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グレイビーおかわり ステイシー・キーチの兄弟映画2本

『ゴングなき戦い』を見てきた。かなり食らった。『ザ・デッド』も初めて見たが、こちらもあっという間の撮るべくして撮られた遺作。『賢い血』と並べてこれでヒューストンベスト3決定。

で、ステイシー・キーチについて記事書いたあと、引き続き70年代前半のキーチを漁っていて見つけた日本未公開、未ソフト化の傑作テレビ映画2本をレビューしておく。どちらにも共通するのは、①兄弟、②グレイビーソースに目がない。


Orville and Wilbur (1972)

ウィルバー・ライト

教育テレビNET Playhouse制作偉人伝シリーズの一遍。 後継PBSのチャンネルで英語字幕付きで視聴可能。ライト兄弟についての伝記ドラマで、兄ウィルバーをステイシー、弟オーヴィルをジェームズが演じたリアル兄弟配置。二人はのちに兄弟ばっかり出演する珍しい西部劇『ロング・ライダーズ』で再び兄弟を演じることになる。
監督アーサー・バロンはテレビで活躍したひとで脚本も書いてる。未見だが1973年『ジェレミー 』はある世代以上の人にとって青春映画の傑作として記憶されているようだ。

低予算テレビ映画ながら、オールロケ、後述する空撮など見どころ多く観客を歴史的な瞬間に立ち会わせる秀作になっている。なにせ90分しかないのでグライダー飛ばし始めるところから話が始まるが、兄弟の生涯はその前後も面白い。ライト兄弟については2015年刊行の決定版評伝が出ている(デヴィッド・マカルー著秋山勝訳『ライト兄弟』(草思社))。読みやすく面白いエピソード盛りだくさんで、HBO製作トム・ハンクス総指揮でミニドラマ化の話があったがいまのとこ続報ない。

ウィルバー・ライトは将来を期待された文武両道の秀才だったが、麻薬中毒の暴漢に上の前歯をほとん砕かれ大怪我を負い引きこもり生活に突入する。ヒッキー生活が3年間続き真正の本の虫に変わった頃、飛行実験で死亡した発明家オットー・リリエンタールの存在を知る。当時出現し始めたばかりの自転車屋として弟オーヴィルと生活をやりくりしながら、発明のためスミソニアン協会にあてて有名な手紙をしたためる。兄弟は狂ったように飛行実験に没入し、強風の吹く丘を求めて大陸の端っこにテントをこしらえ、リリエンタールが1000回行った飛行実験記録を修正し、風洞実験を行い、たわみ翼(のちのエルロン)を思いつく。クライマックスは1903年12月17日にノースカロライナ州キティホーク近郊にあるキルデビルヒルズkill devil hillsの飛行実験。地元民さえその名を知らぬ僻地にて12馬力のエンジンを搭載したライトフライヤー号が世界初めて有人動力飛行に成功する。目撃したのはわずかに5人だった。

キーチは気難しい兄ウィルバーを演じている。神経質に手を洗い、相手を遠ざける態度は幼い甥相手にもスミソニアン協会員にも変わらず、弟の作ったグレイビーソースがダマになっているのにブチ切れる。映画は初成功に喜んでやったー、と終わるが、史実ではこのあと特許をめぐる法廷闘争に明け暮れる。そのへんの予兆がキーチの気迫に感じられるが、本人に似ていたかどうかはかなり怪しそう。

史実によれば母を早くに亡くしたことと不慮の怪我に深く落ち込み、終生結婚せず弟との議論にあけくれたという。キーチが演じるとピリッとした一面がですぎてるが、ほかにも兄妹がいたのにこの二人だけがあれほど長い時間を一緒に過ごしたのにはやはり何か通じ合うものがあったのだろうね。
冒頭くらいしか出番ないが父は熱心な牧師で、各地を転々として説教してまわっていた。家族で唯一大学に進んだ妹キャサリンもあんまり出番ないが、気難しい二人の兄を外の世界とつなぐような役回り。

で特筆すべきはこの映画、グライダーもフライヤーも飛行シーンをしっかり撮っている!素人目にオリジナルと見間違う見た目はどうやったのか詳細不明だが、飛行というか浮遊シーンには興奮する。


余談ながらウィルバーの前歯を砕いた犯人のオリヴァー・クルック・ホーは事件後絵に描いたようなマッドサイエンティストに成長する。ホーはライト兄弟の自宅からわずか2ブロック先にある両親の営む薬局で働いていた。当時一般的だった歯痛治療用コカインを常用して麻薬に取り憑かれ、詳細不明だが事件当時ウィルバーの顔面をアイスホッケースティックで殴ったときも酩酊していたようだ。ホーは自分でも薬物を精製するようになりそのまま医学の道へ進むがあまり成績は芳しくなかった。スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』に心酔し自らを何でも治せる天才医者と自称して開業するも、困ったことに患者が相次いで不審死を遂げる。最終的に9人と結婚した妻のうち4人が不審死を遂げ、ほかにも患者を十数人殺害した罪で電気椅子送りになった。

世紀末のオハイオ州デイトンの町は発明熱に取り憑かれ人口比別の新規特許件数が全米一位だったそうな。歴史を変える偉人もいれば、偉人のふりをした変人もいた。わずか2ブロック先に。

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Gravy train AKA The Dion Brothers(1974)

1974年のテレビ映画。タランティーノがリメイクするかもなど囁かれた知られざる快作。タランティーノ主催映画祭にて16mmプリントで上映したきりで、劇場未公開未ソフト未配信。YouTubeの最低画質で見られる。
以下記事で作品概要が読める。
https://metrograph.com/heres-to-the-dion-brothers/

https://www.esquire.com/entertainment/movies/a31762/tarantino-the-dion-brothers/


脚本を書いているのは前年『地獄の逃避行』で鮮烈なデビューを果たしたばかりのテレンス・マリック(変名つかってる)。『ミーン・ストリート』(1973年)のプロデューサーを務めたジョナサン・タプリンは、『地獄の逃避行』 を見てマリックの脚本を買い、マリックがこの映画も監督してくれることを期待していた。それがどういうわけで流れたのか知る由もない。

監督のジャック・スターレットはタランティーノのお気に入りの一人である。スターレット映画のスコアは、 『デス・プルーフ』と『イングロリアス・バスターズ』の両方でサンプリングされている。テキサス生まれテキサス育ちのスターレットの演技は『ブレイジングサドル』『ランボー』『ザ・リバー』などで確認できる。役者として参加したバイカー映画『Run, Angel, Run!』(1969)撮影中監督が病気に伏せたとき、スターレットが監督を買って出て大当たりをとった。その後の監督作としては、『パルプフィクション』でファビアンがテレビで見ている『殴り込みライダー部隊』(1970)や、去年リバイバル上映された『悪魔の追跡』(1975)などちょっとかわった低予算アクションを撮った。

無計画のハチャメチャな顛末を明かすのはやめておく。冒頭5分でつまんない仕事を放り出す傑作辞職シーンのあと、夢のシーフードレストラン開業に向かって明後日の方向へ彷徨い始める兄弟の道行きに難しい話は一切ない。マーゴット・キダー様が参戦してますますけたたましくなる画面の中に、アクションのキレと細かいアイディアにハッとする勘の良い傑作ショットが連発し、とぼけた二人のいい加減な、しかし確かに1本筋が通ったタフネスがきっちり笑わせてくれる(ここ大事)。ただ軽口をたたきながら目の前の障害を乗り越えるだけ、爆発したけどなんか生きてた、だけじゃない痛快で滋味深い一本。午後ロー吹き替えでみたい!


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