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精神科閉鎖病棟の青春 上
去年の夏はひんやりと涼しかった。夏の暑さを一度も感じることはなく2024年が終了した。
病院の一角にある、街の景色が一望出来る大きな窓の特等席。そこから微かに見えた花火が綺麗だった。今年は絶対に生で見るんだ。
2024年、6月末。横紋筋融解症(おうもんきんゆうかいしょう)という病気になった。ある朝起きたら、筋肉痛を何倍も痛くしたような症状が起こり、足が動かなくなっていた。その日に病院に行って血液検査をしたら異常な数値が出て、即入院となった。原因はオーバードーズによるものだった。
私はその当時、明くる日も明くる日も100錠前後のODをするのが日課だった。酷い時は200何十錠もの薬を飲んだこともあった。周りに心配されたくてODをしているタイプではなかったので、300錠以下に留めておけば運ばれないでしょという浅はかな見通しだった。
1週間弱の入院を終えて数日後、積もり積もっていた希死念慮が爆発してなんか今日自殺できるかも!とふと思ってしまった。当時もうODが全く効かなくなっていたこと、だからといってこれ以上飲んだら確実にまた入院になるし、逃げ場が無いという絶望感に打ちひしがれていた。残された道は死しかない。これを逃したらもう死ねないと思い実行した。
でも自殺は念入りに計画的に派だったので(自殺の助長にならないよう詳細は省くが)、抜け目無くしっかり薬の配合を考えて、首吊りロープを絶対に解けないよう設置して、前日に寝ないでおき、かつ飲酒と薬による酩酊状態で首にロープをかけた。私の読み通りしっかり意識は薄れていって、ああ、もう終わるんだな…と思った。不思議と怖くはなかった。
が、目は覚めてしまった。覚めた瞬間、うわ、これは後遺症コースだ…終わった……と思った。視界は真っ白で、鏡で顔を見ると舌も真っ白になっていた。鼻からは血が出ており、首にはくっきりとしたミミズ腫れの跡が。とりあえずスマホスマホ…と思って探したが、そういえば死ぬ前にスマホを無くしていたことを思い出す。スマホを鳴らして貰う為に近所の友達の家をピンポンした。
友達はありがたいことに居て、今の状況を説明した。無事にスマホは見つかった。病院に行った方がいいか悩んでいたところ、友達の判断で救急車を呼んで貰うことになった。そこからは即入院。多量のODの影響で膀胱炎になり、何度も尿道カテーテルをして貰った苦い思い出。
後遺症はちなみに右肩の骨折くらいだった。本当にラッキーだったと思う。そして2日後、精神科の病院に送られることになった。同意しなければ医療保護入院などもっと重くなる可能性があった為、私はやむを得ず同意した。
最初の頃はそりゃあもう地獄だった。スマホは取られているし何の気力もないので、一日中天井を見て過ごしていた。そんな生活が何日も何日も続くと、本当に気が狂った。人間を一番狂わせるのは圧倒的な暇だと思う。
私は絶対にいい子でここを過ごして1ヶ月でここを出る。そして、多少の痛みは伴えど確実な方法で再自殺をする。と、この時心に誓った。この頃はこの世界の何もかもが憎くてたまらなかった。普段いい子にしている反動で面会に来た親にも強く当たってしまった。後にも先にも、この入院生活とこの後にすることになる入院生活が人生で一番辛かった。
何も出来ないなら人と話したい、人に飢えている〜死ぬ〜〜、と思い廊下をふらついて居たら、歳が近そうな女の子を発見。どちらともなく、初めまして!となって話した。話を聞くとどうやら病棟一の最年少で高校生らしくびっくり。この子と、私の1個上のもう1人の女の子とは、毎日夜の決まった時間に集まって3人で廊下を2時間程散歩する仲になる。
高校生の女の子は保護室出身で私よりも長くここに居るようで、他の精神病棟のメンバーも沢山紹介してくれた。そして、お昼もみんなと一緒に食べるようになった。仲良くなった年上のお姉さんやお兄さんを見送る時は少し寂しくなった。精神科のメンバーは良くも悪くもここだけの仲である。
精神科病棟は若者が多いイメージがあった為、こんなに老人ホームみたいだとは思わなかったというのが私の精神科病棟の率直な感想。高校生の女の子と私の1個上の女の子や、卒業したメンバーを除いたら他のメンバーは歳が大きく離れていた為、気を使うことも多かった。ここで気を使っても仕方ないなと思い、お昼は一人で食べるようになった。
実はこの時、私よりちょっと前くらいの同時期に、上に出てきた友達とは別の友達が飛び降りに失敗して別の普通の病院に入院していた。スマホが時間制限ありで触れられるようになってからは、この子とよく電話をして入院友達として分かちあっていた。
もうすぐで入院1ヶ月が経とうとしていた7月末頃、退院出来ない事実に気付いてしまい酷く落ち込んだ。しばらく数日落ち込んだ後、開き直るしかないと思い、1ヶ月経ったこの頃やっと本が読めるようになった。高校生の女の子と本を交換して感想を言い合ったりもした。
続く