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1970年の競演 ステイシー・キーチvsバッド・コート

ステイシー・キーチバッド・コート。70年代の傑作映画に相次いで出演した二人の名前を見てわくわくするなら、二人が共演した1970年公開の二本を見ない手はない。これがどちらも驚くべき傑作。
共演したといっても実際に二人が揃って画面に映る時間は少なく、めいめいが主役を取った映画にちょっと顔を出して様子をうかがった、そんなふうにも見える。なぜかどちらも険悪な仲なのがおかしい。

今週から菊川の映画館Strangerで上映される『ゴングなき戦い』(Fat City)の予習のつもりだったがあまり関係ない話を以下あれこれ。キーチ主演作のほうを分量多めであらすじと時代背景などさらってみる。



『バード★シット』 Brewster McCloud

ロバート・アルトマンが『 M★A★S★H マッシュ』(1970)の大成功を受けて設立したライオンズゲートフィルムズ製作の初長編映画で、MGMライオンが吠えるのを忘れるびっくりな幕開け。10年くらい前早稲田松竹で見てぶっとんだ大傑作(併映『ナッシュビル』はまるごと寝た)。

ヒューストンの市街では連続殺人事件が起きており、なぜか事件現場には鳥の糞が残されている。市長の計らいで噂の敏腕刑事が派遣されてくるが、聞き込みの結果浮かび上がる犯人像はカメラを持った背の低い男、という曖昧な情報だけ。一方その頃、ドームの地下を根城にするブルースター(バッド・コート)は警備の目をかいくぐり今日も今日とて"空飛ぶ羽"造りに精を出す。馴染の少女がアジトを訪ねてきてブルースターの上腕二頭筋にうっとりして自家発電に精を出すのに見向きもしない。というのもブルースターは世話人(サリー・ケラーマン)が忠告する掟「セックスは飛行の大敵」を守り、彼女の歌う子守唄で昼寝をむさぼる、外の世界をいまだ知らない無垢な子供なのだ。ある日、ブルースターは警備の目を逃れて路駐されていた車を盗んだことから持ち主のスザンヌ(シェリー・デュヴァル)と街をドライブすることになり、殺人事件の捜査線真っ只中に飛び込んでしまう。2人の運命は…という話。

と書いてみたが、例によって登場人物が多いうえ、かれらのプロフィールを鳥になぞらえる鳥博士による鳥講義が随所に挟まれる一風かわった構成になっている。全体もメタ構造を意識させて、ポリティカル、ディテクティブ、青春、スリラー、ロマンスが混ざらずに並べられたアルトマン映画としかいえない独特の作品になっている。

先日亡くなったシェリー・デュヴァルのデビュー作でもある。アルトマンが初めてシェリーに会ったとき、あの口調で話し始めててっきり役になりきって話してると思ったら素だったので驚いたとか。今作の演技を気に入られ、以降アルトマン映画には合計7作品に出演する。


ほかにもサリー・ケラーマン、マイケル・マーフィー、ルネ・オーバージョノワ、ジョン・シュック、バート・レムセンなど、アルトマン作品の常連役者が多数出演している。
撮影は『ブレードランナー』のジョーダン・クローネンウェス(途中からラマー・ボーレンに交代)。

脚本クレジットはドラン・ウィリアム・キャノン ハリウッドとあるが、アルトマンはほとんど書き直し即興もたくさん取り入れたようだ。おかげで出来上がった映画を嫌ったキャノンの書いた酷評がタイムズに載る羽目に。アストロドームでのイベント上映は2万人以上集めたらしいが、結局興行はコケた。

ブルースターを運転手として使う手癖の悪い資産家役にステイシー・キーチが扮してる(見返して初めて気づいた)。共演といえば共演だが出番は少なく、お互い仲が悪いのは『旅する処刑人』と同じ。わずかな出番ながら強烈な印象を残し、悲惨な最期を迎える。

ちなみに初見時にあれ、これどっかで見た、と気づいたのは押井守『御先祖様万々歳』で、アルトマンの鳥講釈がまるごと翻案されている。ただし雰囲気は講談調で、飛ぶのは少年ではなく黄色い気球。

"げに恐ろしきは血の教え"(CV永井一郎)


『旅する処刑人』The Traveling Executioner

舞台は欧州の戦火が収まる間際の1918年。アメリカ南部の刑務所に、花束を抱えた不気味な男(ステイシー・キーチ)が女死刑囚(マリアンナ・ヒル)を訪ねてくる)。男は看守と顔なじみで慣れた様子で牢を抜けてくる。

男)ドイツ移民の身分では散々な苦労をしたでしょう。さぞや不安な夜を過ごされたのではないですか。ご安心ください、それももうおしまいです。『信頼くん』に任せておけば痛みも苦しみもない。
女)なんですって?
男)君は私の最初の女性になる。
女)あの、あなたどちら様?
男)電気椅子の処刑人だよ。

ジョナス・カンディード(ステイシー・キーチ)は死刑執行人である。ワゴンの荷台に積んだ電気椅子を担いで、お座敷がかかれば東へ西へ飛び回る巡回スタイルで、どんな極悪人もひとり100ドルでフライドチキンのように見事に焼いてきた。その成功率の高さは折り紙付き"reliable"で、不思議なことに、彼の手にかかるクライアント(ジョナスは死刑囚をこう呼ぶ)は、いずれも皆満足な笑みを浮かべて最期を迎える。その秘訣は、教誨師顔負けの辞世の説法にある。

恐怖にふるえて動けないクライアントをジョナスは手取り足取り電気椅子に固定し、その間一瞬たりとも黙らない。かつてさる霊媒を通じて聞いた、ギリシア人だけが行けるという桃源郷「アンブロシアの園」をまるでその目で見てきたかのようにありありと騙る。その口上が達者なことといったら、はじめこそ看守に支えられて崩れ落ちんばかりだったクライアントは、説法を聞くうちにすっかり夢見心地の恍惚に浸り、その瞳は斜め上の夢の園へ向いてすっかり準備万端の様子。それを見守る観衆の目には涙さえ浮かんでいる。この男只者ではない。

ジョナスは処刑人になる前は前科持ちのカーニバルの呼子だった。よく見るとワゴンのペイントが派手派手しくて処刑業者に似つかわしくないし、説法が板についているのは客寄せの口上が身についているためだ。
でそんな口八丁の興行師ジョナスが、初めて女性死刑囚をクライアントに迎え一目惚れしてしまったからさあ大変。彼女を救うべくあの手この手を尽くすのだが、、という話で、軽快なバンジョーの響きにのせて(音楽ジェリー・ゴールドスミス)倫理観が怪しい詐欺師を主人公に南部の街を走り回るピカレスクコメディとなっている。

そういえばキーチが退役軍人の流れ者を演じた『愛すれど心さびしく』(1968)でも、再就職口はカーニバルなのだった。キーチは酒代欲しさにカフェで小銭をせがんでみじめに追い出されたあと、自暴自棄になってコンクリ壁にひとしきり頭をぶつけて死にかける。見かねたアラン・アーキンが彼を自宅に招くと、アーキンの耳が聞こえないとも知らずに夜が明けるまで愚痴をこぼしてすっかり元気になる。数日後、新しい就職口として見つけてきたのは、メリーゴーランドの技師の口。ほかにないんか!

『愛すれど心さびしく』

映画を見ていると気づくのだが、このジョナスという男、口が達者だがなにひとつまともにこなせない。俺には電気椅子しかない、というがこの相棒が全然reliableではないし、銀行で金を借りる担保に処刑予定のクライアントリスト(1人100ドル換算)を見せるも鼻であしらわれてしまう。

マリアンナ・ヒル

客演にはマリアンナ・ヒル(『ザ・ベイビー』『メサイア・オブ・デッド』)今作ではほとんど人物像がわからないね。
看守役に昨年デビューしたばかりのM・エメット・ウォルシュ
そしてバッド・コートはキーチの助手役で画面をうろちょろするばかりで正直ほとんど印象に残らん。
以下製作陣と時代背景を簡単にさらっておくことにする。

監督ジャック・スマイト(Jack Smight, 1925年3月9日 - 2003年9月1日 )はテレビで活躍した職人監督で、作品ごとに製作会社がかわってる(『処刑人』はMGM)。ウィリアム・ゴールドマン脚本『動く標的』『死の接吻』が記憶に残る。

撮影はフィリップ・H・ラスロップ(Philip H. Lathrop, A.S.C.、1912年10月22日 - 1995年4月12日)。殺しの分け前/ポイント・ブランク(1967)、ひとりぼっちの青春(1969)、ザ・ドライバー (1978)など。

脚本は当時21歳の南カリフォルニア大学映画学科の学生ギャリー・ベイトソンが書いた。電気椅子を巡る時代の変化と19世紀後半から跋扈していた詐欺師を主役に据えた変な話。

映画ではジョナスの過去は詳しく語られないが、彼がワゴンで各地を巡業し違法な手段で生計を立てていたことが匂わされる。Medicine showやカーニバルの巡業をやっていたのかもしれない。
ないものねだりだが、新しいメディアについての描写があれば面白かったな。ラジオ、レコード、電話も映画もまだ全国に普及する前。ライブショーに見切りをつけたジョナスが目をつけた電化製品は…電気椅子!
というわけで以下備忘録に映画のもうひとりの主役についてメモしておく。

処刑を電化する

1881年8月7日はニューヨーク州バッファローで働く港湾労働者George Lemuel Smithの命日であり、電気処刑器具、通称電気椅子の誕生日である。お調子者のスミスは、8月7日夜酔った勢い刺激をも求めて施設に忍び込み高圧電線に触れて即死した。1870年代後半から1880年代前半にかけて、3000~6000ボルトの高電圧を必要とする屋外街路照明の一種であるアーク照明が普及し、その高電圧によって不注意な電力線作業員が死亡する事故が相次いで報じられていた。
歯科医のアルフレッド・P・サウスウィックは事故に着想を得て、電気による動物実験を始め、被験者を拘束するのに歯科医の椅子を流用した(歯医者怖え)。実験には動物が使われたが、いずれも小動物だったため人間への施療に必要な電流量はわからなかった。手さぐり状態で実験が続けられ、いよいよお披露目の日がやってくる。

電気椅子処刑第一号ウィリアム・ケムラー

最初の処刑は1890 年 8 月 6 日にニューヨークのオーバーン刑務所で行われた。死刑囚ウィリアム・ケムラーの弁護士は電気椅子の残虐性を訴えたが却下され、1,000 ボルトの交流電流が 17 秒間流れた最初の瞬間、彼は意識を失ったが、心臓と呼吸を止めることはできなかった。医師の診断ののちケムラーは第二回目2,000 ボルトの交流ショックを受けた。処刑は結局約 8 分かかり、皮膚の下の血管が破裂して出血し、電極の周囲が焦げた。目撃者の中には、ケムラーの体が燃えたと報告した者もいた。
ニューヨーク・タイムズは「絞首刑よりはるかにひどい」という見出しを掲げ、直流vs交流方式をめぐる電流戦争真っ最中にあったエジソンは、交流方式へのアンチプロパガンダとして電気椅子による処刑を宣伝に使った。もっともエジソンの根回しや宣伝むなしく交流方式はその後送電・発電における主役となり、電気椅子も半世紀以上にわたって全米の死刑囚たちを焦がす全盛期を迎える。

映画でも描かれることになるが、電気椅子はその初めから失敗含みではじまり、もっと確実な方法(絞首、斬首、神経ガス)にいつでも取って代わられる余地を残し続けた。映画はこの端境期の混乱をドラマに取り込んでいる。"二回電気椅子に座った"死刑囚ウィリー・フランシス(Willie Francis)あたりがモデルなのかしら。映画を見終わったあと、『グリーンマイル』のあるシーンを見返したくなる。

ちなみに今回調べて驚いたことに、電気椅子はいまだ南部で現役のようだ(死刑囚がオプションとして選ぶことができる)。各地には恐怖と面白半分に付けられたご当地の呼び名がある。オールドスパーキー、オールドスモーキーはどこでも使われた一般的な呼び名だが、アラバマの黄色い椅子は特別イエローママと呼ばれる。

左からテキサス、テネシー、そしてアラバマのイエローママ

キルビー刑務所

映画は、当時閉鎖されたばかりだったアラバマ州モンゴメリーのキルビー刑務所で撮影された。1922 年に建てられ、巨大で威圧感があり、ダウンタウンからわずか 4 マイルに位置し、高さ 20 フィート、厚さ 6 フィートの外壁が敷地面積 27 エーカーを囲む。そのブロックハウスには 5 階建ての独房があり、電気椅子「イエローママ」はここにあった。キルビー保留地は 2,500 エーカーを誇り、農地、店舗、納屋、トラックガーデン、ランドリーなどの施設があった。

1970年、オールドキルビー刑務所は廃止に近づきつつあった。前年に治療、矯正を目的とした医療センターの新設が決まり、一部壁の取り壊しが行われた。壁は分厚く、何度か爆破が行われた。この映像は映画でも使用されたようだ。

映画制作時、キルビーでは最後の処刑から5年間も処刑が行われていなかった。刑務所のあるモンゴメリー郡はバス・ボイコットやセルマからモンゴメリーへの行進など公民権運動における抗議活動の中心地で、死刑反対運動に触発された憲法裁判が行われ、その間キルビーでの処刑も中止されていたようだ。1972年に全国的に死刑制度が覆され、死刑が廃止された州では死刑判決を受けたすべての受刑者の刑期が終身刑に減刑された。
1979年に致死注射が導入されて以来、電気椅子の使用は減少し、現在では死刑を認めているすべての管轄区域では注射がデフォルトの方法となっている。電気椅子はいまだ南部では現役で、たまに使われるとニュースになっている。出番に備えて屋根裏に保管されたイエローママは、あと何回使われるのだろう。

ミュージカル版もあるようだ
題は『アンブロシアの園』











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