言葉の響きがきれいだっただけに、このでっかい植物にそんな名前がついていることが信じられなかった。夕顔はもう枯れていなくなったけど、別でもらった水仙たちは、いまも毎年咲いている。
おばあちゃんは子ども相手にもちゃんとしたお抹茶を出した。しぶくて、一口目でうっとなる。でもひとりの人として見てもらえているようで、毎回飲み干して、おいしかったと伝えた。
記憶の中では、一生懸命お抹茶を飲む自分と、ぼんやり子ども向け番組の音がする。おばあちゃんがどんなことを話していて、どんな表情をしていたのかが、すっぽり抜け落ちてしまっている記憶。そこに白く光るような存在としておばあちゃんが居たことだけを覚えている。
新しくできた友達と遊ぶのに夢中になって、しばらく遊びに行かなかった。そしてある日、「おばあちゃん亡くなったんだって」と言われた。小学2年の秋である。自分のせいな気がした。
お通夜は小さなお堂の中で営まれていた。おばあちゃんとわたしのやりとりを知っている人はいなかったから、わたしは部外者で、近づくことができなかった。いや、参列してもよかったはずだった。でも、いつもひとり静かな中にいたおばあちゃんの周りに、黒い服を来た知らない大人たちがたくさんいるのに、怖くなった。たくさんの花の中におばあちゃんの遺影を見つけて、バイバイと心で言うので精一杯だった。
それからその場所は、跡を継ぐ人がいなくなって空き家になった。亡くなってはじめて、おばあちゃんの身の上を、少しだけ大人たちが話しているのを聞いて知った。ずっとおひとりで、親戚も遠くで、だれも継ぐ人がいないんだと。亡くなってからしばらくして見つかったんだと。空き家の前にたたずむお地蔵さんをわたしは勝手におばあちゃんだと思っている。前を通る時には挨拶すると決めている。
集落の入り口にいたイチョウの木は、秋になるとみごとな黄色に染まっていたけれど、ある日切り倒されてなくなった。そこには駐車場ができた。いろんな事情があったんだろう。
りっぱなお屋敷に住んでいた人たちもだんだんといなくなった。しばらくして更地になって、売りに出た。そして新しい家が5つも建った。
向かいに住む初老の夫婦も高齢になり、やがてなくなった。誰もいなくなった家は、音もせず、明かりもつかず。やぶれた障子はそのままになっている。
おとなになった今、母から聞いたこの土地の濃密な人間関係を、子ども時代の記憶と交叉させてみる。子ども時代に知らずにいたことが、少しずつ明らかになる。同時に、濃密なゆえに逆に何があったのか、ほんとうは何を思っていたのか、よくわからなくもある。
知らなくてもよかったことかもしれないけれど、故郷の人たちを、良いも悪いもできるだけ記憶しておきたかった。何を考えて、何を守って生きてきたのだろうか…と。それは史実として語られるようなものじゃない。でもたしかにこの時代をこの土地で生きてきた人の営みや感情である。この土地の物語りである。
わたしの家が建つこの場所にも、もともとは別の人の家があった。その人は画家だったそうだ。その家がなくなったとき、あぁ…と切なく思った人がいただろう。そこにわたしたちが新しい家を建てた。画家の人の物語りのうえに、新しい物語りをはじめた。
わたしの知らない時代にも、この土地でいろんな人が暮らしてきた。そうした何層もの物語りを、土地はもっている。だれもそれを知らなくなっても。
猫たちも何代、世代交代しただろうか。25年前、もっと前から変わらずにこの土地を走ってゆく。わたしの家はいまだに猫たちの通り道である。この光景は、どれだけ世代がかわっても続くのだろうか。いろんなかたちで続けばいい。
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