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優しさを極めた末路

昨日彼女に振られた。
たった5ヶ月だったけど、本当に濃いお付き合いをさせて頂いた。別れの理由は性格だったり、歳が離れていたりといくつかあったと思う。しかし、一番の理由は”優しくしすぎたこと”彼女の口から発せられたのは''優しすぎて辛い''私はその場では意味がわからず、ぼーっとしていたかもしれない。ここでは優しさを極めた人の末路を書き出し、自分はどうなのかと思いを膨らませてほしいと思う。


初めての彼女
人生初の彼女が出来たのは22歳夏。
通っていた英会話の受講生として出会った。自分の一目惚れで声をかけ何回かおしゃべりした。記憶が濃いのは淀川の花火で、誰よりも近くで見てやろうと二人で計画を立て、仕事終わりに見に行ったこと。河川敷の傾斜によじ登り、初めて彼女の手を握りながら眺めた。今考えるとあの時の私は覚醒していた。全てを完璧にこなし、彼女は最高に幸せそうだった。しかし、帰り際の告白で彼女は考えたいと言った。ここから、彼女を落とすための作戦を沢山考えた。

淀川花火大会

付き合ったのはそれから2ヶ月後。
インドネシアに留学が決まり、少しの間会えない期間があった。その間彼女とは毎日と言えるほど電話をしていた。インドネシアの留学は孤独との戦いだった。彼女のおかげで留学を成し遂げられたと思う。朝5時に帰国した日彼女が会いたいと言ってくれた。天王寺公園にあるカフェでシュークリームを食べた。彼女のシュークリームの食べ方が汚すぎて爆笑していたのもいい思い出である。その日の夜彼女の家でお泊まりをして、告白し付き合った。初めてリア充となった奇跡の日である。

新プーマ財布を求めて

彼女に合わせて成長していく。
彼女は付き合ってすぐに言った。財布を替えてくれ。後にプーマ財布と呼ばれるそれは無印良品にある海外旅行用のシンプルな財布に、チェーンをつけたものである。今考えると小学5年生みたいな財布だったと思う。これを彼女は嫌がっていた。そこで神戸にあるlemmaという革財布を買いに行った。今も経年劣化で色が変わって行き、よりいい色味を持つようになっている。買いに行けたことが嬉しい反面彼女が彼氏にしてあげるという構図がこの時出来上がったのかもしれない。自分はこじらせていた為、自信がなく彼女に助けて貰うことが当たり前のようになっていく。その代わりに私ができることを2つ考え、実行することを決めた。1つは誰よりも愛を伝えること。もうひとつはとにかく優しく、受け入れることだった。

間違った優しさ
私は優しさの区別を間違ったのだと今では思う。彼女に言われたことを全て受け入れることが愛であり、彼女の為なのだと思っていた。付き合ってから彼女は自分の不出来な部分を沢山指摘した。改札の出入り時にICカードの準備ができてない。
レジでもたつく。眉毛を沿ってない。服がスティーブ・ジョブズなど沢山言われ続け全て直した。これを言われた時には自分が進んで折れていた。最近、これがエスカレートして理不尽な内容で怒鳴られることも増えた。例えば予定時刻より10分早く着いたのに、''早く来るなら言えよ。''と言われた。けど優しさを極めていた為、ぐっと堪えていた。自分が悪い所もあるこまめに連絡をしてなかった。私は口に出さず、行動に出してしまった。その場から逃げたのだ。彼女と喧嘩したくないと思う気持ちが大きかったのだと思う。

lemma


お別れ
昨日彼女とお別れをした。ちゃんと2人で向き合って話をした。性格が合わない、好きになりしれない自分に自己嫌悪するのがしんどい。度重なる蛙化などの理由でお別れをした。ちゃんと相手に向き合うこと。それができないことが何よりの原因だった。

総じて
優しいは全て受け入れることでは無い。人の気持ちを考えるならば相手のことをしっかり見て、ダメなことなら叱ってあげれることが本当の優しさだ。無理に尽くそうとする必要は無い。自分の気持ちをしっかり伝えることの大切さを学んだ。今日は2/14バレンタイン。彼女が前々から作っていたチョコを渡しに来てくれる。その後荷物を持って部屋を後にすることだろう。虚無感に駆られるのは想像にかたくない。しかし、この経験を活かして成長という修行に出たいと思う。2年後独り身だったら復縁する話はその頃どうなっているのだろうか。

最後の夜

元彼女へ
読むことの無いあなたに一言だけ。
沢山綴ったけど、今も変わらず大好きです。
優しいだけじゃなく、相手のために本気怒れる人になります。もし良ければ2年後修士課程を卒業したら復縁しよう。そして、いつか結婚してください。

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