1年だけの競歩やった話
※結論だけ知りたい人は、「目次」の(なんで競歩をしたのか)のところを押してください。
長文になります。
⚠️誤字、脱字は推測して読んでください。
あいさつ
HRのドレミの歌
〜ツ、テテテテテテン〜
「ド」は、泥臭くやる方が化学的よりも強く なれます。(多分) のド〜
「レ」は、練習あるのみ、jogをしましょう。
のレ〜
「ミ」は、耳って、エロいですよね!
(頼むわかってくれ)(唐突な性癖紹介) のミ〜
「ファ」は、ファミマのスイーツが一番うまいです。
(異論は認めない) のファ〜〜〜〜
「ソ」は、ソース(情報源)は?って聞いてくるやつ俺は好き!
(医療では重要)
(普段の会話ではやめた方がいいと思います。)
「ラ」は、ラストスパートはスタートしてから。 のラ〜
「シ」は、死因が陸上だったらそれは本望。
さあ歌いましょ!!!
(本当に歌えよ?)
どうもHRです。
クソみたいな茶番に付き合ってくれてありがとうございます。
いつも記事を読んでくださりありがとうございます。
……………………………………………………余談。
2/15はバレンタインでしたね。
私がチョコを貰った数はなんと「0個!!」
これは超絶怒涛の自己ベスト(タイ)に相当する、素晴らしい記録であります。これからも頑張ります。
(何を頑張れば良いねん)
記事の動機
自分で競歩人生を真剣に振り返るいい機会でしょう。
今回は小学3年から陸上長距離をやってきた自分がなぜ、高校3年時だけ競歩をしたのかを話していこうと思います。
怪我や、ランの種目で出場できないからという理由ではありません。
Q.では何で?
そんな自分の中にあった葛藤、心境などをお話しできればなと思いこの記事を書いた次第であります。
私ごとですが、競歩に良いイメージがなく最初の方はやりたくなかった思いもありました。
その辺を踏まえて今回の記事を楽しんでいただければと思います。
(れっつらごう!)
競歩のルール
※大まかに二つ
1
地面に足をついてから体の真下の位置に来るまで膝を曲げてはいけない。
(ベントニー)
「ベント、bent→曲がる
ニー、knee→膝 」
2
歩く時は、必ず地面にどちらかの足が接していなくてはならない。
(ロス•オブ•コンタクト)
(3.他人を殴ってはいけない。←みたいなのは皆さんわかっていると思うので割愛。)
競歩の経歴と心境
競歩の大会にちょくちょく出てますが、大会の二週間前から競歩の練習をし、他は全部普通に走る練習スタイルでした。
高校3年のインターハイ路線だけは全てを競歩に費やしました。
•最初は高1の地区新人
(本当は1年生の時からちょくちょく出場)
はい
結果、、、、、、「失格!!」
これが、陸上人生において初めての失格。
(どぉぉしてだぁよぉぉーーー!!!)
その理由は4000mで、「ベントニー」
つまり、膝が曲がってしまい失格に、
(こんなこと初めてだったから、失格ってマジで、現実を突きつけられた気がして嫌だっつた、、、)
マジで、この時は落ち込みました。
走る種目にも選ばれず、競歩に挑戦っていうことでやってので。さらに、このままゴールしてたら入賞で、今季新潟県1年で1位か、2位のタイムでした。
また、この時雷がなってて競技が、歩いている途中に中止。ワンチャン失格がDNF(途中棄権)になって次の県大会に進めるかなと思いましたが、通用せず。
↑レース後に知りましたが、人数が少ないためDNSさえならなければ県大会に進むことが出来たようです。
(結局、県大会には進めました。)
あー良かった良かった。
ここでリベンジできるんでしょう。
•挽回をかけた県新人(2戦目)
うん、、、、棄権
風邪ひきました。(何やっとんねやー)
もーー、またチャンスを失ってしまった。
大会3日前から風邪をひき始め、全てを悟りました。
2日間先生に30分間の恐怖の電話、欠場の旨を伝え案の定マジで怒られた。
この後、
なんか知らないけど、大会の5日後5000m(走る方)で、ベストを更新しちゃったんですよね。
(マジで何だったんだ?
競歩ってこんなに走るのに繋がるものなのかと)
ということで次
•高2の県新人(代替え)
春には競歩をしてません
本当の県新人はコロナにより大会自体が中止に
でも、嬉しかったことが一つだけあります
それは、県新人に出場する種目が、5000m競歩と800m!と夢にも考えてなかった良くわからない組み合わせが帳消しに(イェーイ)
(大会に出たくないとは言ってない!!)
↑これ大事
だって、長距離で、一番スピードが速い種目と遅い種目(しかも歩き)ですよ!練習ごちゃごちゃになる未来しか見えませんでした。
※不謹慎ですみません。
「は?!なんだこの組み合わせ。どうやってこの短期間で練習すればええねん。しかも、カスな俺が二種目!?(みんなは一種目)イジメか?」
種目発表の時に少し笑ってしまいました。
(先生、すみません)
大会がなくなろうとも人間捉え方次第で、どうにでもなることを学んだぜ⭐️
(多分、違うそうじゃない)
さらに嬉しいことに
代替え大会は3位に入ると石川で行われる北信越新人に進むことができます。さらにスタートリスト中で経験者は3人しかいない神展開。
(これは、もろたで、工藤)
石川いけるっっ、、!!!!!↑↑↑
結果→→→→4位
「wtf」\(^○^)/
これ、何がやばいって競歩未経験者に負けたこと。(何してんねん自分)
吐くほど悔しかった。
(今でも思い出したくない)
しかもタイム悪かったし………
良かったことは
初めて完歩出来たこと。
→それが1番の目的だったかな。
これが俺の1番の挫折かも
•高3春地区予選
春地区は1位を掻っ攫いました。
これは自分にとって転機となった大会だと思います。
振り返ると、この時は自身に満ち溢れていました。
先生には26分台を目標にと言われてましたが、「ワンチャン24分台行けるかも」なんて高望みしてたし、俺でもこれぐらいはできると底力を見せたかった大会でもありました。
また、この時期は北信越に行くことが目標にやっていたため、あんまりこの結果は嬉しいと行く感覚にはなりませんでした。こう思えるのも成長かもしれません。
(あくまで目標は県大会4位以内)
↑北信越出場条件
行けるぞー石川わぁぁああ!
•県大会
さぁ、、一番準備してきた大会です。
結果、、、1位
全てが報われました。
今となってはとても嬉しいんですけど、
今まで陸上をやってきて決勝にも、進んだことがないクソ雑魚だったので、しばらく嬉しいと言った感情はなく、ほっとした感情の方が大きかったなーぁ
また、一番タイムを持ってた人は途中で失格になってたので、「あれが失格じゃなかったらボロ負けてたなー」なんて思ったり。
(むしろこんな俺が勝っていいのか)
みたいな。
一位になったことよりも、学校のために8点取れたことがよかった。
(本気で人の為に頑張ってよかったなんて思ったのもこれが初めてかもしれない。こう考えてた方が気持ちいい)
次は北信越だ!
と満足せず次の戦場に目標が向いてた。
(イキってたんかな俺、)
•北信越
私は13位
ついに、制裁を喰らいました。
「ちゃんと準備すれば覚醒してインターハイ届くかもしれんなー」なんて夢を見ていたら自分のパフォーマンスが出せなかったレース。
悔しいというか、先生とのレースの報告で「競歩を甘く見てきて、乖離打ちにされた結果」と言われて物凄く納得しちゃった。(キュん)🤮
確かに、うまくできすぎていたことが多かったなー
でも、北信越は勉強になる部分がたくさんありました。(教材の宝庫)
例えば、佐久長聖高校の選手の走りを見てもう全然レベルが違うなと圧倒されたり、顔、目つき、筋肉、絞れ方、オーラなど経験したことのない異世界に転生したんかなってぐらい。
(凄く楽しかったです)
あと、普段はテントを張らないのかどこにいるかなんて全然わからない!
戦い時にしか現れない、
まるで侍。
つくづく、こういう大きなプレッシャーのかかる大会で結果を残せる尋常じゃない情熱をお持ちの人は尊敬します。
(一体どこからそんな力が湧き上がってくるのでしょうか?)不思議なものです。
へーこんなことあるんですね。
写真を見返したら、スタートで隣が田幸君でした。
今では同期ですよ!とてもビックリ!!!!!
(ガンジーが助走をつけて殴るレベル)
俺.10番 彼.11番
人生なんらかの形で巡り巡るんですね。
一つ一つの経験を大事にしなくちゃと思いました。
余談
帰りの高速のPAでソフトクリームを食べて帰るこれが一番のご褒美。(多分毎年恒例)
違かったらすみません。
むしろこれが本編であるんじゃないかな?!
(ここでキメて、優勝を飾る)
とてもおいしかったです😋
(自分にとっては)
悲しいですが、次は引退レースになります。
•県選手権
引退レースです。(寂しい)
まさかの優勝
(二人しかいなかったんだけどね)
あーこれで全て終わるんだー。と思いながらレースしました。
後から知りましたが2周目で心拍190に到達していたようですが、苦しいとは思いませんでした。なんか引退パワーでもあったんですかね。不思議なものです。
この後は大学では競技を続けないつもりだったのでここで区切りをつけ受験に専念します。
顧問の先生にはとても感謝です。捻くれいてた自分をここまで導いてくれたことをとても嬉しく思います。
なんで競歩をしたのか
さあ本題です。
理想は"走って"結果を残すことでした、そんな中その気持ちを押し殺し競技転向した理由は今のところ以下の2つに落ち着いています。
1
何か1つ結果を残したかったから
(これが大元)
そんな簡単に言うな!
と言われそうですが、私には確実に北信越に行ける自信がありました。
高二の県新人(代替)から、高3の春地区の間でタイムが物凄く伸びた理由は高2の冬に県の練習会に誘われたからだと思います。
これが私の転機になります。
今まで1キロを全力で6分切れるくらいの実力でしたが、この時の2キロのタイムトライアルで、10分2秒を出すことができました。物凄く感覚が研ぎ澄まされ。全てを悟ったかのような感覚になりました。今まで負けていた人にも大差で勝つことができました。
(とても気持ちよかったです)
結果を残し、大学は総合型選抜で受けようと思ったため、そこで受かるための実績が欲しかった。
ちな受かりました。
2
環境がよかった。
競歩の大会に出場する(先生からお声がかかる)にはそれ相応の理由がある気がします。
自分の場合は、「反張膝」
膝をが逆に曲げることができます。
これは、競歩のルール、ベントニーに関しては物凄く有利になります。
(ルールは冒頭の方に書いておきました)
ですが、安定しないため怪我しやすく諸刃の剣。
さらに、自分の一つ上の先輩にはインターハイで表彰式に登ったり、入賞するた選手が二人いました。その人から教えてもらうノウハウや、競歩のフォームを間近で勉強できるのはこの部活しか無い強みだと思いました。
(本当に感謝してます。その節はありがとうございました。)
最後に
一昔前は、競歩は長距離の遅い子がするスポーツみたいな風潮を感じていたのですが、実際にはそうではなかったようです。
自分もそのようなイメージがありましたが、プライドを捨て、運良く成長することができ、学校に大会の得点で貢献することができました。
色々なことに挑戦してみると様々な視点が生まれ、ものごとを楽しむことができます。
競歩からは陸上のことに限らずいろいろ学ぶことが多かったですね。
みんなに競歩を進めると嫌がるのは何故なのでしょうか。
(自分の学校だけかもしれませんが)
ものすごく楽しい競技なので1度やってみることをおすすめしたいぐらいです。
ここからは自分が、勝手に思っていることなのですが、
大抵の人は競歩をやりたいなんて思って入学してくる人はいないと思います。
自分が競歩をすることで、後輩に競歩でも活躍できる道を作る。競歩に挑戦しやすい環境を作る。そのような選択肢が一つあってもいいのではないかな。
競歩をした自分の役目として、
先輩のノウハウを後輩に繋ぐことと勝手に思っていました。
せっかくインターハイで入賞する先輩がいるのですら、そのノウハウを自分が受け継いで、後輩に伝授する。
(実際にできたかは知りません)
ですが、後輩が二人インターハイに行ったり、北信越に進んでくれたいして勝手に嬉しい気持ちになりました。
(これからも応援します)
競歩は走りに繋がる部分もあると思います。
地面からの反発を使えない分、自分の筋力で進まないといけません。筋力、心拍機能強化にはもってこいです。
もし、今怪我などで競歩をやってる人がいたら焦らずに競歩に没頭してほしいなと思います。
また、経験談としてこのことは最後に書いてその人には申し訳ないですが、自分の同期で2年では怪我だったのでしょうか、春は競歩に取り組んで地方大会まで行きましたが、翌年には走りの方でインターハイに進出してました。
ものすごく勇気もらいましたね。
とても尊敬します。
(最後まで諦めずに頑張ることの大切さを学んだ気がします。)
ということもあります。
夢は誰になんと言われようと最後まで諦めちゃいけませんっっ!!
こんな長ったらしい文章を読んでくれた人は何か才能があるんですか?
最後まで諦めないで読んでくださりありがとうございました。
終わり
5468文字
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