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エロイ・デ・ラ・イグレシアの冒険

Eloy de la Iglesia (1 January 1944 – 23 March 2006)はオープンリーゲイの映画監督。サスペンスを得意とし、民主化移行期から随所にクイアな人物や視線を交錯させた、一風変わった作品を作った。
最も精力的に活動していた70年代から80年代にかけて4作品を選んで、以下あらすじをかいておく。



El techo de cristal (The Glass Ceiling) 

1971
92m
Written by Antonio Fos, Eloy de la Iglesia

Carmen Sevilla as Marta
Dean Selmier as Ricardo
Patty Shepard as Julia
Emma Cohen as Rosa
Fernando Cebrián as Carlos

マルタは夫カルロスが出張でいなくなると、毎晩彼の写真を眺めながら猫を抱いて寝ている。ある日カルロスからの電話で出張が長引くと言われ、いよいよ暇に耐えられなくなったマルタは、家主のリカルドとあちこちでかけてうさを晴らすようになる。粘土彫刻に凝っているリカルドは、農家の娘や上階に住むフリアとも気安い仲のようだ。二人の仲は怪しく、フリアは夫は出張でいないといいながら、毎日部屋から男のものらしい足音が聞こえる。もしかして、フリアはリカルドとくっつきたいがため夫を殺害したのではないか。アパートの番犬がいつでも満腹で地面に這いつくばっているのは殺した夫の肉片を彼らに食べさせているからではないのか。地元のバス運転主の証言でうらもとれていよいよマルタの疑問は確信にかわり、フリアの部屋に招かれた際に冷蔵庫をあさると切断された男の指を発見する。リカルドに事態を説明するがまるで相手にされない。それどころか不審な電話がかかってくるようになり不安がいや増し、頼りのリカルドの部屋を訪れると、奥の部屋には引き伸ばされた自分の裸の写真が壁、天井に所狭しと貼ってある。マルタは真実を知った自分が次に狙われると確信し、いても立ってもいられず夜中に家を飛び出してしまう。

夫が出張でいない間に暇を持て余した主婦がアパートで起こる殺人の謎解きをするスリラー。タイトルはマルタが口にし、あとで説明したげると言うがそれっきり。
シャッター音や怪しい手だけのショット、マルタを付け狙う視点を細かくインサートされジャーロな雰囲気を作っている。また検閲あるあるで性描写を曖昧にほのめかすつもりが変なシーンになってる。


Una gota de sangre para morir amando (Murder in a Blue World)

1973
100m

Sue Lyon as Ana Vernia
Christopher Mitchum as David
Jean Sorel as Dr. Victor Sender

どこかで見た光景

時計じかけのオレンジな近未来風ディストピアをゲイテイストで描いた珍作。セリフは英語になってた。主役のスー・リオンが「ナボコフ著ロリータ」とバカでかプリントされた本をこれ見よがしに画面に向けて登場するなんとも不安なオープニング。

なんでも似合うリオン

アナ(リオン)は表彰されるほど模範的な看護師なのだが、人には言えない嗜癖がある。夜になると変装して男を拾ってきては親が残した豪邸に誘い込み、セックスしたあと相手の高鳴る心音にうっとりしながらメスで胸を一突き殺害するのだ。アナが勤める施設では急増する連続殺人対策として、恋人で医者のビクトル(ジャン・ソレル)が電気ショックで人格改造手術を行うことになる。なぜか被験者はおっさんばっかで、施術後狭い部屋に押し込められパーティを楽しめる程度の知性を獲得するようになる(なんだこりゃ)。看護師のアナは彼の施術に人道的には反対だが別にそれを止めるでなく、自分は退勤後せっせとルーティンに精を出して身障者や未成年を漁っては次々と死体を川に流していく。ある日チンピラのデイビッド(クリストファー・ミッチャム)がバイカー仲間と決別して街を浮浪中アナの凶行に気づき、それをネタにアナから金をゆするようになる。

デイビッド以外の人間の感情が全く読めない。演出に溜めがなく、特に医療者の造形が雑すぎで、できるからやる型のロボット人間たちが回遊している。むしろ人間味があるのは脇役の暴力と暇つぶしに取り憑かれたバイカーとバーで相手を物色するゲイだけ。テレビでホモが猟奇犯罪の原因だとか雑なこと言っていて、施術も同性愛者の矯正をほのめかしているのだろう。ただそれに対する登場人物のせりふなり反応が描かれず(デイビッドとアナの間であるべき対話がない)、デイビッドがカーテンの隙間から殺しの現場を楽しそうに眺めているのが不気味。検閲ゆえなのか、イグレシア得意の覗きとゆすりが目を引くいびつな一本。


El diputado(Confessions of a Congressman)

1978
107m

José Sacristán – Roberto Orbea
María Luisa San José - Carmen de Orbea
Ángel Pardo – Nes
José Luis Alonso - Juanito
Agustín González – Carrés, the head of the far-right group
Enrique Vivó – head of the Orbea Party
Queta Claver – Juanito's Mother

民主化以前非合法だった党員活動と同性愛が主人公の人物像に結晶された、イグレシアの最高傑作。フランコ時代同性愛は違法だった。"更生"のため収容され、ときに電気治療なども行われた。内戦以来ファランへが喧伝したマチスモの価値観に合わないとして差別の対象となってきた。
https://www.theguardian.com/world/2001/dec/13/gayrights.gilestremlett

現在スペインといえばLGBT先進国のようにイメージするが、当然なんの苦労もなくそうなったわけではないようだ。現在観光名物にもなっているプライドパレードの前進が早くも1977年バルセロナで行われており、こうした草の根の市民運動が実を結び、同性愛者に対するヘイトスピーチの禁止は1995年に法制化が実現、 2005年には同性婚を法制化している(世界で3番目、カトリック教国では最初の国)。

フランコ死去後の同性愛者をめぐる法律については『スペイン危機の二十世紀』(八嶋 由香利 編著)に短いが記述が確認できる。それによると、1977年内戦で分断されたスペイン国民の「和解」の象徴として当時称揚された特赦法が、議会のほぼ全会一致で可決するが、その特赦対象には犯罪者として投獄された同性愛者は含まれていなかった。ようやく1979年、同性愛者の社会運動の成果として、悪名高き「危険分子と更生法」は廃止され、00年代に入ってから投獄された人々の名誉回復が行われることになる。

イグレシアは当時の選挙の熱気と検閲撤廃直後の興奮がないまぜになった当時の異様な空気を、隠喩に託すことなくフルフロンタルで辛辣な筆致で切り取っている。選挙前の政治家たちを映したフッテージをインサートしたり、バルデムが本人役でカメオ出演して群雄割拠の(157党が候補者を立てた)選挙戦を憂慮する。主役の弁護士兼政治家ロベルトは共産党員として妻とともに選挙活動に邁進しながら、自宅とは別にアパートを拵えて路上で買った浮浪少年を相手に性欲を満たしている。当時はやっていた不良映画(cine quinqui)と民主化以前は表象不可能だった同性愛を前面に出して、性的マイノリティの置かれた生態系を解剖する。40年ぶりの選挙を前にした政治的対立は暴力機関を従えた右翼と身勝手なインテリ左翼によって表象され、路上の若い男娼が両陣営を行き来して葛藤するサスペンスになっている。
以下あらすじと登場人物のモデルなどについて。

ロベルトは民主化後初の国政選挙で国会議員になった。まもなく共産党書記長になろうとする前日、車の中で一人暗い顔で途方に暮れている。自分の秘密を誰にどのように明かしたらよいのだろうか。妻がいながら男と寝るのが好きで、何度もやめようとしたのにだらだらと関係を続けてしまった。回想が始まる。
ロベルトはテロ実行犯を弁護したことで逮捕収容され、施設内でネスという若い男娼と知り合い彼を介して青年を買うようになる。ネスとははじめドライな関係だったのだが、ロベルトがメディア露出を増やすのに気づいたネスは、金目当てでロベルトの買春を右翼のカレスに垂れ込むようになる。決定的な証拠をとるため、ロベルトに未成年のフアニトを与えてまんまと骨抜きにする。ロベルトはアパートの一室を用意し、フアニトを呼んで欲求を満たす二重生活にのめりこんでいく。フアニトははじめネスの言いつけ通り金だけの関係と割り切っていたが、ロベルトの人柄に惹かれて次第に自らの生い立ちを打ち明け親密な関係になっていく。そんな折、カルメンが部屋を訪ねてきて二人の関係が暴かれるが、カルメンはフアニトを養子にして3人で暮らそうと提案する。こうしてフアニトはまるで二人の息子のように昼は食事を囲み、党集会に参加し、教養を身に着け、夜はベッドで二人の相手をするようになる。ところが安寧な日々は長くは続かず、カレスはしびれを切らしてフアニトを呼び出す。

ロベルトは左派テロリストの弁護士として活躍し頭角を現す。モデルはフェリペ・ゴンサレスだろう。PSOEの党首になる前は非合法の党員活動と弁護士として活躍していた。1978年当時はPSOE党員数が共産党に迫る急拡大期にあたり、40年ぶりの選挙に向けてメディアの出演が増え、若者たちからアイドル的な人気を得ていた。買春と性的嗜好はもちろん映画の創作。
党本部でロベルトを囲む老人(Enrique Vivó)のモデルはサンティアゴ・カリーリョか。親子二代筋金入りの共産主義者で内戦後38年にわたる亡命生活を送りユーロコミュニズムに転向。フランコ死去後密かに帰国し選挙で共産党の最後の躍進に貢献した大物。『スペインの紅いバラ』(野々山真輝帆)にこのへん詳しく書いてある。

イグレシアは共産党に所属していたこともあるようで、自身の体験が活かされているのかもしれない。街宣やポスター、街頭集会など党活動がロケ撮影でテンポよく映される。治安警察はともかく、機動隊が車で乗り付けて集会参加者を殴りつけて逃げていく描写はこれ以前のスペイン映画では見たことない。スピード感のあるロケ撮影とテンポの良い編集がうまくいっている。

どこまでも追いかけてくるネス

ネスは悪魔的な魅力があるヒモなのだが、はじめ路上の知り合いたち同様政治にこれぽちも興味がないか忌み嫌っている。「ポルトガルが民主化したとき社会主義旋風が吹き荒れて、彼らが何をした?何もくれずにただ黒人よこしただけじゃねえか」
ところが右翼にリクルートされて政治が金になるとわかった途端、ハイエナのようにロベルトを追い回して破滅に追い込んでしまう。映画はフランコ時代末期から23-Fくらいまでの最も右翼テロが活発だった時期に撮られている。

フアニトは金には困っていないとはじめ嘘を付くが、実際は貧乏で仕事にもついていない。14歳でホテルのボーイとして働き始めたが、そこで客を取るようになり、のちにそれが発覚して追い出されて、その後は盗みやたかりで生きのびてきた。ロベルトの部屋にたずねてきた際、あんたは俺が知ってる左翼と違う、という。彼が知る左翼とは「貧乏で少なくともクイアじゃないやつ」

なにかレコードをかけようと言ってロベルトがオペラやクラシックをかけると、ロックかフラメンコねえのかよ、と文句をいう(そういえばManuel Gerenaの存在はこの映画きっかけで知った)。はじめロベルトがかけたインターナショナルも何を歌っているのかわからないのだが、言われるがまま党集会に参加するうちその理念に共鳴していく。ちなみにフアニトを演じたホソ・ルイス・アロンソは今作に先立つアラゴン『黒い軍団』では右翼の急先鋒として暴虐の限りを尽くした恐るべき子役。

ロベルトが持っているフアニトの印象については、妻が部屋を訪れて関係がバレたときに語られる。たぶん君は、僕の愛人なら教養ある美少年を想像したんだろ?ところがフアニトはヴィスコンティどころか詩のひとつも知らない、だだの路上の男娼だ。でもそんな彼のことを愛している。
カルメンは黙ってそれを聞いたあと、答える。彼は若いわね。息子にしてうちで暮らしましょう。3人はまるで親子のように穏やかな日を過ごし、ある日マリファナでいい心地になったカルメンは、フアニトにキスをねだる。彼女もまたフアニトを一口味見してみたかっただけなのだった。


El pico(Overdose)

1983
105 m

José Luis Manzano as Paco
Javier García as Urko
José Manuel Cervino as Evaristo Torrecuadrada
Luis Iriondo as Martín Aramendía
Enrique San Francisco as Mikel Orbea
Lali Espinet as Betty
Ovidi Montllor as Lopez Garcia alias El Cojo

いわゆるcine quinquiの代表作とされる非行少年もので、イグレシア最大のヒット作となった。
そういえばイグレシア初体験はこれだった。

二人の父親は息子のためなら立場や職務さえ放り投げてしまう真面目な父親として描かれる。家出した息子の行方を探すべく、写真片手に道端で若者に聞き込みして回ると、あんた治安警察だろ、行こ行こ、と若者たちに露骨に避けられてしょんぼり。麻薬捜査官が捜査に協力するもなかなか売人にたどり着けないので、身分を明かさずおとり捜査しましょう、と持ちかけられても、父親は道義的にそれを断る。

原題は絶頂。バスクを舞台にコカインの売買と使用で転落していく若者を、ゲイの彫刻家と治安警察とバスク独立運動家が見守る。ジャーナリストと組んで脚本書いてた時期のようで、セリフは一問一答調で話も脇道それずにするすると進んでいき、結局アルジェント似の彫刻家(Enrique San Francisco)しか印象に残らなかったりする。

キンキ映画の顔フランシスコ

続編もあり、治療の甲斐なく取引に巻き込まれて収監された息子を、またまた父親が助け出そうとする話のようだ。

主演のホセ・ルイス・マンサーノもノンプロの役者で、家庭に恵まれず12歳からウェイターとして働き始め、16歳のとき男娼サークルに所属していたところをイグレシアに発見された。

二人は公私ともにパートナーとなり一時は同棲生活を送っていたが、あまり幸福な関係ではなかったとも。ドラッグ問題で収監されて、解毒治療を受けるも翌1992年施設を抜け出た2日後アパートで遺体となって発見された(享年29歳)。アパートに居合わせたイグレシアが逃走したことからマンサーノの死をめぐって捜査が敷かれる。遺体の血中から薬物が検出され死因は殴打による暴行とされるが、真相は不明。イグレシアも訴追されなかった。

イグレシアは『エル・ピコ』のあとも精力的に撮っている。80年代にはピラール・ミロー総裁時代資金的なバックアップも得て文芸映画なども手掛けていたが、『エル・ピコ』の現場でヘロインに出会ってからやはり彼もまたドラッグ中毒に陥り、リハビリに追われ14年間の沈黙を強いられる。2006年腎臓がんで亡くなった。

ドラッグ問題とキンキ映画についてはあんまり調べてない。キンキについてはflixoleで特集組んだりしており何本か見られる。https://flixole.com/flixole-asalta-mayo-con-una-coleccion-para-adictos-al-cine-quinqui/
イグレシアのフィルモグラフィをさらう10分程度のまとめ動画https://youtu.be/-ckeVQrGdjI?si=pWqbqgBe8tsd4KdC
キンキ映画に分類してよいのか、サウラがデビュー作『ならず者』以来20年ぶりに路上の若者を題材にした『早く、早く』を撮っていることも付け加えておく。




















































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