白黒はっきりしない話は無理にはっきりしなくて良い

人生何事も白黒がはっきりすれば、とても楽ですね。しかし、物事には白黒はっきりしないことの方がむしろ多いのではないでしょうか。ただし、この記事は読者の方の頭を灰色だらけにしたいわけではありません。それでは代表的な例を見ていきましょう。

あってる or 間違っている しか見ようとしない人

何かの物事に「あってる」または「間違っている」で分類しようとすることがあると思います。これは非常に分かりやすいですが、しばしば厄介なことにつながる分類だと私は思います。世の中が変わり、昔と今では重視する項目が変わってきています。昔の最善策と今の最善策は当然変わります。今の最善策を実行しようとする際に「昔の決定は間違っていたということですか?」と言われても、それは状況が違うので間違っていたわけではありません、という発想が妥当です。しかし、あってる or 間違っている の発想が強い方は納得できない場合があるでしょう。これが非常に厄介な状況です。

放任主義 vs 過保護

別の例を挙げようと思います。子どもには過干渉しないことを方針にしている親御さんはいるかと思います。一方で、何から何まで管理しようとする親御さんもいると思います。ただし、現実はどちらか100%であることはなく、その間になります。子ども自身を尊重する側面と必要なサポートを行う側面、そのバランスが重要であり、どちらかに極端になることを目指す必要はありません。

Spectrumとして物事を見る訓練が必要

白黒で見ようとすると、物事のバランスを見ようとする意識が生まれにくいと私は思います。一つのアイディアとしては、スペクトラムとして理解しようとする試みです。光を波長で分類すると赤色から紫色へ様々な色に分けることができます。黄色を美しいと思う人もいますが、青色を美しいと思う人もいるでしょう。波長という軸でみれば、黄色と青色に大きな差はありませんが、我々はそれを繊細に知覚することが可能です。何かを評価するときに、自身が極端に走らないように要素のバランスに注目するという意味で、スペクトラムを意識するという方法が便利だと思います。

適切な塩梅を求めることを躊躇しないように

言語表現の一つとして、極端な表現をしてしまうことはあります。例えば、絶対ではないものに「絶対」とつけたり、いつもではないことに「いつも」とつけるなど、我々は自然とハッキリさせようとしてしまうものです。しかし、バランスをどのように取ることが適切か、という議論ができない人には最善策を見つけるための選択肢が極端に狭まってしまうことは意識しておく方が良いでしょう。

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