グルメライドの魔力【自転車と歩んだ4000日】
健康診断で血糖値が上限を超え、御堂は自転車を始めた。だから御堂は、自転車中に食事を摂ることをしなかった。
初めて限界チャレンジした時は、プロテインの粉末を持っていき、現地作成して飲んだほどだった。
自転車とは忍耐力のスポーツ。食事も忍耐で乗り越えるものだと、御堂は思っていた。
しかし間違いに気がつくのはそう遅くなかった。
自転車の運動強度は強い。しかし体への負担は小さい。どういう事か?
体感よりもカロリー消費が激しいのだ。
走行後の空腹感に勝てず、御堂は逆に太っていった。
それだけではない。走行中に体に力が入らなくなるのだ。
後にそれをハンガーノックと呼ぶことを知る。すなわち運動が引き金となって起こる低血糖症状である。死亡例もあるほど危険な事だと知り、御堂は手の平を返したように、走行中の食事にのめり込んでいった。
これは40代の自転車乗りが、身バレを恐れながら自転車との関わりを描いた自伝小説である。
走行中の食事がいかに大事か分かれば、後は楽なものだった。なんせ走りに行く先に食べたいものを設定すれば、新しいコースの開拓と目標の設定が両立できるのだ。
例えば日本一の湖、琵琶湖を回る「ビワイチ」などは秋がお勧めだ。蕎麦好きの御堂は間違いなくそう答えている。
なぜか?新そばの季節だから。それ以外に理由はない。だったら長野じゃないの?そう思う人は素人である。
長野は標高が高いので、秋は寒いのだ。御堂は極端な寒がりだった。
滋賀県には伊吹そばというものがある。これは固有種であるため、滋賀でないと食べることはできない。これを食べることなく、盲目的に信州そばを推すのだけはやめてもらいたい。
長野の中心で「なんでこんなに蕎麦屋多いの?」と叫ぶ。
御堂は蕎麦好きとしては少々異端の血が騒ぐタイプの人間だった。
御堂の思う蕎麦ランキングは越前、伊吹、信州の順番になる。あくまでも好みの問題だ。長野に恨みはないし、批判するつもりもない。
ただ越前おろし蕎麦を経験することなく蕎麦を語るような愚かな真似だけは避けてほしい。恐らく人生がひっくり返るはずだから。
ちなみに添付画像は越前おろし蕎麦ではなくて、ビワイチの間に食べた蕎麦である。伊吹そばですらない。伊吹そばに出会えるチャンスは少なすぎるので画像が見つからなかったのだ。
(御堂は写真を残しているはずなのだが…)
琵琶湖一周の間に蕎麦を食べ続けると、面白いくらい味が違う。蕎麦の香りがその土地によって変わるのだ。
この感覚を知ると、出先の食事がなおさら楽しくなる。
例えば長野県の伊那地方を走った時のこと。御堂は調べに調べてから向かった。駒ヶ根のソースカツ丼は確かに魅力だったが、あえて選ばなかった。手を出したのはB級グルメと呼ばれるローメンだ。
すでに80kmくらい走っていた体には、麺に染み込んだ塩分が心地よい。
ソースカツ丼はまだ走る体には重すぎると判断し、次回走行時のゴール近くで食べようと思う。
御当地グルメと言えばソフトクリームを忘れてはいけない。たかが乳たんぱく質と乳脂肪分でできた柔らかく頼りない山岳がもたらす口腔内の風景は、富士山の山頂から見るご来光を遥かに上回る。
お勧めの時期は真冬である。自転車だと雪と相談となるが、氷点下の外で食べるソフトクリームは最高だ。
溶けないのだ。あの頼りなかった小さき山岳が溶けることなく、そして手にしたものを全力で拒むのだ。
その刹那、ソフトクリームは乗鞍を越える山岳ステージに変貌する。一口含むだけで体が、心が凍りつきそうになる。最高だ。まさしく最高峰だ。
苦しみも困難もねじ伏せた者だけが自転車乗りを名乗ることができる。つまり真冬のソフトクリームは自転車そのもの。
攻略した後に残る達成感は夏とは段違いだ。夏場のソフトクリーム?あんなすぐに溶けてしまう季節に食べても、ゆっくりと味わうことができない。それだけではない。夏場に食べる冷たい食べ物など、快適すぎて自転車乗りの食べるものではない。
島を回るときはゴールの後で海鮮に舌鼓を打ち、山を走れば蕎麦を食べる。平地は走らない。平らな場所には何もないから。
そんな事は…ないか。
そうしてグルメライダーはどんどん次の食べ物を求めて旅に出る。
もしも長野県で蕎麦を食べない自転車乗りがいたとしたら、それは御堂なのかも知れない。