High Context Culture(その1)
空気を読むこと=正解?
「日本では空気を読まないといけない。」これはよく言われることですが、一生懸命に空気を読んだ先にみなさんの期待する未来は待っているでしょうか?もちろん空気を読むな、とは言いませんが、目指す方向に満足のいく速度で進んでいないとするならば、まずは視点を変えて空気を読まない文化について今までよりも深く考えてみましょう。
Low Context Cultureの真髄は正確性
文脈を読まない文化をLow Context Cultureと言い、例えば英語圏の国は日本に比べればこの文化に分類されます。空気を読まないなんてけしからん、と感じる方も多いと思いますが、私が強調したい特徴は、この文化圏で活躍している方は物事を非常に正確に伝えることができるという点です。他人から空気を読んでもらえない文化では伝えたいことを正確に言わなければ相手には伝わりません。Clarify(明確化する)とSimplify(簡略化する)を頻繁に求められ鍛錬を重ねているため、話の説得力が我々のものとは質が異なります。
日本語がHigh Context Languageであることは否定できない
少し古い言葉ですが、空気を読まない人たちは一般的にKYと呼ばれます。そのような方に話をしても、こちらの言おうとしてることがうまく伝わらず、話が進みません。そのような状況を経験したことのある方は多いと思います。日本語は文脈で話者の言いたいことを読み解くことを前提に構成された言語です。文の構造上推測しながら読まないと解釈しにくく、同じ単語が文脈次第で意味が異なる(Noの意味の「大丈夫」など)ことが多く、同じ発音なのに意味の異なる単語(家庭と仮定など)が多い、など、挙げると切りがありません。言語そのものが文脈重視だという点に意識が必要です。
曖昧な場合があるということが理解できていることが重要
己の価値基準を当然と思うことはリスクです。例えるならば、自分がされても嫌ではないことは、他人にしても良いと思っている残念な人になってしまいます。
さらに己の文化の価値基準を当然と思うこともリスクです。同様に例えると、日本では当然だとされていることは、アメリカでも当然だと思う残念な人になってしまいます。
自分の属する文化の価値基準だけで物事を見ることは、適切な行動を選択する機動力を落とす可能性があるということです。我々が通常言葉にしない多くの文脈の中に、紐解いていけば実は大きな成果が上がる洞察が潜んでいるかもしれません。