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森 敦 『月山』を読んで
威圧と憧憬、または快楽とよろこびの境界について
森敦が山形県庄内注連寺に滞在したのは1951年(昭和26)6月から翌年の8月まで、39歳のときだった。森敦の『わが妻わが愛』によると妻の実家のある酒田市、また師と仰ぐ横光利一のふるさと庄内地方に惹かれて敗戦直後から放浪し、注連寺に行き着いたという。そして小説『月山』を発表したのは、1973年森敦62歳、22年後のことだった。
「森敦研究会」の井上明芳氏は森敦の原稿の書き方は1ページ目から書きだすのではなく「ノリとハサミで書く」文章を切り取って貼り付け、コピーして切り取りまた書いて行間から埋めていく結果、「無時間の作品」になったという。*
体験から作品の発表までの時間と作中の時間とが、途方もなく乖離しながら繋がっている。有限の時間の威圧を無限の時間への憧憬に替え、生と死を作品化したようなものだ。
『月山』冒頭の山の中、山が見えない。風景の内側にあるのか外側にあるのか。「彼方に白く輝くまどかな山」は心の内のイメージなのか、自分の外の実際なのか。語り手「わたし」はつねにイメージと実際の境界にいる。
定かでない昔から寺に保管された和紙の「祈祷簿」を、のりで貼り合わせた蚊帳の中で「わたし」は、繭のように一冬寝泊まりして、おのずと変成して飛び立つ天の夢を見る、とある。だが、春が来てみれば、なんとも薄汚れた文字もすすけた襤褸紙の山だったことに気付く。境界に住む者には、どちらも見えているのでどちらにも属することができない。純白の天蓋が覚めれば灰色の襤褸の山。
「この世のものでない者たち」の村では花見の宴は深い雪の中で開かれる。冬の果ては冬の頂であり、地獄の火のような雪山の夕焼けは赤くて黒い。極から極へ境界を越えるのではなく、意味が変容する。「死とは死によってすべてから去るものであるとすれば、すべてから去られるときも死である」と。
セロファン菊の「あねちゃ」は、白い蚊帳の中で寝姿で男を待っていたが、男が来ないことで極上の眠りを得た。快楽を得るよりも喜びを得た女と、得たかった快楽より寂しいよろこびを知った男と。
「この一年は幽明の境に寝起きしていた」とは、作品それ自体の生命が「わたし」をして境界に在り続けることを強いていたのであろう。これが、もう一回はじめから読んでみようかと思わせる仕掛けで、何度もはじめにもどるように作られた『月山』の魅力、森敦のふるさとなのだ。
*「森敦研究会」https://www2.kokugakuin.ac.jp/i_wrks/info/discussion.html#info
『月山・鳥海山』森 敦 文春文庫2017年7月10日 新装版第1刷