遠慮なく時間と労力を考慮しましょう
我々は、考えすぎてしまうことが多い
当たり前のことですが、時間と労力は限られています。例えば、去年のこの会議の資料は20ページあったので、今年も20ページほどの資料を準備しないと。。という先入観は不必要です。なぜなら労力の浪費につながる可能性があるからです。会議の目的を明確化し、不必要な情報は減らしましょう。
他の例でいえば、結論が明らかなことは関係者100人に確認を取る必要はありません。確認することにも時間と労力はかかるからです。より価値のあることに時間は使うべきでしょう。
さらに別の例でいえば、この件は4年前の時はどうやって対応したのか、10年前はどうやって対応したのか、資料を探すために倉庫を調べる必要はありません。今と過去は状況が異なるでしょう、今真剣に考えた結論を尊重すればよいのです。
これ以外にも、考えすぎてることがないか、振り返ってみていただくと良い発見が得られるのではないでしょうか。
勤勉さを基礎として、判断という武器で勝負すべき
日本では調和が重んじられるため、可能な限り判断を慎重に行う傾向があります。会社で勤務している人は、しなければならないことを一つ一つリストアップし、コツコツとそれをこなしていく生活をされている場合が多いと思います。もちろん小さい作業を勤勉にこなしていくことは重要です。ただし、小さい作業を永遠に繰り返すことが人々の望む人生なのでしょうか、と問われると私は疑問です。効果が大きい問題は、優先度をあげて対応するほうが賢い選択です。我々は判断という武器を使用することで、仕事の効果を大きく上昇させ、人生をより充実したものに変化させることができます。
時間と労力を考慮し、事前に提示する勇気を持ちましょう
人は時として、他人の仕事への労力を過小評価することがあります。何かを人にお願いするときに、自分なら5分で終わるので5分で片付く簡単な仕事だよ、と言うことがあります。これは難しいことを他人に押し付けようとする常套手段です。しかし、受け取る側から冷静に返事をするならば、内容を確認するだけで5分以上かかります、5分で終わるなら自分でやってください、という話かと思います。何をどう工夫すれば物事がより効率的に進むのか、を考えることが重要です。その仕事はなぜ必要なのか、勇気を出して問うことが重要です。不要な作業をする暇は、社会の一員として持っているべきではありません。不要な作業を他人に行わせる権利も同様に、社会の一員として持っているべきではありません。
ただ処理するのではなく、学びの機会にしましょう
単純作業は無駄な熟練を生みます。無駄な熟練は大きな発明があった際は一瞬で淘汰されます。何かを単純に処理する機会は、学びの場として活用する必要があります。1時間要する仕事を1分で終わらせられる仕組みづくり。1分で1件ではなく、1分で100件終わらせられる仕組みづくり。出来ると信じて学び続ければ、自ずと方法はあみだせると私は信じています。そのためには常日頃から時間と労力を考慮し、必要な作業/不必要な作業、開発すべき仕組み/捨てるべき仕組み、持つべき能力/不要な能力、などについて熟考していくことが重要だと思います。