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五億年後のきみへ③ 宇宙を漂うボトルメール


 もしこの手紙を読んだのが人間だったら、たしかに存在したディトという人間のことに思いを馳せてくれ。
 これを読んでいるのが人間以外だったら。俺たちは神さまの手のひらでもてあそばれてたってことが証明される。そして過去に人間という愚かしくも愛おしい生物がいたことを知って驚くだろう。
 そう宇宙は輪廻してるんだ。誕生と終焉をいくたびも繰り返して。俺のいる宇宙が一体何周目かわからねえけど。
 俺は地球に残された最期の人類。
 太陽の膨張に地球が飲み込まれる直前。地球に残った俺とカミルは地下シェルターのガラクタ置き場の格納庫から、ボロボロの宇宙船を使えるように改修して太陽に呑み込まれる寸前の地球から辛くも脱出した。
 しかし地球を出て半年たったところで食糧も尽き、燃料も残り少なくなった。
 俺のように身体が丈夫じゃないカミルは宇宙船での生活に身体が馴れず徐々に痩せ衰えていった。衰弱してとうとう死期を悟ったカミルはこう言った。
「ディト、きみは人類の最期の1人だ。ぼくはもう駄目だけどきみだけは生き延びてくれ。きみは二十年間ずっとひとりで生きてきたんだ。だからきっとこの宇宙でも生きていけるよ」
 そう言いながらディトは息を絶えようとしていた。俺とディトは愛し合っていた。人類の最期のふたりとして。
あいつは「もしぼくが女だったらアダムとイヴみたいに子孫を残せたのになあ」なんてしおらしいことを言いやがった。
 俺はベッドに横たわるカミルの手を握りながらこう言った。
「おまえ、最期に何か望みはないか?」と。そしたらあいつはこう言ったんだ。
「ディト、僕が死んだら僕を食べてくれ」
「ああいいぜ。おまえを食ってやる」
「ありがとう……。きみに逢えてよかった……」
 それがカミルの最期の言葉だった。我ながらとんだブラックジョークだ。
  もちろん食ったさ。それがあいつの望みだったから。
 俺は冷たくなったカミルの身体を分解処理装置に入れて粉末状にした。それを集めてコップに入れて水に溶かして飲んだ。うまかったね。貴重なアミノ酸やミネラル類。これを少しずつ消費すればいくらか生き延びられる。文字通り骨まで愛してだ。
 しかし俺は途方にくれた。
 この宇宙でたった一人生き残ったって無意味じゃねえかと。
 何かの本にこの宇宙は人間のような知的生命を生み出すために創造されたなんて書いてあったが、とんだデタラメだったって訳だ。なぜならこの俺があの世へ行ったあとも間違いなくこの宇宙は存在するからだ。誰も認識する者のいない宇宙がこの先ずっと続くと思うとぞっとする。この世にこれほど怖えことはないだろう。もし仮に人類最期の生き残りが俺じゃなくカミルのほうだったら……きっと発狂して自殺したに違いない。
 証拠に「おまえを食ってやる」って言ったときのカミルの顔ときたら、今まで見たどんな人間よりも幸せような顔だった。俺がもし特殊な訓練を受けて精神的にも肉体的にも鍛えられてなかったらとっくに狂い死にしていたに違いない。しかしJ博士が集めたチルドレンの中で最も優秀な成績を修めていた俺は、兵士として生き延びるためのあらゆる技術を叩きこまれていた。そこに俺は自分の存在意義、プライドを持っている。だから俺はこの絶望的な状況下でも屈することなく、立ち向かうと決めた。感情を切り離して精密なマシンになるんだ。俺は必死に考えた。
 万が一にも生き残る方法はないか?
 残された燃料から割り出した宇宙船の航続距離。水は小惑星を採掘して得た氷を溶かし、純度99%のものを確保してあった。食糧はフリーズドライして粉末にしたカミルの身体だけ。
 俺は宇宙地図を見ながら唯一の可能性に賭けみることにした。
 それは最も近いブラックホールに突入することだった。
 地球から脱出した宇宙船の到達可能範囲内に、移住可能な地球型惑星は存在しなかった。少なくともコンピュータにプログラムされた宇宙地図にはそんなものは存在しなかった。
 しかし俺とカミルが冷凍催眠装置のカプセルで目覚める何百年も前に、何十隻もの宇宙船で地球を脱出した連中がいるらしい。ほとんどの連中は恒星の引力に引かれて燃え尽きちまっただろうが、一部はブラックホールに突入する賭けに出たかもしれない。万が一ブラックホールを抜けた先の宇宙に、移住可能な水の惑星があったならそこに移住して暮らしてるいかもしれない。
 万に一つもない可能性だか、どうやら神さまとやらは奇跡がお好きらしい。生命が誕生したのが奇跡なら、てめえが精根かけて創った人類が滅ぶのを憐れんで奇跡を用意しないともかぎらねえ。

 もしこの手紙を読む者がいたとしたら、再び生命が誕生し知的生命体に進化したということを表している。
 つまり神さまってやつはやっぱりいて、人間みてえなやつが生まれるようにうまい具合に調整してるって訳だ。例え何度人類が滅んだとしても。俺はまたどこかでカミルにも逢えるかもしれない。

 今俺は重力制御装置を反転させて、宇宙船が潰れないように調整しながら、ブラックホールへ向かっている。
 俺はこの巨大な黒い穴に入る前に冷凍催眠装置に入るつもりだ。このあと俺は死ぬのか、奇跡のような幸運に恵まれ、同胞が住む水の惑星に辿り着いて救助されるか全く分からない。何百年あるいは何千年後に俺が目を覚ます瞬間があるのか。あるいは恒星の引力に捕まって宇宙船ごと燃え尽きるか。AIによると燃え尽きる可能性が99.9974%らしい。
 しかし俺はたしかに存在した自分の生きざまを知って欲しくてこれを書いてる。俺もとんだロマンチストになったもんだ。この手紙を読む者なんか存在する訳ないと理性では分かっているんだ。しかしこれを書くことによって人間としての正気を保っていられるのかもしれない。
 あと五時間もすればこの宇宙船はブラックホールの重力に引き込まれて引き返せなくなる。そして俺は冷凍睡眠に入る。だからその前に俺は透明な耐熱容器にこの手紙を容れて船外に射出する。届くあてのない人類最期の手紙を。


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