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"Cada ver... es"(1981)死者の中から

『死者の奢り』を読んだとき、検体はみなショーケースのような水槽にプカプカ浮かべるものかと思った。ところが現実はさにあらず。
太陽とビーチのバレンシアにもモルグはあって、管理人は少し変わっている。燦々と日差しが照らす中、締め切った部屋の一室は蛍光灯の硬い灯りで照らされて、それは床下のプールに収納されている。利用時にはフックを首に引っ掛けてウィンチで巻き上げれば、少ない労力で出し入れが可能だ。

大学病院に務めるフアン・エスパーダ・デルコソは朴訥な性格である。博士(と呼んでおこう)はいろんな夢を見るが、施設の見学者が死体の浸かったホルマリンプールから出られなくなる夢に強い印象を抱く。博士にとって死後の世界とはスピリチュアルとは無縁などこまでも即物的なそれで、腐敗して'使えなくなる'までの消費期限のことである。肉体から魂(それがあるとして)が抜けてただのモノになった死体は処理をしなければ皆平等に腐るだけ。自分がいなくなったとき誰が躯の処理をするのだろうか?

昼夜となく検体が持ち込まれ続けるかぎり、博士の仕事に終わりはない。溶けて剥がれ続ける皮膚と臓腑から使えそうなパーツをかき集めた瓶詰め作業は、シシュポスのように孤独な死への抵抗となる。ひとが人間らしきものの残滓を視認するとき、最も親しみやすくその実感が得られるのは、やはり顔のようだ。23歳で亡くなった女性の顔(の断面)が大切に保管されている。

母の愛、伴侶への愛、それは生きているときにだけ感じ、与えることができ、死んでしまえばもう感じることが出来ない。博士が愛について語るとき、それはかつて存在しいま眼の前の遺物のどこを漁ってもお目にかかれない不可知の存在として現れ、博士自身をどこまでも疎外する。

不思議なタイトルは直訳すると'Every view... is'だが、つなげると“cadáveres” (死骸)となる。死体博士の目を通して映しだされる死体のいる景色には、博士の無骨な手つきも相まってどこまでも殺伐としながら静謐な時間が流れている。邦題は『見つめてイタイ』でいかがだろうか。

監督は映画の教育を受けていないアマチュア作家で、自宅を抵当にいれて完成させた映画はひっそりと公開され一部の人々から評判を呼んだ。16mmで勝手に撮られたその製作方法とフランコスペイン下では表象されえなかったその内容から、移行期スペインの映画シーンからもほとんど見過ごされてきた傑作ドキュメンタリー。2022年にレストアされてにわかに見直されつつあるようだ。

誰しもが聞いたことのあるあの旋律をBGMにして、カメラは立入禁止の解体室へと続く螺旋階段を博士が降りていくのをゆっくりと追い始める。半地下の作業スペースから覗いた小窓からは、雑踏を行く人々の足元が見える。彼らの足音に耳を澄ましながら、博士は鋸で死体の頭蓋を真っ二つに切って両手でその中身をこじ開ける。解体室の蛍光灯とリノリウムの光で、腐乱したホルマリン漬けの脳の断面が緑色に妖しく照らされる。映画の冒頭、博士が10人兄弟もれなく全員で集合した写真に映るよう腐心したことを思い出させる。

ヒッチコックへの美しくも残酷なオマージュを捧げる監督の意図を汲んでか知らずか、博士はホラー映画について手厳しい。『あんなのカメラがあって役者が演じていて、おまけに映画を見るときは他にも客がいるだろう。何を怖がることがあるのさ』

博士は一日10時間以上も死体と一緒に過ごしていて、気がつくと話しかけている。『もしかしたら向こうから返事が返ってきやしないかと思うが、それはないよね。死んでるから。それに切ったり貼ったりしているときにも、絶対こっちのやることを見ていると思うんだ。だから決して悪いことできない』死体は悪さしない、とは金言であるが、彼の口から聞かされると何かが引っ掛かる。

博士は妻なきあと一人で暮らしている。ときたま郊外に出かけて2週間ほど何もしないで過ごすのがいい息抜きになるようだ。博士は子供の頃から目を患い、いまは本も読めない。幼い頃から性格は反抗的でいたずらが好きだった。鼻から吸った麺を口から出して周りの食欲を萎えさせたり、老教師の入れ歯をからかったり、いるよねそういう人。子供の頃は闘牛士になりたかったそうだが、名字が邪魔になって諦めたという(博士の名字Cosoは闘牛場の意味)

他の多くのスペイン人がそうであったように内戦が勃発すると博士も参加して(内戦最後の激戦地エブロ川近郊)、そこで初めて死体を見る。幼い頃から匂いが感じられなかったせいで、戦争の犠牲者を前に皆マスクをしているのに一人だけ鼻孔をあらわに平気でいられた。バルセロナ近郊で捕まり収容所にいれられ、釈放後は医学部で感染症を専門に扱うようになり大学病院に落ち着いた。いずれも熾烈な体験だったはずだが、博士は二言三言述べるだけで詳細については口を閉ざしている。
仕事は一日中一人でこなしているので、カメラに映る博士は他人に対しての興味が希薄か極力自分の考えを表明しないように努めているようにも見える。自分の仕事に対しての想いからだろうか、知り合いや家族にも仕事内容は教えていないという。人目に触れるのを恐れるかのように外での撮影中、猛ダッシュで路上を移動する博士は、施設と自宅とを往復する大変地味な生活を送っている。

映画ははじめこそおどろおどろしい音楽で死体を映すのだが、しだいにこちらの目も慣れてくる。筆者は臆病なので普段死体の画像とか動画とか絶対みないのだが、この映画の死体は全く怖くない。というより普段見る劇映画に出てくる(生き生きとした)死体に比べると、博士の扱う死体がリアルに見えないのだ。博士の仕事は検体になった死体を防腐処理して保管し、各部位ごとに分けたりすることなのだが、ホルマリン漬けでつるんつるんになった肌とカチカチに硬直したこの物体はマネキンや出来の悪い人形、もしくは損壊が激しいともはや人の形にさえ見えない。プールにプカプカ浮いてるのは気味悪いが、台の上に無造作に並べられると余計に物体としての存在感がまさって、博士が切ったり貼ったりするうち、ただの腐ったボロキレのように見えてくる。薬のせいか全く匂いもしないのだといわれると、そんなものかとこちらまで緊張をほぐされていく。ただし、博士が死体の部位に触れるときに、カメラの都合とそのいつになく優しい手つきにはぞくりとさせられる。指と指が触れるとき。乳児の指をこするとき。

監督は時勢柄モンド映画に倣ったのか、施設に入る前に精神障害患者たちを無差別に撮って羅列する。不協和音をかぶせてこれから待ち受ける施設内への不穏な案内人に仕立てているのだが、映画を見終わったあとふと訝しむに、彼らの出番が冒頭だけなのにとくに意味がなければよいのだが。


●監督
アンヘル・ガルシア・デルバルÁngel García del Valは1948年バレンシア生まれ。バレンシア大学医学部で看護を学び、アマチュア作家として映画を撮り始める。長編2作目Salut de lluita (1977)はアトーチャの虐殺に取材したもの。次のMotín (1978)はフランコ時代政治犯が収容されていた刑務所について取材したもので、当局により拘束され素材も没収されている。

3作目の今作は医学部時代に知己を得たエスパーダに取材したもの。制作費は400,000 pesetas (約2,400 euros)で、資金捻出のため自宅も売り払ったようだ。81年に完成するも上映許可が降りず、自ら署名を集めて83年にようやくs指定(ポルノ指定)で公開。今作以外未見だが、この一本で死体映画史に記憶されるだろう。

Cada ver... es('Every view... is')
1981
73m
Directed by Ángel García del Val
staring 
Juan Espada del Coso


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