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広場の孤独『大通り』(フアン・アントニオ・バルデム)

フアンは博打仲間の悪友に唆されて、一回り年上のイサベルを惚れさせようといたずらを始める。イサベルは大喜びでフアンと婚約するが、あとに引けなくなったフアンは罪悪感にかられて自殺を考えはじめる。

窓ガラスの向こうを行ったり来たりする人びと。あてどもなく街を回遊するだけの若者たちが、ふと思いついた他愛ない残酷なゲームにのめり込む不穏な一本。会話の合間に知り合いとすれ違いざまいちいち挨拶するのだが、ほとんど息継ぎの頻度で『よお』『元気?』とかやっていて、互いに監視し合うような狭さと他に行き場がない閉塞感がいや増していく。バルデムは前作『恐怖の逢びき』のメロドラマから一転、都市の喧騒と空虚な人々を物量で納得させる都市のリアリズムを分析している。

戯曲が元になっているようだ。 Carlos Arniches , La Señorita de Trevélez(エドガル・ネビリェはじめ何度か映画化) 。戯曲では、標的になる女性を戯画的に描き、彼女をめぐる男同士の決闘など交えた明示的なすれ違いのファルスになっているようだが、『大通り』では喜劇的な演出を意図的に排除し、悪友に小突き回されて矢面に立たされる男の焦燥を煽るホラーのような撮り方になっている。ロルカの『独身ドニャ・ロシータ』も原案の一つとか。これはアルゼンチンに旅立った婚約者に待ちぼうけをくらう話。
また題にもなっている路上を刻名に映しておりこれはもう一つの主役である。撮影場所はクエンカやパレンシア(Palencia。カスティーリャ・イ・レオン州)。

検閲についての台詞がある。イサベルはアメリカ映画好き。フアンと二人建設中のマンションに忍び込み、アメリカ映画の白い壁に憧れながら結婚後の部屋の間取りを決める遊びをはじめる。『居間はここで、寝室はこっち。検閲のせいでいつもベッドがふたつあるんだ』既にコードの存在がスペインでも知られているというのも発見だが、このシーンでは検閲が強いた表現上の制約への皮肉と、ふたつもベッドがある豊かさへの憧れが無邪気に表れている。
また出番はそんなにないのだが映画冒頭勝手に死んだことにされて憤慨している爺さんドン・トマスは、オルテガやウナムーノがモデルと目され、彼らのファーストネーム(ホセ、ミヘル)で呼ぶのさえ検閲で禁止されたなんて逸話も。

マンションのシーンに限らず、フアンは終始黙り込んでイサベルの話を上の空で聞いている。イサベルの話の中身もたいがいなのだが、仲間の手前引くに引けなくなったフアンはマンションの床にあいた穴にイサベルを突き落とそうという衝動に駆られる。フアンには懇意の娼婦がいるのだが、二人の女の間で揺れ動く話になるかとおもいきやもっと観念的な逸脱を始める。

フアンとは対象的にイサベルの居場所は台所か教会にしかない。それゆえフアンからのアプローチに、疑うことを知らないか、老いた母親への慰めか、イサベルはのめり込んでいく。フアンに熱烈なキスをあびせまくり、部屋に戻ると一人余韻に浸っては、虚空の一点を見つめる顔面がヤバい。
別になにをしたわけでもないのに、イサベルは街を追われる。フェデリコは彼女を駅に追い立て、大げさな口調で「生きるんだ!」なんて叫ぶ。余計なお世話だが、駅にたどり着いたイサベルが窓口の駅員に行きさきをたずねられただけなのに、まるで自分がどこにも居場所のない人間のようにみえてくる。「どこだ?どこへいくんだ!」

イサベルを演じたのはベッツィー・ブレアで、『マーティ』で評価されたものの、赤狩り旋風でアメリカを追われ欧州に来たところバルデムにキャスティングされた。

バルデムは前年の出世作『恐怖の逢引き』(Muerte de un ciclista)でも国際女優ルチア・ボゼーをキャスティングしている。外国人キャストで検閲をすり抜ける手はこの時期よく使われたようだ。フランコ時代の検閲については書き写し記事を書いた。

『恐怖の逢引き』

ルチア・ボゼーは大女優。アントニオーニのデビュー作に出て、今作、のちにはフェリーニ、タヴィアーニ兄弟、コクトー、デュラス、ロージなど作品に出演。2020年惜しくもコロナ感染症により鬼籍に入った。『恐怖の逢引き』はメロドラマで、ボゼーが主演したアントニオーニの初長編『愛と殺意』(1950)とほぼ同じ話。比べてみると、アントオーニがいかに天才かわかり、ボゼー様のお召し物にため息が出る。『恐怖の逢引き』はつまらなくはないんだけど、斜め上をむいて黄昏てばかりのフアンがなんかひっかかる。

『大通り』にもどろう。フランス資本と折半で撮っていて、キャストもスタッフも外国人でかためてる。撮影監督はキーウ生まれのフランス人Michel Kelber (9 April 1908 – 23 October 1996)。錚々たるメンツと仕事している。Marc Allégret , Robert Siodmak , Claude Autant-Lara , Jean Cocteau , Jean Renoir , Jean-Pierre Mocky , Julien Duvivier。ヴィシー・フランス時代スペインを訪れ、ラファエル・ヒルとの仕事も残しているようだ。

音楽は前作担当したアルゼンチン人のIsidro B. Maizteguiが作曲したものの、試写の評判が悪く新たにハンガリー人のジョゼフ・コズマ(ルノワール、カルネ作品等)が制作に加わる。

初稿でフェデリコの名前はFederico Artigasとなつていて、これはホルヘ・センプルン・マウラ(Jorge Semprún Maura、1923年12月10日 - 2011年6月7日)の地下出版時代の筆名だった。
センプルンは政治家一家。マドリード生まれで内戦勃発後フランスに亡命し、ソルボンヌ在学中にスペイン共産党に入党し、義勇遊撃隊員としてレジスタンスに参加した。戦後帰国し、フェデリーコ・サンチェスの偽名でスペイン共産党秘密工作員となり、フランコ政権への抵抗を続けたが、1964年に党の方針から逸脱するとして、サンティアゴ・カリーリョ書記長に除名された。こうしてセンプルンは再び亡命を余儀なくされ、フランス亡命後は政治活動から身を引き、文学に転じフランス語で著作活動に専念。回顧録のほか脚本たくさん書いていて、組んだ監督はレネ、ガヴラス、ロージー、サンチャゴなどすごいメンツ。この人についてはまたいずれ


Calle Mayor
1956
99m
Directed by Juan Antonio Bardem
Written by Juan Antonio Bardem

Betsy Blair (dubbed into Spanish by Elsa Fábregas) as Isabel
José Suárez as Juan
Yves Massard as Federico(dubbed into Spanish by Fernando Rey)

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