![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/165196059/rectangle_large_type_2_bcbbea05899e9ea4d113d060de6e864c.jpeg?width=1200)
パヴリコフスキと行く! ソ連崩壊直後の世界を旅するドキュメンタリー②
前回に引き続きパヴェウ・パヴリコフスキのドキュメンタリー作品2本と商業用長編デビュー作+αを見ていく。前に書いた記事はこちら↓
まずソ連とは別の路線を歩んだ旧社会主義国ボスニアの紛争地帯を彷徨い『serbian epics』、極右政治家の選挙キャンペーンソングを伴奏に川を遡って『Tripping with Zhirinovsky』、再びロシアへ戻って新体制への失望を歌い上げる『The Stringer』+αで締めくくる。
Serbian Epics(1992)詩とレモン
20世紀のサラエボは二度世界の視線を浴びる。1度目は1914年のオーストリア皇太子暗殺事件、2度目は1992年から始まるボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争(1992-1995)。この映画は紛争開始直後のいわゆるサラエボ包囲まっただなかに飛び込んでセルビア人勢力に密着しており、4本のドキュメンタリーのうち最も危険な一本といえる。監督は紛争ではなく音楽の取材を装ってセルビア人側支配地域にカメラを持ち込むことに成功したようだ。谷間を見下ろす尾根で民族楽器にのせてセルビア人がたどってきたという歴史を歌わせると、そこに世紀のはじめに起こった民族主義の対立がそっくり再演されている、という見立てになっている。
パヴリコフスキは音楽からキャリアをはじめた。ポーランド白黒映画二本でジャズへの強いこだわりがあるのは知っていたが、この映画を見ると単に心地の良い音色に関心を寄せているのではないことが、ありありと実感できる。音楽が政治的動員に使われている現場を、独特の距離感から眺めるこのドキュメンタリーシリーズにおいて、監督の後年の劇映画につながる関心の在り処を探ることができる。
カメラは紛争の行方を左右するキーパーソンをしかと画面に捉えている。当時できたばかりのセルビア人共和国初代大統領となるラドヴァン・カラジッチはヘリコプターに乗って颯爽と登場する。スーツにサングラス姿で窓から眼下のサラエボを睨みつける。彼の経歴は「精神科医」「詩人」「ボスニアのセルビア人指導者」と字幕にでている。戦局の悪化に伴うハイパーインフレで乱発された新紙幣を母親に手渡し、紛争の理由を説明する。「ムスリム人たちは外国から武器を取り寄せて戦闘を続けたがっている」
国連での公聴会を前にカラジッチは指揮官たちと卓を囲んでセルビア人国が持つべき領土の正当性を確認する。地図の上にマジックペンで囲った領土を指して指揮官たちの顔色をうかがうようにカメラに宣言する。
「包囲ではない、救出である。ネレトヴァ、ドリナ地域がセルビアに所属するのは一目瞭然だ。それにドブロブニクの南12キロの海岸線をクロアチアがすべて主張するのはおかしい。クプレスなら譲歩してもいいが」
隣の男が間髪入れずそれを遮る。「いやだめだ」
この男はラトコ・ムラジッチ。セルビア人共和国の参謀総長で、のちにスレブレニツァの虐殺(1995年7月)を指示したとして、カラジッチとともに旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷ICTYに500万ドルの懸賞金をかけられる。二人ともながらく潜伏して行方をくらませていたが、2008年にカラジッチが、2011年にムラジッチが逮捕されてICTYに移送された。
続いてジュネーヴに向かう空港でカラジッチと並んで映っているのはビリャナ・プラヴシッチ。セルビア人共和国の副大統領。
3人ともジェノサイド、人道に対する罪などで訴追され、カラジッチは終身刑(2019)、ムラジッチも終身刑(2021)が確定している。プラヴシッチは2001年にICTYに自首し11年の懲役刑を宣告されて入獄し、2009年に釈放された。
音楽の取材という申し入れを素直に受け取ったのか、カラジッチは母親まで画面に出して終始リラックスした態度に映っている。カラジッチはカメラの前で自らの先祖を描いた肖像画だと言って、誇らしげに言語学者ヴーク・カラジッチと自分の顎の類似を指摘してみせる。ついでセルビアの民族楽器グスレにのせて朗々と叙事詩を謳いあげる姿も捉えている(あんまりうまくないけど)。なんでも、「セルビア人の前では歌うな、踊るな」(彼らの方がうまいからこちらが恥をかく)という云われがあるほど、セルビア人というのは歌が上手いといわれており、カメラは伝統的な叙事詩から歌謡曲まで様々な音楽を聴きとり、その新しく付けられたであろう煽情的な歌詞を字幕付きで紹介している。彼らは何について謳っているのだろうか。以下備忘録に。
平家の盛衰が琵琶法師によって詠われたように、南セルビアの叙事詩はグスラールと呼ばれる盲目の語り部により一弦琴(グスレ)に合わせて語り継がれ、文字の読めない農民たちの間にも広められた。叙事詩の中でも有名なのはコソヴォの戦い(1389年)を題材にしたもので、オスマン帝国に捕らえられ斬首されたセルビア王国ラザル侯の自己犠牲の精神を謳いあげている。イスラム化が進む中セルビアナショナリズムが盛り上がると、ラザル候こそセルビアの精神だとして崇められ、その遺物が神聖視されるようになった。遺物("不朽体")は長らくラザル候が建立したラヴァニツァ修道院に安置されていたが、ナチ占領時代にクロアチアのファシスト集団ウスタシャがラヴァニツァ修道院を荒らす事件が生じると、ドイツの許可を得て遺体は安全なベオグラードに移送される。戦後社会主義時代を経た1988年、コソヴォの戦い600周年記念に因んで、当時のミロシェヴィチ大統領がラザル侯の遺物を先頭にしたセルビア人の行列を組織し、セルビアとボスニア各地のセルビア正教会の修道院を巡回させて、セルビア・ナショナリズムを煽った(『バルカン半島を知る66章』)。
映画にもでてくるが、社会主義イデオロギーが失墜したあと、勢力を取り戻した宗教勢力や亡命先から帰国した王家の末裔たちが、支配の正当性を盛んに訴えた。それはまるでこれまで穏当に共存していた民族同士の境界線が不明瞭なことを忘れたかのような、原理主義の理屈に聞こえる。
![](https://assets.st-note.com/img/1732802066-LwDgQx3f8bU917roais4FMuA.png?width=1200)
映画に戻ると、紛争には直接関係ない偶然の旅行者が映っている。機関銃が眼下のサラエボに狙いを定めて峠の端に置かれている。そこへひとりのか細い中年男がふらふらとぎこちない足取りで迷い込んでくる。男はカラジッチが語る谷の情勢に熱心に聞き入り、セルビア人兵士たちと囲んだ卓で彼らの士気を絶賛して、我々ロシア人もかくありたいもんですな、と息巻いてみせる。そして兵士たちに促されるまま、機関銃の撃ち方を教わり、谷間へ向かって引き金を引く。
この腰巾着のような男の名前はエドワルド・リモノフ。プーチンの頭脳アレクサンドル・ドゥーギンと共に極右団体国家ボリシェヴィキ党(通称ナツボル)を創設し一部の若者から熱狂的な支持を得た反体制活動家。サラエボで一体何をしているのか。
![](https://assets.st-note.com/img/1733812682-JNcPrIyOvGSEQAo5YdKtpHzn.png)
将来のパンク詩人、活動家エドワルド・ヴェニアミノヴィチ・サヴィエンコは1943年ニジニーノヴゴロドに生まれハルキウで育った。父親を秘密警察にもちながら就職に失敗して自殺未遂を図ったのち、詩作を始めて文学サークルに出入りするようになる。ニューヨークイーストビレッジに渡り、ウォーホルやニューウェーブ文化を横目に浮浪者同然の生活を送り、その様子を赤裸々に綴った半自伝的小説で一部のもの好きから注目された。この出世作『ぼくはエージチカ』(英題『ロシア詩人は立派な黒人が好き』)の一部が邦訳されており、沼野夫妻編訳短編集『ヌマヌマ : はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選』に収録されている。
パリ、ボスニア、アルタイを彷徨ってモスクワに帰り着くと、ソ連崩壊とともに第2の人生が始まる。1993年一回り年下のドゥーギンとともにナツボルを立ち上げ、若い世代たちを拐かして、反体制派の扇動家として認知されるようになる。プーチン独裁体制が確立すると、武器保持およびテロ未遂の疑いで逮捕され、禁固4年を宣告され収容生活を送った。伝記はここまでで、その後ウクライナ戦争に際してはロシアの侵攻を支持していたようだ。
一回限りの再現性のない最大瞬間風速をパンクと呼んで称賛するのに倣って、この男の無軌道な半生は西側でも注目を浴びていい加減な渾名つきで売り出された(ソ連のジャック・ロンドン)。しかしリモノフは文学的な伝統に名前を連ねる気はハナからなかったし、外国生活でロシア人コミュニティにソ連の良心として崇められていた亡命作家や知識人を蛇蝎のごとく嫌っていた。もっとも、彼の放埒と蕩尽を綴ったポルノまがいの散文を見れば、両者をまとめて同じ名前で呼ぶ人はいなかっただろうし、この浮浪人を指して思い浮かべるのは私と同じ疑問だけだろう。この人はなんなのだろう?
ロシアに先祖を持つフランスの作家エマニュエル・キャレールもまた、この男のまとまりのない人生にふらふらと引き寄せられて晩年に知己を得、何度も筆を折りかけて伝記を完成させた。邦訳が出ていて読んでみるとこれは無類に面白く、未見だが映画化作品が海外の映画祭で公開されたばかりである。キャレールは最近は執筆に飽き足らず映画も撮っているが、映画化脚本はパヴリコフスキが書いて(監督を断念し)キリル・セレブレニコフが監督し完成させた。リモノフを演じるのはベン・ウィショーである。
![](https://assets.st-note.com/img/1732796278-Pv9XC6IYMgourGdycL52pflt.png?width=1200)
Tripping with Zhirinovsky(1994) そして船はいく
さていよいよドキュメンタリーも最後の作品。なのだがなんというか最後を飾るのにこれ以上ふさわしくない人物はいないのではないかというほど、今回の被写体は掴みどころがない。
ウラジーミル・ジリノフスキーはロシアの政治家。調べる気力がなくなるほど口から出まかせのタカ派ポピュリスト。リモノフとは一時共闘関係にあるとも言われたが、早々に決裂している。映画はジリノフスキーが選挙キャンペーンで街宣する様子を映している。乗っているのはワンボックス選挙カーじゃなくて小型のクルーズ船で、名前を連呼するかわりにジリノフスキーを讃える応援ソングがスピーカーから流される。「地政学」の名前であっちの領土もこっちの領土もロシアのものだとまくしたてており、酔狂で口が滑っているのかと思いきやこのひと酒は一滴も飲まない。そのくせ自分の名前が付いたウォッカのボトルを売り出しており、顔写真がプリントされたボトルを演説中にしれっと宣伝するのも忘れない。パヴリコフスキもこの被写体にはさすがに呆れかえったのか劇中奏でられる音楽もすごい雑だが、最後のクソコラはこの男にぴったり
The Stringer(1998) ロシア零年
主演にボドロフジュニアを迎えたモスクワを舞台にした劇映画。ビデオ撮りでスクープを狙う駆け出しのカメラマンが、英国テレビ局のプロデューサーに一目惚れして、彼女に近づく口実として特ダネ欲しさに過激な人物に近づいていく。西側メディアの倫理に翻弄されながら、ソ連を引きずったポピュリスト政治家に父性の面影を重ねて、ロマンスも交えて手際よくまとめている。これまで作ってきたドキュメンタリー作品で見聞きした光景を劇映画に昇華する確かな手腕と、大国のその後を面白がって眺めてるマスメディアの報道の倫理を問うている。クレーン撮影やアクション、2言語が交錯する役者同士の凄みあいなど映画的な見どころも押さえた秀作。
パヴリコフスキはこのあとのフィルモグラフィーも海外資本で国際俳優を起用し撮っており、この監督をポーランドの監督とみなしてきた自分の認識が揺らいでいる。逆に言えばそういう立場でいたからこそ、ポーランドを舞台にしたモノクロ2作は特別な思い入れがあったのでは、と思ったり。
主役を演じたセルゲイ・ボドロフ(1971-2002)は『ロシアン・ブラザー』『コーカサスの虜』などで新時代のロシア映画で主役を演じながら、撮影中氷河の崩落に巻き込まれ早世してしまった。『グレース』で一瞬映るのは『ブラザー』の冒頭。
さてパヴリコフスキのドキュメンタリーを追いかけて旅をしてきた。が『The Stringer』がやや優等生しすぎてここで終わると記事がきれいにまとまりすぎてしまうので、ロシア人の手で作られた変わった作品を最後にねじ込んで記事を締めくくろう。
『The Stringer』共同脚本クレジットに名前があるGennadiy Ostrovskiy(1960-)はウクライナのベルドィーチウ生まれの脚本家監督。脚本参加した1993年アレクサンドル・ロゴシュキンが監督したLife with an Idiot (Жизнь с идиотом)は退廃的な一本。原作はヴィクトル・エロフェーエフ(『酔いどれ列車』とは別人)の同名作『馬鹿と暮らして』(1980)で、1992年に舞台化もされている。ちなみに邦訳は『ヌマヌマ』に収録されてる。インテリ夫婦が精神病院に収容されていた男を家に招いて一緒に暮らし始める。この男見た目はレーニンそっくり(映画は全然似てない)だが言葉は一言しか喋れず(「えい!」)、「レーちゃん」のあだ名で歓迎されるも家の中を滅茶苦茶にしてしまう。しかし妻は夫憎さからレーちゃんに愛着を抱くようになり、奇妙な三角関係に発展していく。撮影はソクーロフ『日陽はしづかに発酵し…』のSergey Yurizditskiy。現実を反映してか時間が止まってしまったかのようなくすんだ空間で、猥雑な吐息だけが精彩を放つ。パヴリコフスキの作品は様々な音楽をモチーフに駆動してきたが、この映画には伴奏もなく咆哮(「えい!」)だけでリズムをつなぎ、力強いコーラスで男の最期を歌い上げる。ヤケになってがなり立てる合唱に終わりはなく、"конец"(終わり)が出たのもお構い無しにボリュームは上がりテンポは乱れながら加速し続ける
いいなと思ったら応援しよう!
![はえとり](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138773511/profile_9ce379f726130b2933dd05c1ce46781a.jpg?width=600&crop=1:1,smart)