舞台「Endless SHOCK -Eternal-」 感想
(ネタバレあり)
2024年5月15日。
Endless SHOCK Eternalを観に行きました。
モンスター・コールズを観に行ってから、ものすごい速さで新たに勝利くんを観に行ってるわよ、この人。
今回はライバルのショウリ!
本編みたことないのに、チケットとれなかったから、
私のSHOCKはスピンオフから!!!!!
全く予備知識なしで行きましたが、
本編のストーリーを先にダイジェストで教えてくれる。優しい。
でも全部英語だった。優しくない。
学生時代の英語力全駆使して、リスニング頑張りました!
勝利くん出てくる前から、「ショウリ、貴様」と殺意MAXで座席にいる私。
楽しい楽しいSHOCKの幕は上がりました!
以下は感想。筆者の経験談もあります。そういうのは聞きたくない方はすみません。
煌びやかなショーの世界が広がるセット。
アメリカのラスベガスみたいな、
ネオンが街できらめき、ドレスアップした観客が劇場へ足を運ぶ。
私みたいな平民はそれこそ一生の思い出になるような、現実離れした幻想的な夢の世界。
豪華絢爛なセットの中、
選ばれし役者だけが、その中央に立ち、
スポットライトを独り占めできる。
人々の憧れ、子供の夢、
華やかな衣装、香り高いパルファム、
惹きつけて止まないその場所は、
強くライトに照らし出された表面以外は、
血が流れ、人間の執着が蔓延る場所。
あまりにも美しい。
魅入られたら、そこから帰ってこられないのだろう。
何か、私の何か1番大事なまたはそれに等しい何かを
差し出さなければ
もう二度と現世には戻れないような場所。
こういう時に人は「綺麗な薔薇には棘がある」と言うのだろう。
それでも強く握りしめていたい美しさだ。
指や手のひらが、傷だらけになることなど、些細なことだ。
いくらでもくれてやろう、むしろ安い。
観ながら「あーこれはかつての彼らの事務所の社長が憧れていた場所だろう」と思った。
何度も子供たちを連れて海外にまで行き、ショーを見せていたな、というエピソードを思い出した。
彼らの幼少期の中で、どれほど強烈にその記憶が残ったかは知り得ないが、
私自身には一つ、強烈に記憶に残ってる出来事がある。
小学生くらいの頃、それはエンターテインメントを何も享受できなかったような時期だ。CDなし、ドラマもバラエティもなし、ゲームもなし、そんな頃にマイケル・ジャクソンが亡くなった。
なんか連日テレビで報道されていて、その少し前から児童がうんぬんかんぬんとか、なんか整形がどうとか、そういうニュースがよく流れてた。
あんまり良くない印象だった。
いとこの20歳も離れているお兄さんが、よくマイケルの曲を聴いてた。
あんまり良くない顔でそれを見てた。
その人が、亡くなったって言う。
少しして、映画が公開されることになった。
やるはずだったコンサートの映画だ。
「THIS IS IT」
なんかよく分からないが、ミーハーのおばさんに連れられ、小学生ながら公開日の映画館に行くことになった。
夜の街に出たことなんて、あまりない。
いろんなことでドキドキしてた。
映画が始まった。
私はその日からエンターテインメントに囚われている。
映画が1秒、また1秒と過ぎる度に好きになった。
エンターテインメントの何もかもを、
ショーの世界を。
最新技術を使った素晴らしい映像、
迫力あるダンス、女性ダンサーのヒール、
舞台装置、音楽。
ゾンビが怖くて、映画館の椅子の肘掛けを強く握りしめた。
ずっとずっと夢中だった。
今まで生きてきて、その時を除いて一度も起こったことがないのだが、
映画の最後、観客全員が拍手をしていた。
私も自然にそうしていた。
本人はいない。もうこの世界のどこにも。
ここは日本だし、誰にも届かないけど、
私たちはそのキング・オブ・ポップに拍手をあの日送ったのだ。
それから初めて買ったポップスのCDだって同名アルバムだし、映像を漁り見た。
SHOCK内でもオマージュされてたと私は思う。
黒人のダンサーに挟まれて赤手袋で踊るコウイチ。
マイケルのDangerousみたいな世界観。
「いいな」と憧れた。
でも私にはそんな度胸はないし、
今だって普通の会社員だ。
競争社会にいた時もあった。
すごく小さい競争でも私には無理だが、
でもだからこそ、
あの血みどろの舞台上に、
嫉妬にあふれ、苦しさにも忍び耐えた、
高貴で狡猾な強く燦然と輝く魂だけが、
あのスポットライトに照らされているのを少し、
少しだけ知っているつもりだ。
それは「一握りの人間」だ。
広大な砂漠の、その一つ一つが才能で、その中でも、つままれた一粒。
輝き方が違う、
その魂の放つ光は魔法であり魔力であり、紙一重の危険だと思う。
コウイチの輝きはあまりにも、
あまりにも強い。
魔物ですら喉から手が出るほどに
欲しがる魂だな、と思った。
ショウリはその魂を欲する魔物のささやきを聞いてしまった哀れな人間だと思った。
とても人の手には負えないものだ。
だから
コウイチは地獄行きだな、と思ったわけである。
こんなに人を魅了する人が死んで天国に行けるはずがないだろう。
私らはその輝きを見失い露頭に迷う哀れな屍になるしかないじゃないか。
そのスポットライトに照らされ歌う、
美しい半身の元に、
どれほどの数の才能たちがその足を泥濘から掴んでいるのだろうか?
魔物たちはその魂を欲し、人間たちはその座を欲す、
そしてそういう人の歌やダンスだけがエンターテインメントを名乗っていい。私はそう思う。
もう少し若い時にSHOCKに出会っていたら、
この身を全てコウイチの背中を追うことに捧げていたな、と思っていた。
血だらけで、焼き切れてしまっても、劇場の汚れになってしまってもいい。
全て捧げてでも、あのライトを、受けたいと思っていたかもしれない。
ただ、SHOCKは今回でラストイヤーである。
ラスト、ということでひとつ思い出した。
去年USJに初めて行き、今はないスパイダーマンのアトラクションに乗った。今はない、という文字通り、リニューアルではなく、もうない。
本音を言うと、どの乗り物よりも一番楽しかった。一番並んだが、それでもいちばん楽しかった。
ただ、その通路には四角い箱型のパソコンが並び、ビデオ風の映像が永遠と流れている。
それらはもう歴史だ。もう令和にはないものだ。
SHOCKという舞台の主軸にあるものは、「Show must go on」なのだろう。
これは本当に今の時代も受け入れられる精神なのだろうか。
真剣をコウイチは受ける。
今、舞台で真剣を取り出されて、それを受ける人はいないだろう。
「演出のトラブル上、今回の公演は中止」
「払い戻し対応」
「振替公演なし」
「死人、ケガ人なし」終わり。以上だ。
人命が優先、「Show must go on(ただし例外あり)」の時代だろう。
「舞台上で主演の人刺されたっぽい!」
「(動画拡散)」というところか?
いいか、私。
もう、あなたの憧れてたショーはもうこの時代にはないんだ。
エンターテインメントは今はもうこの4畳半の上でだって作れる。
あなたは万バズのTikTokerで、YouTuberで、顔も出しても出さなくてもどっちだっていい。それがあなたじゃない他人の、2次元の皮だっていい。
おもしろければいい、誰にも呪われなくたっていい。スポットライトはネットショッピングで買える。
劇場に足を運べる人たちの何十倍もの人たちにあなたの「美しさ」を見てもらえる。
そういう世界だ。
もうエンターテインメントに人生の全てを捧げる時代は終わったんだ。
令和のエンターテインメントの神は言うだろう。
「恋人?友人?家族とのかけがえのない時間?いらない!そんなの!
そんなの捧げなくても
エンターテインメントは誰でも受け付けます!
さあ、投稿しよう、ワンタップで!」
私の好きなエンターテインメントはきっとSHOCKと共に幕を閉じる。
私が思っていた崇高な魂の在り方はもう、古く時代遅れだ。
他の舞台でも、若人の話より、父母世代の言うことの方が同意できるな、と思っていた。
でもそのキャラクターたちは老害、と言われてた。
私は20代でありながら今を生きる令和人の自由な行動を阻害するような、思考回路だ。
私は本当に私のアイドルたちの価値観と同じスピードで歩めるだろうか?
時代に合わせて発信することができる彼らの、
ひどく後方に取り残されていくのでは?
彼らは優秀だからきっとすぐ世の中についていけるだろう、
私は?
SHOCKはなくならなければならない、
どれだけ愛されていても、だ。
と雨の帝劇前を歩きながら思った。
私が勇気を貰っていたものは終わる。
本当に私がどれほど感動して、どれほど美しいと思っても、
どれほど、できることならこの魂に近づくように努力しようと思っていても、その考えは
「古い」
もう何もかもが変わるところにファンの私は立たされているかもしれない。
もしも、
この考え方が淘汰されず、残り続けるのだとしたら、
私は、自分のアイドルが血濡れのスポットライトの中に立っているところが見たい。
私たちには見えないところで、
他を圧し、
そして誰にも届かない場所で、
自分だけに歌とダンスを、届けて、くれたの、なら。
コウイチはやってくれたけど!
コウイチの姿にかつて私が憧れたKING OF POPを少し見た気がした。
絶対に届かないスーパースター、ファンに娯楽だけを届ける眩い光。
ずーっと遠くで見ていたきらめきが、
2階の欄干に。
すごいでしょ?
エンターテインメントの届け方を、
どこまで目が行き届いていればそんなこと思いつくんだって、
1階では映像も流れてて、
誰も置いていかないことを、現実で体現できる人が
何人いるのだろうか。
それもなくなるんだ。
光一くんを初めて見た。
これがあのアイドル事務所のトップか。
と思った。圧倒的だった。
圧倒的に辞書通りの手本のような「アイドル」だった。
この人を師に私のアイドルは生きてるのか?、
「へぇ」と笑みが溢れた。
舞台を観てから3ヶ月も経ってしまった。
しかし
私の愛したエンターテインメントはあながち「古い」と切り捨てられないのでは?と最近思った。
SHOCKが終わっても、とりあえず私の目の前の勝利くんが持ってるしな、と彼の行うオーディション動画等を観て思えるようになった。
彼は新しいメンバーに求めるもの、それが「品」だと言う。
あなたたちが帝国劇場で舞うとき、その足の先の先や、爪の先の先、髪の毛1本1本の先の先神経にまで纏わせているそれのことですか?
よかった。
この感想もすぐに投稿していれば、私の愛するエンタメは可燃ゴミになっていただろう。
ショウリ、
ショウリは愛くるしい人間だった。
高慢で自信家、ギラついた才能の持ち主で、若く、自惚れていて、コウイチに出会う前は世界が彼を中心にして回っていただろう。
彼が疎まれないのは口だけではなくその身で研鑽を積んできたからだろう不器用な若人は愛されている。
衣装の輝きが忘れられない、憎たらしいほど輝いていた。若さが痛い、
ライブでキラキラ衣装に身を包んだ佐藤勝利を見た。その時はとてもしっくりくる、と思っていた。
それとは似ても似つかないような輝きだ、
佐藤勝利の顔の人物が、「俺を見ろ!!!」
と言っている。
その衣装の輝きの隙間から傲慢さが漏れ出ている。
泥臭い輝きだ、佐藤勝利の輝きを見たことがないな?お前みたいに強欲に輝かないぞ、ショウリ!
「俺を見ろ!!!!」だと?お前はまだコウイチに届かない!1000年早い。
まだ不味い魂だ、せいぜい苦しめ!
まだまだだぞ優等生、人を1人刺したくらいじゃ、
良い子ちゃんは天国行きだ!
…分からないか?焼け死んだんだよ、私は。
眩しくて、鬱陶しくて、強欲で、少し可愛いショウリ、その放たれる高熱のオーラ、溶岩の如き魂に触れて私は死んだのさ。
私が観たのは「Eternal」コウイチが死んだ後の世界、
自分が死んだ後も自分が死んだ時のナレーションをつけてくる。
なんだそれ。バカか?
リカの気持ちにも気づいていて、ショウリが先走っていることにも気づいていて、
エンターテインメントの為に魔物に魂を先に売ったのはコウイチの方だったな、と思った。
舞台上でその契約がカチリとあっただけの話だ。
最高到達点で死んだ。
かっこいいとすればいいか?愚かだ、貴方は、本当に。
いや、知ってる。かっこいい。貴方は。
ショウリ、悪いがあんたはただの道具だ。
星を殺す為だけの舞台装置だ。
今までの努力は1番星を1番にするための材料でしかなかったな。
大馬鹿者は死んだ。死んだら触れられぬ。
ここから先は君のものだ。
死者は進めぬが、生者は進める。
弔いが済んだら君が王座につけ。
生きて、老いろ、
最高に到達してゆっくりと落ちればいい。
エンターテイメントに死ぬな、絶対に。
ただ、
エンターテイメントのことはずっと死ぬほど、
愛していな。
死んだコウイチへの復讐だ、ずっと。
ほら、私たちはずっと囚われているんだ、
その背中に。
勝利くんが「世界のセンターになってほしい」と
舞台を観てから今日までの間で言われていたな、と思い出した。
「どこだろう?笑」と彼ははぐらかしてたけど、
貴方が「アイドル」という職業のセンターで、
憧れの中心で。
私には到底届かないような、高貴で慈悲深く、
気高くまばゆい魂であれ、
帝国の皇帝であれ、と私は傘を忘れた雨の帝劇から歩いて駅に向かいながら思ったよ。
純度が高ければ高いほど、エンターテイメントの毒は強い、人を1人終わらせることなど、あまりにも容易い。早く言ってくれ、SHOCKを観たらもう戻れないと。コウイチは魔法使いの顔をした呪術者だ。もう見えた、私は私のエンターテインメントを忘れない。
私の愛するエンターテインメントを観た。
これが私の愛するエンターテインメントの姿だなと再確認した。
そしてその愛するエンターテインメントの魂を受け継ぐ人を見つけた。
その人をずっと見続けようと思った。
ついでにずっと前から好きな人だった。
これはそれだけの話。