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私がカトリック信者になるまでの話し✞

こんばんは、

私は、23歳でカトリック信者になりました♡✟

発病と同じ時期に学校でもらった新約聖書を読み込みました♡

私はかろうじて高校進学が出来ました。

元々、中学生の3年生の頃から、下痢で不登校気味になっていました。

高校も一学期間しか通っておらず、家で過ごしその間、母さんに話してキリスト教の教会に行きたいと話しました。

母さんは田辺に教会があると話し、母さんと一緒に田辺のカトリック教会に行きました。司祭館に行き当時女性の伝道師?かシスターの様な方がいらっしゃいました。私服のシスターでした。

神父様はお留守でした。シスターに、玄関先で入信したいですと私は話しました。

司祭館でシスターと母さんと私はお話しをしました♡✟

その後、家に電話がありました。毎週木曜日の夜の7時から要理勉強会をしましょうと云う話しになりました。日曜日のミサにも通いました。

米国人神父様から要理勉強をしました♡✟

米国人神父様は、要理勉強の中で死刑についてどう思いますか?と質問をされました。

私は普段考えた事もありませんでした。私は、返答に少し困りましたが、「死刑に反対します」と答えました。理由まで説明出来ませんでしたが、その様な質問が初めてだったためです。

米国人神父様は、散髪に行った時の話しを聞かせて下さいました。

散髪の床屋💈で渡されたマッチに大仏がタバコを吸っている絵が描かれていたそうです。

神父様は、それを、「宗教に対する冒涜の様に思いました」と話されました。

ある要理勉強後に、次の日曜日のミサ後に教会バザーがあるのでお手伝いに来てください。と言われました。

次の日曜日のミサ後にバザーの本の売り子になりました。私は、暗算が少し苦手なので、お金を渡されてしばらく、お金を数えることをせずに、手のひらのお金を目視で、数えるのが精一杯でした。

16歳でアルバイトもしたことが無いので仕方なかったと思います♡

16歳の要理勉強会の最終日に教会に行くと、神父様はいらっしゃいませんでした。

シスターが、「あら、ご連絡出来ずに、すみません、神父様はご帰天されました。」「お祈りください」と言われ、お骨や遺影に向かい、どうお祈りして良いか分からずにたたずんていました。

シスターは、来週に最終の要理勉強会をしましょうと言われ帰宅しました。

シスターの思い出は復活の続唱が難しかったのでみんなで居残りで練習したことです。

要理者は米国人神父様です。

米国人神父様は、私よりも漢字にお詳しい方でした。教会用語が難しかったのかも知れません。

私は、次の神父様が誰かも決まらない中、どうして良いか分からずしばらく教会とは、疎遠になりました。

当時、母さんは私が教会に通っていて安心してくれていました。

私は、病院通院を続け、当時は先駆的だった、精神科デイケアに毎日通うことになりました。

教会のことも、あまり気にしない生活を送っていました。

22歳頃、失恋を機にカトリック教会に通うことになりました。

神父様に要理の変更点を教わり、聖書勉強会に参加しました。

家族に洗礼を受ける話しをしました。長男筋の長男ですので、母さんは大反対でしたが、もう自分の事は自分で決めることが自立だと思います♡✟

そして、23歳の御生誕祭、クリスマスイヴの夜半のミサにて、洗礼を受けました。

代父様はオルガンを弾かれる先生にお願いしました。

無事に洗礼式が終わりました。

しばらく後に、衣笠墓地に米国人神父様の墓参に行きました。花束と手書きのお手紙を墓前にお供えしました。✟

米国人神父様は初めて私を大人として扱って下さったと思います🙏✟

コロナウイルスが流行り、基礎疾患がある私は、しばらくの間教会には行けませんでした。

また、教会のホームページを見て、教会に通う様にしたいです。✟♡

最後まで読んでいただきありがとうございます\(^o^)/



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